tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

IWC脱退決定、日本のイメージを貶める愚行

2018年12月26日 17時30分44秒 | 就活
IWC脱退決定、日本のイメージを貶める愚行
 年末押し迫って、ビックリするようなニューが飛び込んで来ました。日本政府がIWC(国際捕鯨委員会)の脱退を決めたというニュースです。

 大方の日本人は、「なんで急に?」「クジラってそんなに必要なの?」「国際機関脱退したら日本は孤立するってこと?」と一様にビックリするようです。
 
 政府は昨日閣議決定して、今日発表したとのことですが、それまで何処でどんな議論があって、そんなことになったのか、関係者以外は誰も知らないのではないでしょうか。

 シーシェパードなどの日本の調査捕鯨やイルカの追い込み漁などに反対する運動のあることは多くの人が知っています。しかしそんなのは、国際的に見ても認知されている行動ではなく、「クジラ保護過激派」程度の評価が一般的でしょう。

 政府の説明では、IWCを脱退すれば、おおっぴらに日本のEEZ内では商業捕鯨が出来る、という事で、来年7月からそうしたいという事で急いでいる様子です。なんで来年7月からかいろいろな勘ぐりもあるようです。

 現状を見れば、IWCの加盟していて、EEZ内で商業捕鯨をしている国は、ノールウェイやアイスランドなどあるそうで、なんで大上段に振りかぶってIWCを脱退するなどという野蛮な行為をするのか、政府の頭の中が全く理解できません。
 まさかトランプさんがいろいろ「脱退」をするので、それがカッコいいと思っているほど単純ではないと思うのですが・・・。

 しかしそうした行動を取れば、「そうか日本という国は、自分に都合が悪ければ、国際組織から脱退する国なんだ」というイメージを世界に持たせることは当然でしょう(国際連盟を脱退し、太平洋戦争にまで突っ走った故事を思いだす人もいるでしょう)。

 戦後の世界は国連を中心に協調と 統合というという理念 のもとに、平和と経済発展を目指して努力してきたと思います。しかし、その努力が息苦しくなったのか、最近分裂の動きも一部に見えます。

 しかしそうした中で、日本は一貫して、国連中心、世界は分裂ではなくて、協調し協力して、平和で、豊か・快適な世界を創ろうと地道に真剣に努力して来たのではなかったでしょうか。
 そして、今では、日本は「そういう協調的な国になったのだ」という評価が定着してきていたのではないでしょうか。

 それなのに、たかがクジラで(と言っては関係者には申し訳ありませんが)、そうした70余年をかけて作り上げてきた日本の良きイメージを、一朝にして崩すような愚かなことをやるのが今の政府なのですか?
 まさに「百日の説法屁一つ」の愚行でしょう。

就活ルール、政府主導へ・・・?

2018年10月07日 10時02分51秒 | 就活
就活ルール、政府主導へ・・・?
 新規学卒の就職活動のルール、いわゆる就活ルールについて、去る9月、経団連会長が、経済団体として采配することには「極めて違和感がある」として「採用選考に関する指針」からの撤退(2021年卒から采配をやめる)を表明しました。

 これに対して、安倍総理は、現状のこのルールは(学業と就職活動のバランスという立場から)、みんなで守って欲しいという発言をしていました。
 経済団体の間でも、マスコミ上でも、ネット上でも、賛否両論が伯仲していたようで、どちらに軍配ということにはならなかったようですが、経団連はその役割から降りることを決めたようです。

 就活ルールについてはこのブログでは、一応の意見を述べていますが、その後どうなるかと経過を見ていました。

 現状の就活ルールを前提に、安倍総理は「守るべき」と発言していましたが、具体的な動きを見ますと、経済界を抜きにして、政府主導で大学側と話し合いを進めるのではないかという様子も見えるようです。

 最近の動きでは、安倍総理率いる第4次安倍改造内閣は、一昨日、首相官邸で「未来投資会議」を開いて、生涯現役社会を目指し、全世代型社会保障制度改革を進め、その中で「雇用制度の改革」を検討するということのようです。

