tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

日本経済低迷の理由:その3、2010春闘と円高

2010年01月29日 15時42分25秒 | 経済
日本経済低迷の理由:その3、2010春闘と円高
 今年の春闘の労使の論点は、
・労働側:定期昇給制度の維持(ベースアップは要求しない)
・経営側:雇用の安定重視(雇用維持だけは何とか頑張りたい)
といった形で報道されています。

 つまり、労働側は、賃金引上げは求めないという事です。
 こうした労使の共通認識の背後にあるのは、この2年ほどで$1=¥120から90円になった円高です。この約3割の円高は、同じ率の日本経済のコスト高・物価高をもたらします。

 労使ともに理解しているのは、こんな時期に賃金を引き上げたら、コスト高で企業の存続・雇用の継続に問題が生じるという危機感です。日本の労使はそこまで企業の経営状況、存続の条件についての共通理解を持っているという世界でもまれに見る相互理解の労使関係 を培ってきているわけです。

 ところで、菅副総理は、今日のデフレ状態は「2~3年」で脱出するようにしたい(出来るのではないかと)いっているようです。2~3年で脱出するためには、賃上げどころか賃下げが必要かもしれませんし、雇用の削減に踏み込まざるをえないかもしれません。

 労使としては、賃上げをしない一方で生産性を向上させ、円高によるコスト高の克服に努力を傾注しなければならないという共通認識でしょう。
 労使にとれば、まさに血の滲む努力の日々、失われた10年の再来です。

 しかし、もし、2~3年の労使のコストダウン努力で、コスト高が何とか克服できたとしても、その時点で、また$1=¥80~75円という円高になったら、これは止め処の無い円高とデフレの スパイラルです。その可能性は無いと言い切れるでしょうか。

 労使がいくらゼロ賃上げで頑張っても、1割円高が進めば、国際的には日本は10パーセントの賃上げをしたのと同じことになるのです

 ご存知のように、こんなに長期にデフレなのは、世界中で日本だけです、今度の不況の震源地のアメリカでさえ、住宅価格は下がったかもしれませんが、消費者物価指数は基本的には1~3パーセントのインフレです。

 「何故日本だけデフレなのか」 これは、「何故日本円ばかりが高くなるのか」と同じことですが、この問題を解かないと、日本経済は救われそうもありません。
 日本の労使は春闘で、一体、何をやるべきなのでしょうか。


日本経済低迷の理由:その2、余談

2010年01月28日 12時32分07秒 | 経済
日本経済低迷の理由:その2、余談
 前回の表で、当時の主要国のインフレ率(消費者物価指数上昇率)と失業率を取り上げましたが、日本に次いで、西ドイツのパーフォーマンスがいい事がわかります。
 ご承知のように、西ドイツでは(労使の)共同決定法などもあり、ヨーロッパでは歴史的にも労使関係が良い国です。

 ところで、インフレ率と失業率を足したものを「ミザリー インデックス(Misery Index)」と言います。まさに「惨め指数」です。高温で高湿度の時、温度と湿度を足したものを「不快指数」などといいますが、それになぞらえて「経済の不快指数」などともいいます。

 1981年のMisery Index を出してみますと
日本          6.6
アメリカ       17.9
イギリス       20.3
西ドイツ       11.4
フランス       21.0
イタリア       27.1
ということで、日本のパーフォーマンスのよさが一層はっきりします。

 ミザリー インデックス が20を超えると、時の政権は支持を失うといわれますが、確かに
アメリカ: カーター大統領(民主党)→レーガン大統領(共和党) 1981年
イギリス: キャラハン首相(労働党)→サッチャー首相(保守党) 1979年
フランス: ジスカールデスタン(中道右派)→ミッテラン(社会党) 1981年
という政権交代が起きています。

 アメリカ、イギリスは保守回帰で、ともに労組の力を押さえ、コスト上昇を抑制して経済の安定を取り戻しています。特にサッチャー首相の剛腕による(4回の労働法改正を含む)行き過ぎた労働運動の見直し(サッチャー改革)は有名です。
 フランスは右派から左派への政権交代ですが、ミザリー インデックスが20を超えると、なんでもいいから政権交代という事でしょうか。最初最低賃金大幅アップなどを掲げていたミッテラン大統領も、のちには賃金凍結までやる保守的政策を採り、スタグフレーション克服の努力をしています。

