tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

日本的経営と国会論議

2016年02月29日 13時38分43秒 | 政治
日本的経営と国会論議
 たまたま今日、国会中継で雇用が話題になっていたので見ていますと、安倍総理が、衰退産業から成長産業へ労働力を移すことの重要性を強調していました。衰退産業に人材がととどまっていたら日本経済は発展しない、だから「雇用調整助成金を減らして、転職を奨励する補助金を増やした」というのです。聞いて私は情けなくなりました。

 政治家が考えたのか、官僚が助言したのか知りませんが、こうした発言が、如何にも素晴らしいことをやっているといった表情で語られるのは、日本的経営の中で現役時代を過ごしてきた我々にとっては、まさに言いようのない無念さを感じさせるものです。

 日本の経済成長を支えた企業の発展は、衰退企業から成長企業に人材が移ったからでなく、ほっておけば衰退する産業から、時代の先端を行く産業に、企業自体が自らを変えていったからでした。そしてそれを支えたのは、その企業に働く多くの人材(人間集団)が協力し、企業を発展させようとした努力の賜物なのです。

 かつて日本経済を支えた繊維産業で言えば、東レは相変わらずレーヨンを作って衰退企業になっているのでしょうか、炭素繊維の世界トップのサプライヤーです、ヒートテック、浄水用の中空繊維をはじめ、いま世界が必要とするものを次々生産する先端企業です。ベンベルグの旭化成は化学の総合メーカーに脱皮し、CO2を原材料にしたプラスチックまで作っていることはこのブログでも書きました。

 ごく最近の例を挙げれば、富士フィルムは写真フィルムで成功しているのでしょうか。薬品から化粧品まで、優れた経営者のもと企業内の優秀な人間集団が技術・ノーハウの蓄積を生かして、全く新しい企業に生まれ変わって世界に名を馳せています。
 これにつきましては、コダックと富士フィルムの比較をこのブログで書かせていただきました。

 政府は、富士フィルムの優秀な従業員が、富士フィルムを去って、チリジリバラバらに、どこかの化学会社に転職するのが日本企業、日本経済の発展にとってより良い行き方と考えているのでしょうか。

 日本企業には、日本の文化伝統に育まれた独特な企業文化があります。かつては企業別組合は欧米に遅れているとか、年功制や職能資格給は職務中心、成果重視より遅れた制度などと言われました、しかし今では、欧米流の職務中心や成果主義は、日本的な長期的経営の視点から見れば、決して効率的でも合理的でもなく、日本流の「人間中心の経営」が、より人間社会に合ったシステムという考え方も、広く理解されるようになりました。

 これもかつてこのブログで書きましたが、 経営学の泰斗P.ドラッカーが、日本には100年以上続く企業がいかの多いかという世界にまれにみる実情に感激し、その経験と分析が、彼の経営学の基盤の一つになっていることは広く知られています。

 今日、国会中継を垣間見て、日本的経営の知識の惨状ともいえる状況があまりに情けなく、こんなことを書かせていただいた次第です。

格差問題に深い洞察を

2016年02月28日 10時45分31秒 | 社会
格差問題に深い洞察を
 ちょうど1年ほど前、「格差の拡大:マルクスの時代、ピケティの時代」を書きましたが、やはり格差の問題は、世界のあらゆるところで深刻な問題を起こしているように感じます。
 
 資本主義と社会主義・共産主義が対立軸になっていた時代、まだマルクス経済学がサバイバルをしていた時代、人の心の中には、何か格差の拡大に対する違和感や警戒感があったような気もします。

 ベルリンの壁が崩壊し、共産主義が自壊し、地球上を資本主義が覆うようになってから、改めて人類社会に対して「格差の拡大」という問題が大手を振って新たな挑戦を仕掛けてきたような感じがして仕方ありません。

 このブログでは。資本主義が生き延びたのは、ミクロの世界、企業経営においてはいわゆる経営者革命で資本家が後退、経営はプロフェッショナルとしての「経営者」に委ねられるようになったこと、マクロの世界では、「社会保障、福祉国家の概念」が国レベルで具体的な進展を見たことの2つが主要の理由ではないかと考えてきました。