 雇用制度改革については、まず高齢者が働き続けられる環境を整備し、社会保障制度の安定化を図るとともに、日本型雇用慣行を見直すことの中で、「 新卒一括採用の見直し」や、中途採用の拡大の重視についても、具体的な検討を進めることを考えているようです。

 現状では、この会議での検討が、就職ルールについてどんな方針を出すのか予測の外ですが、学生、大学、企業が夫々に意見を持ち、これまで何十年もも試行錯誤を繰り返している問題を、政府主導(大学と企業の代表も1人ずつ入っていますが)で決めて「みんな守れ」といっても簡単にうまく行くとは考えられません。

 働き方改革もそうですが、現政権は日本的経営についての理解が極めて薄いように思われます。日本では企業は人間集団で、欧米とは背景の文化が違います。今の企業は、リーマンショックの後遺症で日本的経営を踏み外したりしていますが、いずれ戻るでしょう。

 日本的経営は「人間中心と長期的視点」の2つが特徴で、そのベースには「人間の育成には時間がかかる」という本質の理解があるのです。
 新卒一括採用は、 若年層失業率を世界でもダントツに低くしていますし、生真面目で勤勉な社会人の育成に大きく貢献してきています。
 これは、企業が新卒採用を控えた就職期氷河期世代の経験からも明らかです。

 実は戦後からの経験で、現場ではあるべき姿はほぼ見えてきているのでしょう。当事者が皆、余り従いたくないようなルールを作ってみても、「労多くして功少なし」ということになるのではないでしょうか。

 当事者同士が何十年もいろいろやってきて結局うまく行かないものを、政府が頭ごなしに決めてみても、役に立ちそうにありません。
何より、日本の文化・社会・企業の在り方に適したものでないと、「人」に関わる問題はうまく行かないものだとつくづく思うところです。

経団連会長「採用選考に関する指針」から撤退を表明

2018年09月05日 16時42分46秒 | 就活
経団連会長「採用選考に関する指針」から撤退を表明
去る3日、経団連は大学生の就職活動について出していた指針を2021年春入社の学生の就職活動から廃止するという方針を示しました。
 未だ、経団連としてではなく会長の意見という事のようですが、早速、政府、経済団体、大学その他から 色々な意見が出て来ています。

 何時のものブログでは書いていますが、企業を職務の集合体とみる欧米の考え方と、企業は人間の集団とみる日本の考え方の違いから、日本では新卒一括採用という習慣が取られてきています。
 
 企業もその考えは変えず(ただし正社員と言われる人達が対象、非正規社員は欧米流の職務別採用)、学生も、大学もそれに慣れ親しんでいますから、企業は新卒をまとめて取りたいし、学生は卒業式の後は4月1日から会社勤めと考えて学生生活を送っています。

 平成不況の真只中、就職氷河期などと言われた時期に卒業した学生の中には、そうした希望の就職が出来ず、非正規を転々として、日本流に言えば「定職にもつけず」社会に不適応になって、問題になるといった後遺症は未だに残っています。

 今は未曽有の人手不足と言われ、企業は優秀な新卒採用に血眼ですから、皆、他社に先駆けて新卒学生の選考や内定をしたいのは当然でしょう。
 経団連の指針は、仁義なき採用競争は避けたいという事で、公平、公正、透明な採用を目指し、選考や内定の解禁日を決めて、皆で守りましょうといっています。

 しかし現実はどうでしょうか、「指針」は、経団連の約1500の会員企業には徹底できても、それ以外の企業は採用活動は勝手に出来るという事になってしまったようです。
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 これでは経団連傘下の企業だけ割を食う事になりかねません。他社の内定を取っても、あとから経団連傘下企業(主として大企業)の内定をもらえれば、そこに決めるという学生も多いでしょう。しかしそれも公平、公正、透明なのかなどとなりそうです。

 報道によれば、中西会長は「経団連が采配することには極めて違和感がある」と言われていますが、まさに本音でしょう。

 「就職協定」といわれた時代には、文部省や労働省、大学側の組織、大企業中小企業の代表なども関わって、経団連(当時は日経連)が幹事団体になって、議論を繰り返しつつやっていたようですが、それでも、最後には、1996年、就職氷河期の中でやめています。その後、大学側と企業側の協議で「倫理憲章」(大学側は「申合せ」)となりこの所、経団連の「指針」となったという事でしょう。