 この辺りからわかることは、どこの国でも、(生産性に比して)人件費コストが上がりすぎるとスタグフレーション になり、その治療には、政権交代も含むような強烈なコスト抑制策が必要になるという事のようです。


日本経済低迷の理由:その2、円高デフレ

2010年01月27日 12時51分51秒 | 経済
日本経済低迷の理由:その2、円高デフレ  前回、日本は、徹底してインフレを起こさない努力をしてきたのに、世界トップクラスの物価高の国になってしまい、年間も物価とコストの引き下げに苦労してきましたが、未だに物価高の国から脱出できないと書きました。

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その理由はということですが、答えは極めて簡単で、「円高」です。

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 教科書が教える国際競争力喪失の原因というのは、国内インフレによって物価高をもたらし競争力が失われるといったシナリオが普通です。

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 国際的な資源価格の高騰などによる輸入インフレの場合は、世界中共通ですから、特定の国だけ競争力が弱くなるということはありません。但し、経済運営に失敗して、輸入インフレを国内インフレに転嫁してしまうと、国際競争力は弱体化します。

 

 1970年代の石油危機の際に、主要国はほとんどその失敗をやりました。その結果スタグフレーションに大変苦しみました。

 この失敗を、賢明な労使の話し合いで 回避し、世界一の経済パーフォーマンスを挙げたのは日本です。

 

  1981年の主要国のインフレ率と失業率(%)<o:p></o:p>

 

 インフレ率

  失業率

日本

4.4

2.2

アメリカ

10.4

7.5

イギリス

11.9

8.4

西ドイツ

5.9

5.5

フランス

13.4

7.6

イタリー

18.7

8.4

                      (各国統計)

 

 その結果、日本が当時「ジャパンアズナンバーワン」と言われたのはご承知のとおりです。そしてこのサクセス・ストーリーを、一朝にして烏有に帰せしめたのが、プラザ合意による円高です。

 

 198587年にかけて円が$1=¥240→¥120に切り上げられた結果、忽ちにして日本は、物価もコストも賃金も、世界一高い国になりました。

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 国内における労使のインフレ回避努力は、円高の前には全く「無意味」なのです。 さて今年の春闘はどうでしょうか。


日本経済低迷の理由:その1、コスト高

2010年01月23日 14時25分14秒 | 経済
日本経済低迷の理由:その1、コスト高
 経済発展のための3要素である労働力、技術、資本蓄積について日本経済の状況を前回までいろいろ考えてきました。考えてみれば見るほど、日本では
① 勤勉で教育水準の高い労働力
② 世界に誇る技術水準の高さ
③ 1400兆円(GDPの3年分)といわれる個人金融資産の蓄積
といった形で、ほぼ完全にそれらの要素はそろっていると考えられるのに、何故長期にわたって、こんな低迷状態にあるのでしょうか。前回はその疑問を提出させていただきました。

 今回の新政府の「10年所得4割増」の新経済成長戦略の実現のためにも、この日本経済不振の原因を解明しその解明の上に適切な政策を打つことが必要と考えるわけですが、原因と考えられるような点をひとつひとつ見て行きたいと思います。

 先ず最も気になるのは、日本経済が未だに「高コスト経済」であるということです。
 従来から日本の得意の分野はいろいろあります。そして、製品の品質は国際的に見ても、日本製の評価は定着しています。しかし残念ながら、どうしても価格が高いようです。自動車のような完成品から液晶などの電子部品、さらに金型、問題になっている航空業界まで、最近は世界のいろいろなところから追い上げられて苦戦しています。

 苦戦の大きな理由は「価格競争」が厳しいということでしょう。品質、性能では引けは取りませんが価格が高い、そして価格が下げられない理由は「コスト高」です。
 しかし原材料などの価格は、今では世界中そんなに違うわけではありません。違うのは日本の国内コストで、これはほとんどが人件費です。