 しかし、「資本」の逆襲はすでに始まっていたようです。その主要な担い手は「金融資本主義」の旗手たちです。
 もともと「資本」そのものには意思はありません。しかし、マルクスの時代と同じように、人間は金(資本)を握ると「強欲」になるようです。
 資本を持った人間が「強欲」になり、さらに巨大な資本を得ようとする。金は使うためにあるのではなく、「規模の巨大さ」を競うためのものになるのです。

 金融資本主義の旗手たちには、それ以外に競い合うメルクマールがないということなのでしょうか。しかしそれは、実体経済の担い手である実業の経営者にも影響を与え、「時価総額」が企業の価値の評価に使われるような現実すら起きています。

 こうした動きを加速するための社会的環境も作られてきているように思われます。政治は金に弱いのでしょうか、より大きな資本蓄積に有利な政策や制度が進められてきているようです。

 アメリカではいわゆるレーガノミックスによって、所得税制の累進が積極的に緩和されました。日本でも累進税率は大幅に緩められてきたことはご承知の通りです。
 マネー資本主義活躍の舞台であるキャピタルゲイン税制は、アメリカは0-20パーセント、日本20パーセント(分離課税)です。

 もちろん格差社会化は、税制だけによるものではありません。雇用構造や賃金制度に大きく影響されます。日本ではこのところ、この問題が大きな課題です。

 問題は、こうした格差社会化が、一国経済、さらには世界経済にいかなる影響を与えるかです。そして、今最も心配されているのは「社会の不安定化」「消費需要の縮小」です。
 格差社会化の進行と、社会の不安定化、消費需要の縮小、経済成長の停滞・・・、こうした問題の根底に何があるのか、深い洞察が、いま、必要なようです。

2016年春、日本経済の立ち位置

2016年02月26日 12時13分14秒 | 経済
2016年春、日本経済の立ち位置
 今日から上海でG20です。世界経済の減速が心配される折から、各国の景気刺激策が主要な問題でしょうが、特に経常黒字国には財政出動などの要請が多いようです。
 もう1つ、アメリカが金融の正常化を進める中で、アメリカはことのほかドル高に敏感になっており、通貨安競争への牽制は強いでしょう。

 $1=¥120が、110円に近づき、日本の株価は低迷、安倍政権には打撃ですが、これを120円がらみに戻したい日本に対して、どんな意見が出るか、注目するところです。
 加えて、日本経済はドイツと並び、大幅な経常黒字国です、日本政府の巨額負債はつとに知れ渡っていますが、この辺りで日本の経済政策にどんな注文や批判が出るのか、あるいは出ないのか、それに日本がいかなる説明をするか、難しいところでしょう。

 G20の参加国がどこまで日本経済を理解しているかは解りませんが、参加国代表が「良く解った、日本は健全な経済成長で世界経済に貢献してくれ」といてくれるような日本の立ち位置の説明ができることを願っています。

 このブログではいつも指摘していますように、日本経済は、基本的には健全な成長路線に向かう動きをしていると思っています。多分放っておいても、徐々ながら誤りのない方向を辿るでしょう。それは勤勉な日本人の真面目な努力の結果です。

 経済成長は、技術革新を核に、それを蓄積した資本を活用して国民(企業・労働者)が市場性のある製品やサービスに仕上げ、国民生活をより豊かで快適なものにするという一連の作業でしょう。
 今、日本人、日本の企業労使は、そのプロセスをきちんとやっています。
 失われた20年で雇用構造や所得構造、産業教育訓練に多少の歪みや遅れが出ましたが、それは労使の努力で時間とともに(遅れ遅れですが)是正されていくと思っています。

 開発された市場性のある製品やサービスは国内の需要、消費につながり、多分、海外でも評価されるでしょう。そのための資源や部品、労働力などは、輸入や海外企業進出で多く賄われることになるでしょう。
 このプロセスを安定的に回すことが日本経済が国際経済社会に貢献する基本的な方向でしょう。