 いずれにしても、前々から「高速道路の80キロ制限標識」などと言われ、ほとんど守られないものでしたから、廃止の話は常にあったようです( それでも無いよりは良いのではという意見もあったようです)。
 考えてみれば、 根本原因は「企業は人間集団」と考える日本の経営思想、それが生まれる日本的な「人間中心の哲学」にあるのでしょう。

 それが日本的経営の原点で、日本の強さの源でしょう。その結果である新卒一括採用方式を「善し」としながら、就職問題の在り方を模索するのも、困難でも、まさに日本らしさの表れでしょう。
 自分中心をある程度譲歩し、全体についてベストな方法を、学生、大学、企業を中心に、文殊の知恵で考え続けてほしいと思う所です。

上がらない平均消費性向、グラフで推移を

2017年08月10日 20時18分05秒 | 就活
上がらない平均消費性向、グラフで推移を


 消費不振が景気の 足を引っ張り、低い消費性向が問題として指摘されています。
 このブログでは、消費性向が上がらない原因は、基本的には国民の将来不安にあるのではないかと考えてきています。

 改造成った安倍政権は経済中心と言っていますが、本当の関心は別の所にあるのではないかと多くの国民が考えているようで、アベノミクスも色あせ、政治不信が内閣支持率に見られるように顕著になり、加えて内外情勢の深刻さも増しています。

 かつての「有事のドル」ならぬ、この所は「有事の円」で円高傾向は否めず、円高に逆相関の日経平均は低迷、不安をさらに強めているようです。

 企業業績は比較的堅調であることが救いですが、技術革新で産業構造も変化する中で、企業の盛衰も激しく雇用構造の多様化もあり、格差社会化が進み、富の均霑にはなかなかい行き着かないようです。

 そんな中で何かヒントはないかと、この所の平均消費性向の推移を改めて見直してみました。それが上の図です。
 日本経済は2000年から2002年にかけて「プラザ合意」による円高をある程度こなし、いわゆる「いざなぎ越え」に入りましたが、その時期、平均消費性向は上がり始めています。

 それが2006年に至り急落していますが、この原因をいろいろとみてみますと、1つの原因は金利にあるようです。解り易い定期預金金利(1年物)で見ると、2005年は0.036%ですが、2006年には0.137%に上がっています。その後2008年までは金利が上がり(今の日銀とは違いますね)、貯蓄の魅力は強まっているようです。

 2009年に、平均消費性向がが急上昇しますが、これはリーマンショックのせいで 可処分所得が急降下、2008年に月403千円だった可処分所得は2009年には384千円に落ち、、節約も追いつかず、消費性向が上がったようです。

 このグラフで、リーマンショックによる平均消費性向の急上昇を除いてみれば、円安転換で景気が上向いた2013年まで、平均消費性向は徐々に上がる気配だったのではないでしょうか。

 そうみてくると、景気回復の中での、2016年の平均消費性向の落ち込みはまた別の原因と見なければならないでしょう。このブログでこのところ論じていたのはこの問題です。

 しかし、基本的には、貯蓄志向の強い日本人でも、トレンドとしてみれば、消費性向はかつての正常な水準に服する方向に動くのが本来かと思います。
 1980年代前半までは日本の平均消費性向は77~79%でした。現状ではそこまでの回復は至難でしょうが、これから、日本経済が安定して動いていけば、消費性向も徐々に回復していくのではないかとも思われるところです。
 
 あとは将来不安の問題が、政府の手で、どの程度払拭されるかにかかているようです。

日銀の2%インフレ目標は先延ばしより「見直し」を

2017年07月15日 22時54分10秒 | 就活
日銀の2%インフレ目標は先延ばしより「見直し」を
 日銀のインフレ目標2%を前提とした異次元金融緩和への固執については、適当なところで見直した方がいいのではないですかと何回も書いてきました。

 2%はアメリカのインフレ目標と一緒ですが、現状の世界経済、国内経済の状況から見て、また、アメリカと日本のインフレに関する国民の意識から見ても、あまり合理性はありません。アメリカが2%なら、日本は1%というのが妥当なところでしょうか(「 白川総裁のクリーンヒット」参照)。