 では日本が毎年賃上げをして、人件費を引き上げて、コスト高にしているのかというと、全くそうではありません
 どこの国でも、賃金水準は毎年上がり、その結果多少のインフレです。その中で日本は、毎年賃金水準が下がり物価も下がるデフレの国です。
 にも拘らず日本はコストも物価も高い国なのです。この20年、日本のように賃金も下げ物価も下げ続けて来た国は、多分無いでしょう。なのにコスト高、物価高・・・・・。

 理由は何か、もうお解りになった方も多いと思いますが改めて次回検討したいと思います。


日本経済成長戦略と ヒト、モノ、カネ

2010年01月19日 14時24分40秒 | 経済
日本経済成長戦略と ヒト、モノ、カネ
 経済学では、昔から「生産の3要素」は「土地、労働、資本」と言われます。それら生産要素に対応おする要素費用が「地代、賃金、利益」でその合計が生産によって生まれた「付加価値」になります。
 付加価値は企業レベルでは付加価値と呼ばれ、国民経済の場合は「GDP(減価償却を含む)」とか「国民所得(含まない)」という事になります。

 今日では、こうした生産を進めるために必要な3要素は、ヒト、モノ、カネといわれたり、それに情報が付け加わったりします。情報とは知識の流れる形で、どちらにしても「無形の資本」という事でしょうか。
  最近では有形固定資産(モノ)より無形固定資産(知的財産権やノーハウ)のほうが重要という場合もありますし、 有形固定資産であっても、その中には、知識、情報が技術革新という形で組み込まれ、技術レベルが生産レベルを決めるといっても言い過ぎではないでしょう。

 そうなりますと、今日の「ヒト、モノ、カネ」は、「労働力と技術レベルと資本蓄積」という事になるのではないでしょうか。
 こう考えてきますと、今日の日本は、世界の主要国の中でも、
・ 勤勉で教育水準の高い労働力
・ 世界に誇る技術水準の高さ、
・ 1400兆円(GDPの3年分)といわれる個人金融資産の蓄積
を保有しているということで、群を抜いているようです。

 これだけ条件が揃っているのに関わらず、このところずっと日本経済は低迷状態です。2002年からいわゆる「いざなぎ超え」といわれる経済上昇の期間はありましたが、上昇といっても、低迷と区別がつかないような、微々たる上昇状態が続いたに過ぎません。

 実はここからが本題ですが、今回の新政権の経済成長戦略では、生産要素は揃っているのに、なんで経済が活性化しないのかという問題に「真正面から」取り組んで、その原因を明らかにし、その上で、新しい打開策、経済活性化への取り組みが期待されるところです。

 従来の財政金融政策では無理 のようです。対策は原因の解明から始まるはずです。このブログでも改めて整理しなおしてみたいと思います。


新しい経済社会態勢への芽

2010年01月13日 11時59分43秒 | 経済
新しい経済社会態勢への芽
 電力、電機、その他多様な関連業界が参加するスマートグリッドの研究会が発足したという報道がありました。
 地域全体がエコ社会を目指して、再生可能エネルギー利用などを地域ぐるみで推進しているといった報告もあります。

 一方技術面では、太陽光利用だけでなく太陽熱利用の技術も進んできているようですし、夜間電力とヒートポンプを組み合わせた給湯方式の効率向上も進められ、さらには、ガスや灯油などを利用した燃料電池で、電力と温水を一緒に供給しようという製品も開発され、実用化、家庭用機器販売まで進められてきています。
 家庭用のソーラー発電と家庭用の燃料電池を組み合わせれば、家庭の電力は、まかなえるといった状況でもあるようです。

 ハイブリッドカーが年間販売第一位を記録するような状況の中で、この自動車に積まれた電池を、自動車だけでなく、家庭用電池にも兼用して、ハイブリッドカーの電池も活用したスマートグリッドの検討もされているようです。

 もちろん、電池が安くなり、耐久性が上がれば、各家庭が電池自体を備えて、自然エネルギーを最大限に活用するような社会も可能性が出てくることになりましょう。

 アインシュタインは、宇宙の研究をする際に「光は特別の権能を有するのも」といったそうですが、今、そしてこれからの社会を考えても、「電気は特別の権能を有するもの」という立場はますます強くなるようですから、こうした電気に関する技術開発は、ますます大事になりましょう。

