前回、リクルートワークスが発表した2040年には仕事の担い手が1100万人不足するという研究に関連して、人手不足が最も深刻になるとみられる介護のような対個人サービスの例を取り上げました。
介護される人間は増えても介護する人間は増えないので大変という事でしょうが、介護が必要なのに人手不足で出来ないという事になると社会が不安的になっていろいろな問題が発生するので、介護の人材を増やさなければなりません。
そこで必要になるのが介護の担当者の賃金に引き上げです。しかし、介護サービスを提供する企業で、行き届いた介護をしながら生産性を上げるという事は至難です。
といって、介護の料金を上げれば、払えないから介護を受けられない人が増えるでしょう。これも社会の不安を作り出します。
貧しい社会では出来ない事も豊かな社会では可能になります。豊かな社会は技術革新を中心にした経済成長で支えられているのです。
何とかしなあければという事で、生産性を上げて豊かな社会をけん引する産業が稼いだ付加価値(GDP)を、稼いだ産業が独占するのではなく、社会全体の為にバランスのとれた配分をしようというのが社会保障の基本です。
社会保障、医療や介護、年金、広く言えば教育のこの中に入ってくるでしょう。そのために生産性を上げて付加価値を沢山作りだした産業・企業の利益、賃金の上がった従業員が(付加価値は利益と賃金になります)、税金や社会保険料を余計に払って、その分が社会保障の原資になって、生産性の上がらない産業のところに均霑して、社会は安定するのです。
それなら、一生懸命稼ぐ方は損で、社会保障で助けてもらう方が得をするのかという異論が出ることになりそうです。
実は、資本主義社会は、社会保障という方法論を持ち込むことによって崩壊せずに安定した制度になっているのです。
それは、社会不安を起こさないために、生産性の伸びる部門が税金や社会保障費を負担するのは稼いだ付加価値の、例えば、半分程度で、後の半分は、生産性を頑張って上げた産業企業、その従業員へのご褒美になっているからです。
つまり、今の資本主義は、100%資本主義ではなく、例えば50%資本主義、50%社会主義、という事で成り立っているのです。
そしてこの50%という例えは、アメリカなら資本主義の部分がより多く、北欧なら社会主義の部分がより多いという具合に、国によって違います。
ここで指摘しなければならない事は、国民が働いて生み出した成果である付加価値(GDP)をいかに分配するかで、国の姿が変わってくるという事です。
そして、国の在り方(配分の仕方)は、国民が望む国・社会を民主主義の原理によって、国民の選んだ政党、そのリーダーがより良いものにするように努力して出来上がるのでしょう。
分配が上手に行われ、国民が安心して、資本主義の部分を生かして経済成長(GDPの増加)が可能になるのです。社会主義的な分配。資本主議的な成長の組み合わせです。
その意味では「分配の在り方が成長を決める」というのが現実で、成長の成果を「適切に」分配するという場合の「適切」の在り方が問われているという事でしょう。
さて「成長と分配の好循環」を言う、岸田政権の場合はどうでしょうか。
介護される人間は増えても介護する人間は増えないので大変という事でしょうが、介護が必要なのに人手不足で出来ないという事になると社会が不安的になっていろいろな問題が発生するので、介護の人材を増やさなければなりません。
そこで必要になるのが介護の担当者の賃金に引き上げです。しかし、介護サービスを提供する企業で、行き届いた介護をしながら生産性を上げるという事は至難です。
といって、介護の料金を上げれば、払えないから介護を受けられない人が増えるでしょう。これも社会の不安を作り出します。
貧しい社会では出来ない事も豊かな社会では可能になります。豊かな社会は技術革新を中心にした経済成長で支えられているのです。
何とかしなあければという事で、生産性を上げて豊かな社会をけん引する産業が稼いだ付加価値(GDP)を、稼いだ産業が独占するのではなく、社会全体の為にバランスのとれた配分をしようというのが社会保障の基本です。
社会保障、医療や介護、年金、広く言えば教育のこの中に入ってくるでしょう。そのために生産性を上げて付加価値を沢山作りだした産業・企業の利益、賃金の上がった従業員が(付加価値は利益と賃金になります)、税金や社会保険料を余計に払って、その分が社会保障の原資になって、生産性の上がらない産業のところに均霑して、社会は安定するのです。
それなら、一生懸命稼ぐ方は損で、社会保障で助けてもらう方が得をするのかという異論が出ることになりそうです。
実は、資本主義社会は、社会保障という方法論を持ち込むことによって崩壊せずに安定した制度になっているのです。
それは、社会不安を起こさないために、生産性の伸びる部門が税金や社会保障費を負担するのは稼いだ付加価値の、例えば、半分程度で、後の半分は、生産性を頑張って上げた産業企業、その従業員へのご褒美になっているからです。
つまり、今の資本主義は、100%資本主義ではなく、例えば50%資本主義、50%社会主義、という事で成り立っているのです。
そしてこの50%という例えは、アメリカなら資本主義の部分がより多く、北欧なら社会主義の部分がより多いという具合に、国によって違います。
ここで指摘しなければならない事は、国民が働いて生み出した成果である付加価値(GDP)をいかに分配するかで、国の姿が変わってくるという事です。
そして、国の在り方(配分の仕方)は、国民が望む国・社会を民主主義の原理によって、国民の選んだ政党、そのリーダーがより良いものにするように努力して出来上がるのでしょう。
分配が上手に行われ、国民が安心して、資本主義の部分を生かして経済成長(GDPの増加)が可能になるのです。社会主義的な分配。資本主議的な成長の組み合わせです。
その意味では「分配の在り方が成長を決める」というのが現実で、成長の成果を「適切に」分配するという場合の「適切」の在り方が問われているという事でしょう。
さて「成長と分配の好循環」を言う、岸田政権の場合はどうでしょうか。