 勿論これは日本だけの問題ではなく、各国がその得意分野においてそうしたプロセスを健全に回すことが、この地球上で各国が共生するための条件です。
 そうした健全な経済活動の具体化に最も近い位置にいるというのが今の日本経済の立ち位置ではないでしょうか。

 ドイツは一国としては日本以上に良い立ち位置にいるのかもしれません。しかし、EUという「国の連合体」の一員であってみれば、その連合体が健全であることに、先ず役割を果たさなければなりません。これは大変です。

 アメリカは世界のリーダーとしての役割を担っています。リーマンショックから世界金融恐慌を救おうとしたFRBの異次元金融緩和の収拾策にも率先して努力していますが、経常赤字国という脛の傷がドル高と相容れないという問題がついて回ります。

 国際投機資本には大変信任の厚い日本です、いかにして日本経済をさらにバランスの取れた健全なものにし、国際貢献を果たせるか、日本の行動が問われる時でしょう。

マイナス金利の功罪6 金融信仰の生んだ鬼子

2016年02月24日 10時46分32秒 | 経済
マイナス金利の功罪6 金融信仰の生んだ鬼子
 このシリーズの最後に、マイナス金利とは何でしょうか? 素直に考えれば、マイナス金利というのは「当面お金には有用性がない」ということの証明でしょう。
 家でも車でも機械でも、人間が有用と感じれば貸して賃貸料が入ります。逆に有用性はないが保存したいという場合には、管理料や修繕費を払わないと誰も管理してくれないでしょう。
 マイナス金利は有用性を失ったお金の管理料というところでしょうか。

 アメリカがリーマンショックを引き起こし、世界金融恐慌かと言われたところを「世界恐慌は金融緩和で回避可能」と信じたバーナンキFRB議長が、異次元金融緩和で乗り切ろうとしたことが事の始まりだったような気がしています。

 世界中でカネ余りになりました。おかげでビジネスチャンスの多い新興国は随分潤いましたが、そうしたコストの安い国々の製品が流入する先進国産業は圧倒的に不利で、産業は不振、低成長経済、資金需要は増えません。
 
 おカネは「価値の貯蔵」という機能を持っていますから、経済活動不振で使わないお金は金融機関に預けておけばいいはずですが、金融機関もお金の使い道(貸出先・運用先)がありません。「大事に預かってくれ」と言われれば、「管理料をいただきます」ということになるのです。

 お金の使い道がない、お金の運用先がない、お金を使ってするビジネスがない、そしてその原因はどこの国でも経済活動が不振であるということですから、これは根の深い問題です。

 こうした状況の下で、「管理料」を高く取れば、「預けないで、使う方法を探すのではないか」というのがマイナス金利の考え方の基本でしょう。
 もともと経済活動のタネがなく企業活動が不活発でカネが余っているのですから、マイナス金利にしたからといって、ビジネスチャンスが簡単に見つかるものでもなさそうです。

 実体経済の成長が金利支払いを可能にするので、その逆、金利をゼロやマイナスにすれば実体経済が成長するという仮説が成立するのには、種々述べてきましたようにそれなりの条件が必要で、条件がなければ、「時間がたつから時計の針が動く、ならば時計の針を進めれば時間がたつ」と同じ、ありえない現実になりかねません。

 検討すべき点はいろいろあるでしょう。しかし基本的な太い線だけたどればこうなるのではないでしょうか。

 「デフレ3悪」で書きましたが、デフレは金融機関の収益を圧迫します。マイナス金利はその収益悪化を預金者の負担に振り替えることです。
すでに金利の引き下げ(マイナスはないでしょうが)、保険会社の保険料値上げなどが言われています。これはさらなる消費縮小につながるでしょう。

 住宅建設のような場合には、低金利は機能するでしょう。超低金利で、来年の消費税引き上げを前に駆け込み住宅需要が起きる可能性はありそうです。これはプラス要因です。
 とはいえ、マイナス金利政策は、基本的には、金融政策過信が産んだ鬼子のようです。

マイナス金利の功罪:5 投機資本に先読みされた?