 有り難い事に、日本はこれらの面では世界に先行しているようです。 しかし、あらゆる技術も、それを組み込んだ製品も、社会で多く利用されることによって、本格的な進歩を遂げるのが現実です。
 ところが、多くの場で指摘されていますように、こうしたものを社会の中で組み合わせて使う「社会的なシステム開発」では、他の先進諸国にかなり遅れをとっています。
  
 ここまで道具立てが揃っているのです、あとは政治のリーダーシップで、日本の経済社会がどこに向かって進むのか、目標を明示して、そこへのプロセスの総合的研究を進めることで、日本は世界随一の「自然エネルギー活用先進国」なりうる力を持っているのではないでしょうか。
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 これは同時に日本経済活性化の道であり、日本が新しい「ジャパン アズ ナンバーワン 」として、世界各国の「坂の上の雲」になる可能性を持つ分野ではないでしょうか。


閣僚の為替レート発言に思う

2010年01月09日 15時42分54秒 | 経済
閣僚の為替レート発言に思う
 財務大臣に就任した菅直人氏が為替レートについて90円台半ばが望ましいことを示唆するような発言をして物議をかもしたようです。

 一連の論議の中で、為替レートについては、一国の政府や金融の責任者は発言すべきでないといった意見がまだあったようですが、これは「マーケットは神聖にして冒すべからざるもの」というとい言い過ぎかもしれませんが、そういったマーケットを大事にしようという、いわば、伝統的なオーソドックスな考え方によるものでしょう。

 市場が特定のものの意志によって動かされることが無いような、理想的な健全な市場であれば、それも正しい判断かもしれません。
 そして日本ははっきりいって、そうした「市場に抗うべきではない」といった「市場至上主義」にあまりに忠実であり過ぎるような気がしてなりません。

 ところで、今日の国際金融市場というのは一体どんな所なのでしょうか。
 昨年9月の ロンドンG20のコミュニケでは
 金融安定化のため、金融機関の監視と規制の必要をのべ、「フィナンシャル スタビリティー フォーラム(FSF) をフィナンシャル スタビリティー ボード(FSB)に強化し、IMFと協力、マクロ経済や金融のリスクに対する早期の警告をする」といっています。
 そしてその対象の中には金融機関のほか主要なヘッジファンドも入れるといっていますし、将来は過度なレバレッジ の規制も、さらには格付け機関の監視にも言及しています。

 実体経済に比し著しく過大なマネーを持ち、キャピタルゲインを求めて、相場の振幅を増幅して利用する マネー資本主義に牛耳られることもありうる国際金融市場です。

 手をこまねいていては宮沢回顧録にあるように、一国の総理が「あの時は毎日大幅な円高で本当に困りました」といっているうちに「失われた10年」の奈落に落ちていくことになるのです。

 今の国際金融市場は、神聖なものでもなんでもなく、資本主義の鬼子であるマネー資本主義のプレーヤーたちの欲望渦巻く世界なのです。

 閣内の十分な論議も必要でしょう。日銀とのコミュニケーションも大切です。産業界、国民の意見もありましょう。しかし為替レートを成り行きに任せて経済運営が出来るほど今の世の中甘くはありません。

 因みに、固定相場制時代に比し、自国通貨を4倍にも切り上げ (させられ)ている国は日本とスイスぐらいで、ものづくりで生計を立てている国としては日本だけではないでしょうか。


新政権の経済成長戦略に期待する 

2010年01月06日 11時33分37秒 | 経済
新政権の経済成長戦略に期待する 
新政権も、当面の問題に振り回されて、新しい日本がどこに向かっていくのかはっきりしないではないかといった意見が多いようですが、ようやく2020年までの経済成長戦略を6月までに策定すると発表したことで、何か先が見えてきそうだと感じている人も多いのではないでしょうか。

 年率3パーセントの成長で、10年後にGDPが4割増というのは、今の状態を考えれば、かなり意欲的ということも出来ましょう。GDPが4割増になれば、単純計算をすれば、雇用が1割増えて、賃金が3割増になってもいいわけです。
 