 確かに異次元金融緩和という「サプライズによる円安誘導」には当初は効果があったものの、次第に効果は薄れ、マイナス金利導入時点では効果は3日しかありませんでした。
 これ以上の円安を政策として目指すのは、日本としたやりずぎとの批判も出るでしょう。

 同時に、日銀が国債やETFを大量に買い上げることが金融市場や株式市況にも歪みをもたらすという指摘も多くなってきました。
 円高阻止という政策目標のために、当面到達の可能性の無いインフレ目標を掲げ、金融市場を歪める意味はとうに消えているようです。

 もともとインフレは低い方がいいのです。勿論デフレ回避は至上命題でしょうが、インフレは2%より1%の方が、国民にとって良いことは明らかです。特に、金利より物価の方が先に上がるようなことになれば、国民生活にマイナスです。

 もしそれで消費を刺激しようというのであれば、それは王道とは言えません。金利の正常化を進める中で、国民の消費性向が上がるような、健全な経済政策が望まれるところでしょう。
 
 物価は金融政策でどうになるものではありません。1980年代後半以来、日本では、貨幣数量説はあまり働いていません。それが働くとすれば、資産(土地など)バブルを起こすぐらいで、そのバブルも早晩つぶれるのです。

 日銀が政策変更するなら、2%を先延ばしするのではなく、当面1%を目標と切り替えるべきではないでしょうか。2%がスイスイ達成されるようになる時は、国際経済環境も、国内の意識も変わって、今度はいかにインフレを抑えるかが問題になる時期でしょう。

人件費支払能力の基準:名目値? 実質値?(支払能力シリーズ3)

2016年10月31日 11時18分54秒 | 就活
人件費支払能力の基準: 名目値? 実質値?(支払能力シリーズ3)
 前回、日本経済の人件費支払能力の基本的な基準は日本経済(GDP)の成長率と書きました。
 解り易く、「賃金を何%上げられるか」と言えば、日本経済が2%成長していれば、2%ぐらいは上げられるという事になります。ただし賃金は1人当たりですから、経済成長率も就業者一人当たりに直して「国民経済生産性」で、結局、賃上げの基準は「労働生産性」という事になるわけです。

 実はここで2つほど問題が出てきます。
 1つは、経済成長率は名目値なのか、実質値(名目値—物価上昇率)なのかという問題です。
 もう1つは、現在の賃金への分配率が正しければ、賃金の伸びと生産性の伸びは同じだから正常な均衡成長ですが、今の賃金への分配が少なすぎる(多すぎる)ならば、生産性の伸び以上の(以下の)賃上げをして賃金への配分を正常に戻す必要があるという分配の正常化の問題です。

 今回はまず、賃金上昇の基準となる生産性は「名目値」か「実質値」かという問題を見てみましょう。

 今のように、物価がゼロ%付近で安定している場合は名目でも実質でも、ほとんど同じですからどっちでもいいという事になります。
 しかし、今迄の春闘の中では、労働側は通常、「賃上げは物価上昇をカバーすべきだ」と主張して、名目生産性基準で考えるのが普通です。

 これに対して経営側は、「賃上げの基準は、実質生産性でなければならない」と言ってきています。
さて、どちらが正しいのでしょうか。

 この論争は、こんな形で説明できます。消費者の立場からすれば、物価が上がった分賃上げをしてくれなければ生活水準が落ちてしまう、それでは本当の生産性基準にはならない、という事ですが、経営側の主張は、もともと物価が上がったのは賃上げが高過ぎて、賃金コストアップになったことによるものだから、物価上昇を抑えるためには実質生産性以上の賃上げをしないことが大事、というものです。

 この問題を解決するためには、丁度今日のように、物価が安定している時から「実質生産性基準」で賃上げをしていくことが一番いいようです。
 そうすれば、 賃金コストプッシュインフレは起きません。インフレがなければ名目値か実質値かの論争は起きません。(日銀が2%インフレ目標を下してよかったですね)
 