2016年02月23日 09時42分40秒 | 経済
マイナス金利の功罪:5 投機資本に先読みされた?
 1月29日、日銀はマイナス金利を2月16日から実施すると発表しました。
 マイナス金利とはどういうことかというのは別途論じたいと思いますが、今回の導入の目的は、この発表によって、国際金融市場の「サプライズ」を期待したということでしょう。

 つまりは、国際投機資本が「円が下がる、持っていると危険だ」と思わせ、円安を実現すること、本来であれば金融政策の手段を「為替政策」に使ったわけです。

 過去二回の異次元金融緩和も結果的にはそうだったことはすでに述べてきましたが、これ以上の金融緩、3匹目のドジョウはいないだろうと思われる中で、EUでもやっているマイナス金利に金融政策の選択肢を変えてみたという感じです。

 しかし、120円がらみでは、日本の物価は国際的に見て「もう高くない」という状況の中で、「それ以上の円安にしよう」という試みは、客観的に見ても些か無理でしょう。

 確かに国際投機資本はちょっと慌てたかもしれませんが、この不安定な世界経済情勢の中で、やっぱり安全通貨は「円」としか判断できないということで、円安はまさに「三日天下」の様相でした。そうなれば投機資本は円高を試します。その結果は現状です。

 2月12日の安倍・黒田会談で何が話されたかは解りませんが、政府にとっても、日銀にとっても、円のジリ高は最も懸念するところでしょう。もちろんtnlaboも懸念します。
 しかし、今の国際情勢と日本経済の現状(たぶん国際的に最も信用できる経済)を考えれば、円高の進行を阻止するためには、 小手先の策では無理でしょう。

 本来、マイナス金利というのは正常な経済状態ではありえないものです(次回論じたいと思います)。現状の日本経済は、国際比較すれば、間違いなく正常な部類に入るでしょう。その点からいえば、マイナス金利はもともとそぐわない政策だったようです。

 少し余計なことまで言えば、国際投機資本の思惑で日経平均は円レートとほとんどパラレルな動きを見せるというのが現状です。
 そして、現政権は、異次元金融緩和で円安と株高が実現したことを最大の成功として喧伝しました。 GPIFの株式運用を増やすという「勇み足」もやりました。

 本来、株価は「実体経済」回復の「おまけ」なのです。しかし、かつてAMAZONが利益がでなくても株価が高かったように、株価は先読みもします。先読みで上がった日本の株価に応える(?)ためにも、日本経済の「実体」改善が現政権に今求められる仕事でしょう。

 日本の実体経済が確りとバランスのとれたものになれば、円レートも株価も、落ち着くところに落ち着くのです。
 日本の実体経済のバランスの取れた健全化のために、このブログでは、金融政策の限界を指摘し、 「社会的」経済政策を言ってきたつもりです。

マイナス金利の功罪:4 金融緩和は為替レート変更の手段になった

2016年02月22日 10時31分43秒 | 経済
マイナス金利の功罪:4 金融緩和は為替レート変更の手段になった
 今回日本経済を復活させた金融緩和策を見ますと、まず2013年4月の第1回の「異次元緩和」は常識破りの巨額(2年間で140兆円)のお金を国債購入などで市場に流すというものでした。

 それだけお金を市中に流したのだから企業が喜んでそれを使って仕事を始めて経済活動が活性化するというのが、本来の量的緩和の意味ですが、現実は少し違ったようです。
 では何が起こったのでしょうか。起きたのは「円安」でした。

 異次元金融緩和で日本経済が復活したのは、お金が潤沢に回ったからというよりも、$1=¥80が、$1=¥100になったことです2割の円安は海外から見れば、日本の物価とコストが一律2割下がったことになります。
 そして円安になった原因は、国際投機資本が異次元緩和に驚き、円が下がったら大損だと慌てて円を売ったからです。異次元緩和は国際金融市場に「サプライズ効果」を持ったのです。