 それならば雇用問題も改善、多分非正規雇用の比率もまともな水準に戻り(雇用者の20パーセント以下 程度)、正規・非正規の賃金格差も改善するでしょう。

 但し、正規雇用者の賃金水準は残念ながら3割増にはならず(例えば2割増程度にとどまり)、その分非正規雇用者の賃金水準が、3割を超えて上昇するといった形になるでしょう。

 これは、年3パーセントの経済成長があればパートの労働市場などは次第に窮屈になり、市場賃金が上がるからという予測からですが、できれば、マーケットに任せるだけでなく、労働行政も、経営政策も、労働運動も、そういった日本経済・社会のバランス回復を目指した行動をとるべきだという意味も含んでのことです。

 ゼロ成長の中では、あちらが増えればこちらが減るという事 になりますが、成長経済の中では、増え方の大きいところと、増え方の小さいところがでるということですから、それなら人間はかなり寛容になれるというのが現実のようです。

 いずれにしても、実力のある日本経済が、運営の失敗で低迷状態というのが現状ですから、新政権の「経済成長戦略」の中身はまさに刮目してみるべきでしょう。
 日本経済の実力(技術、労働力、資本蓄積)から見れば、盛り込むべきテーマはいくらでもありましょう。 問題はどういう順序でそれを進めるかです。

 今までのような旧態依然の財政政策、金融政策に頼っていたのでは、失敗の繰り返しになる可能性が大きいでしょう。
 既存の経済論の枠組みなどにとらわれず、柔軟な発想で、十分、国民と対話しながら戦略を練り上げていただきたいと思います。


人民元切り上げ問題 (2010年)

2010年01月02日 12時42分09秒 | 経済
人民元切り上げ問題 (2010年)
 明けましてお芽出度う御座います。
 今年は上海万博の年です。先日、関志雄さんのお話をお聞きした時、関さんは、日本と中国を比べると、社会全体として中国の現在は約40年前の日本と仰言っていましたが、大阪万博が1970年ですから、矢張り40年前になります。 あの頃、日本は元気でした。

 今年も中国は元気でしょう。アメリカも健全な元気さ(借金→消費でない)を取り戻して欲しいですが、矢張り中国を始め、アジアの元気は日本の期待でもありましょう。

ところで、年末に中国の温家宝首相は、「さまざまな人民元切り上げの圧力があるが、我々は絶対に応じられない。」と新華社のインタビューに答えたということです。新華社インタビューという形で、改めて中国の立場を世界に示したということでしょう。

 そもそもA国がB国に対して、B国の通貨を切り上げろということは、どういう事なのでしょうか。基本的には、「A国の物価が高く、B国の物価が安いので、A国はB国と競争しても負けてしまう。これではとてもたまらん、B国は通貨を切り上げて競争力をイーブンに戻すべきだ。」ということでしょう。

 しかしその背景には、通常、B国が健全・堅実な経済運営をやってきたにも拘らず、A国は放漫な経済運営をしてインフレを招き、物価が上がって競争力がなくなってしまったという事実があるわけです。B国というのは、丁度プラザ合意前の日本 のような状態です。

 本来の経済運営から言えば、放漫な経済運営をしたほうが悪いのですが、多くの国が放漫だったので、数を頼んで堅実な経済運営をしてきた国に通貨価値切り上げをやらせるという事でしょう。しかしこれでは、真面目に堅実な経済運営をする意味はなくなります。

 地道なトレーニングで力をつけたら、ハンディを上げて勝てなくする。ゴルフ方式という事でしょうか。しかしゴルフでもそれは仲間内の話しで、プロの試合ではハンディはありません。

 しかも、巨大な国際投機資本などというものがあって、切り上げなど認めようものなら、何をされるかわからない、というのが今の国際経済社会です。

 中国に人民元切り上げを迫る先進諸国は、自分たちのやってきた経済運営についての反省はあまり無いようです。頑張ったものが成果を得るというのが、自由経済の原則ならば、人民元切り上げ圧力は、ただの横車という事になります。

 但し、中国が改革開放前後の1980年代後半から1990年代前半にかけて、人民元を対ドルで半分以下に切り下げたところから、現在の中国経済の発展がスタートしていることを、改めて問題にするなら、その視点を改めて明確にして論議すべきでしょう。