 ところで、インフレは賃金コストプッシュ以外にも起きます。海外資源等が上がって、輸入インフレが起きる場合です。
 実はこの場合には、日本政府や日銀には対抗する能力はありません。甘んじて我慢するよりないのです。
(インフレが起きてしまった場合どうするかについては、日本には 素晴らしい実績があります。第一次オイルショック後の労使の賃金決定の経験です)

 その代わり、原油価格が下がって、ガソリン価格が下がった時には、賃金が同じなら生活には実質プラスです。

 もう1つ円高(輸入物価下落)、円安(輸入物価上昇)という問題があります。日本経済は円高のせいで20年以上も苦労(失われた20年)しましたが、この問題は、物価など問題にならないぐらい日本経済に影響しますから、これには 円レートの安定政策で対抗すべきでしょう。
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(注)人件費を論じながら、「賃金」と言い替えたりしていますが、ここで、解り易く「賃金」という場合は、正確には「1人当たり人件費」とご理解ください。人件費は、賃金や社会保障費の企業負担分など「企業が人を雇用する為に必要なコスト」という意味です。

大卒就活ルール:大問題の日本、問題にならない欧米

2016年09月13日 11時25分24秒 | 就活
大卒就活ルール:大問題の日本、問題にならない欧米
 経団連が来年度の大学卒の就職活動日程について、今年と同じにすると正式発表したことで、就活ルール問題をマスコミも取り上げてります。

 この問題は、古くは文部省・労働省が大学団体、日経連と話し合い就職選考に関するルール、いわゆる 就職協定を決めてから、好不況を繰り返す環境変化の中で、期日の問題や順守体制の問題などで多くの点で紆余曲折を経て、協定が倫理憲章になったり現経団連の就活ルールになったりしてきたものです。

 欧米の人が聞いたら多分不思議がるようなこの問題が、日本では数十年にわたり、全国の大学と経済界の大問題で、マスコミを賑わし、政府も介入するような社会的な関心事になるのはなぜでしょうか。

 直接的に言えば、学生は3月に卒業したら4月1日から会社に出勤するのがベストな状態と考えていますし、企業は出来るだけフレッシュで優れた人材を毎年欲しいと思っていますし、大学は卒業したが就職できないようでは学生募集に影響すると考えますし、政府も学卒の就職率が悪いと選挙の得票率に関わると思うからでしょう。

 しかし、その根幹にあるのは、企業が人を採用するときの「考え方」という事になるのではないでしょうか。

 欧米のように、採用は、欠員が出来たとき、あるいは業務を拡張するとき、その仕事のできる人材を、その都度採用するというのであれば、6月解禁、8月解禁などと日にちを決める必要は全くありません。

 つまり、就活ルール問題発生の原因は、「企業の4月1日、新卒一括採用」という採用方針にあるのです。
 「うちは通年採用をやっています」という大企業もあります。しかし、その企業も当然「新卒一括採用」をやっています。

 これまでも書いてきていますが、この問題は「企業とは何か」という認識における、それぞれの社会の文化的背景によるということが出来るでしょう。

 端的に言えば、欧米では企業は職務の集合体です。そしてそれぞれの職務に適切な人間を当てはめて企業目的を遂行するという文化です。
 これに対して、 日本の場合は、企業というのは「人間集団」で、その人間が職務を分担し企業目的を遂行するという文化です。

 最も解り易く言えば、欧米方式の採用は日本でもあります。それはパート、アルバイト、派遣などの非正規従業員の採用です。先に職務があって、賃金は職務給で決まっていて、その職務をする人がいないからその職務が出来る人を採るのです。欧米では、極端に言えば社長までこの方式です。

 これなら、就活ルールは必要ありません。しかし日本では、就活ルールが、政府、大学、学生、財界、もちろん個別企業を巻き込む大問題です。
 この様子を見ると、やっぱり「 日本的経営」「日本的職業観」といったものの「根」、「人間中心の経営」は日本人の心の中にきちんと受け入れられているのだなと考えざるを得ません。

 安倍政権の掲げる「働き方改革」「同一労働・同一賃金」なども、こうした基本的なものとの整合性を考えないと決してうまく行かないだろうと思っています。