格差の拡大:マルクスの時代、ピケティの時代 2
前回、マルクスの時代における資本に増殖による格差の拡大、労働者の貧困は、経営者革命と福祉国家の発明によって克服されたと書きました。
ピケティの基本的な指摘も「r>g」です。つまり資本収益率(r)は経済成長率(g≒賃金上昇率)より高いから資本は増殖し、勤労所得との格差が拡大すると言っています。
本来の経済活動では、資本は投資されて、付加価値を生み、付加価値は労使間で分配されますから、労使交渉で、分配が適切であれば、格差は拡大しません。これは 専門経営者の誕生と労使関係の進歩によって可能になりました。労働分配率が高すぎる国が多いくらいです。
国家レベルでは、所得に対する累進課税と、それに支えられた福祉政策で富の配分は調整され、北欧や日本では、今の政治家の言う「分厚い中間層」が生まれ、格差社会化は克服されました。
それなのに今、世界中で格差化が進んでいるようです。
それでは今、「r」:資本収益率は高いのでしょうか。ご承知のように米、欧、日、みんな「ゼロ金利時代」です。財団法人などは皆青息吐息です。巨大な蓄積資本GPIF(日本の公的年金基金)でも国債の利回りが低すぎるので、株式投資を増やそうとしています。
サマーズに代表されるように、資本にも収穫逓減の法則が適用されるはずで、資本収益率も次第に低下するという主張は根強いと思います。これに対してピケティは、戦後の高度成長期に縮小した格差は「1970年台後半以降」は拡大に転じたとし、特にアメリカでは本に書いた以上の不均衡の拡大がみられるとし、「この時代、みな格差拡大に気付いているのに」と言っています。
こう見て来ますと、資本が不足で、資本の価値が高く資本収益率が大きかった時代と、資本(マネー)が世界中であり余り、資本収益率がゼロに近い中で、富の偏在、格差拡大が著しいという今とでは、格差拡大のメカニズムが全く違ってしまっていると考えた方が良い様です。
1970年代後半といえば、ニクソンショックでドルがペーパーマネーになり、アメリカが毎年の赤字を外国からのファイナンスで遣り繰るために、マネー資本主義を資本主義のデファクトスタンダードしようと動き始めた時期ではないでしょうか。
マネー資本主義は、従来の資本主義と異なり、資本を投下して付加価値を創りその付加価値の中からリターンを得るという回りくどいことはしません。 為替や株価、金利などの変動を利用してデリバティブ(金融派生商品)を創り、レバレッジを利かせて、直接「カネでカネを稼ぐ」 金融工学を発展させたのです。そして、その専門家がノーベル経済学賞を貰うような状況を作り出しました。
この方法は「付加価値生産」を経由しませんから、基本的にゼロサムで、富をA氏からB氏へ、A国からB国へ移転するだけです。いかに経済活動のように見せかけても、本質はギャンブルでしかないということでしょう。
そこでは、マネーマーケットに支配力を持ちうる巨大資本やルールを決める胴元が有利ですから、巨大資本はますます巨大になるようです。
いつも書いている「キャピタルゲインは格差拡大を齎す」ことの現実の結果です。
かつての「実体経済」中心の資本主義と、今「のマネー資本主義」の時代の格差問題を共通に資本収益率という物差しで計っていくと、何か現実を読み切れないのではないかと感じます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
因みに、経済学では、1000円で宝籤を買って100万円が当たれば、資本収益率は1000倍といった計算で良いのでしょうか、それとも、計算はそうだけど・・・・でしょうか。
前回、マルクスの時代における資本に増殖による格差の拡大、労働者の貧困は、経営者革命と福祉国家の発明によって克服されたと書きました。
ピケティの基本的な指摘も「r>g」です。つまり資本収益率(r)は経済成長率(g≒賃金上昇率)より高いから資本は増殖し、勤労所得との格差が拡大すると言っています。
本来の経済活動では、資本は投資されて、付加価値を生み、付加価値は労使間で分配されますから、労使交渉で、分配が適切であれば、格差は拡大しません。これは 専門経営者の誕生と労使関係の進歩によって可能になりました。労働分配率が高すぎる国が多いくらいです。
国家レベルでは、所得に対する累進課税と、それに支えられた福祉政策で富の配分は調整され、北欧や日本では、今の政治家の言う「分厚い中間層」が生まれ、格差社会化は克服されました。
それなのに今、世界中で格差化が進んでいるようです。
それでは今、「r」:資本収益率は高いのでしょうか。ご承知のように米、欧、日、みんな「ゼロ金利時代」です。財団法人などは皆青息吐息です。巨大な蓄積資本GPIF(日本の公的年金基金)でも国債の利回りが低すぎるので、株式投資を増やそうとしています。
サマーズに代表されるように、資本にも収穫逓減の法則が適用されるはずで、資本収益率も次第に低下するという主張は根強いと思います。これに対してピケティは、戦後の高度成長期に縮小した格差は「1970年台後半以降」は拡大に転じたとし、特にアメリカでは本に書いた以上の不均衡の拡大がみられるとし、「この時代、みな格差拡大に気付いているのに」と言っています。
こう見て来ますと、資本が不足で、資本の価値が高く資本収益率が大きかった時代と、資本(マネー)が世界中であり余り、資本収益率がゼロに近い中で、富の偏在、格差拡大が著しいという今とでは、格差拡大のメカニズムが全く違ってしまっていると考えた方が良い様です。
1970年代後半といえば、ニクソンショックでドルがペーパーマネーになり、アメリカが毎年の赤字を外国からのファイナンスで遣り繰るために、マネー資本主義を資本主義のデファクトスタンダードしようと動き始めた時期ではないでしょうか。
マネー資本主義は、従来の資本主義と異なり、資本を投下して付加価値を創りその付加価値の中からリターンを得るという回りくどいことはしません。 為替や株価、金利などの変動を利用してデリバティブ(金融派生商品)を創り、レバレッジを利かせて、直接「カネでカネを稼ぐ」 金融工学を発展させたのです。そして、その専門家がノーベル経済学賞を貰うような状況を作り出しました。
この方法は「付加価値生産」を経由しませんから、基本的にゼロサムで、富をA氏からB氏へ、A国からB国へ移転するだけです。いかに経済活動のように見せかけても、本質はギャンブルでしかないということでしょう。
そこでは、マネーマーケットに支配力を持ちうる巨大資本やルールを決める胴元が有利ですから、巨大資本はますます巨大になるようです。
いつも書いている「キャピタルゲインは格差拡大を齎す」ことの現実の結果です。
かつての「実体経済」中心の資本主義と、今「のマネー資本主義」の時代の格差問題を共通に資本収益率という物差しで計っていくと、何か現実を読み切れないのではないかと感じます。
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因みに、経済学では、1000円で宝籤を買って100万円が当たれば、資本収益率は1000倍といった計算で良いのでしょうか、それとも、計算はそうだけど・・・・でしょうか。