 プラザ合意とリーマンショックで1ドル240円が80円まで円高になり、製造業中心の日本経済は苦しみ続けましたが、ほっと一息です円安の為替差益で企業の利益は膨らみ、株価も回復です。
 しかしまだ企業はその効果がいつまで続くか半信半疑ですから、直ちに企業活動を活発化するには至りません。

 日銀はさらに2014年10月末、異次元緩和の第2弾を実施しました。今回は国債だけでなくETF(上場投信)やREIT(不動産投信)の買い入れも加えまさに異常な金融緩和を実行したのです。国際投機資本は「再度のサプライズ」でこれに反応、$1=¥120の円安が実現したのです。

 この2回の金融緩和は国際投機資本の意表を突いたものであったと同時に、それまで国際的に見ても無理な円高を強いられていた円レートを、いわば正常なレベルに戻したというものであったため、有難いことに目立った円高への揺り戻しはありませんでした。

 こうして1985年以降の円高時代は終わり、日本の製造業の国際競争力は回復し、インバウンド(国内市場向け)と言われる国内需要も、観光客増加や爆買いに象徴されるように様変わりになりました。

 確かに日銀の異次元金融緩和で日本経済は復活しました。しかし、これは、通貨の量が増えたことが経済活動を活発にしたのではなく、異次元金融緩和に反応した国際金融市場が円安を齎してくれたこと(為替レートの変化)によるものです。 本来の「金融を緩めれば経済活動が活発になる」という金融政策とは「似て非なるもの」でしょう。

 こうしたことが可能になった原因は、国際金融市場は常に短期のキャピタルゲインの極大化を追い求めているため、主要国の金融政策には極めて敏感に反応するという、変動相場制、それに加えて金融工学の異常な発達を逆手にとって巧みに利用したからです。

 バーナンキのFRBがやってきたことを日本も真似して、為替レートを正常なものに戻したという「今の国際金融システムだから可能」という為替レート変更策を「金融緩和」という形で実現したというのが正確な表現と言えそうです。

 それでは日銀が流したはずの巨額な貨幣はどうなったのでしょうか。実はその多くは、市中銀行の日銀当座預金となって使われずに積み上げっているのです。

 この金を企業や消費者が使って初めて本来の金融政策としての効果が出るのですが、それには社会全体の雰囲気が変わり、すべての企業にビジネスチャンスが増え、消費者がぜひ買いたいと思う商品が増えなければなりません。

 まだ、企業も消費者も今のこの状態が安定したものと自信が持てないのでしょう、市中にお金が余っていても、積極的それを使うことに二の足を踏んでいる様子です。
 これがマイナス金利政策につながったようです。

マイナス金利の功罪:3 「経済→金融」から「金融→経済」へ

2016年02月21日 10時13分32秒 | 経済
マイナス金利の功罪:3 「経済→金融」から「金融→経済」へ
 もともと金融というのは。実体経済の活動をよりスムーズにより効率的にするために活動してきたのでしょう。
 例えば「使われていないお金」を銀行に預ければ、銀行はそのお金を「金はないけれど仕事がある人」に貸し付けて「生かして使う」ようにするといった具合です。

 仕事のある人は借りたお金で仕事をして利益を上げ、その中から金利を銀行に払い、銀行はその一部を預金金利として預金者に支払う。
 金融は「経済活動の血液」とか「経済活動の潤滑油」とか言われるゆえんです。

 これは「経済→金融」という段階です。経済が順調に活動できるように金融がフォローするという段階です。
 これを逆手にとって、「お金を増やせば経済活動が活発になる」と考えるのが金融政策で「金融→経済」の段階です。

 油の切れた機械にちょっと注油すれば、たちまち機械は動きだします。「動いたぞ!」と各部分にさらに注油すると機械は完全に順調な動きを取り戻すでしょう。
 しかしそれ以上注油しても、それ以上の効果はありません。

 ビジネスチャンスがいっぱいあるのに、資金がなくて、という状態の時、金融緩和、つまり貨幣の供給量を増やせば、経済は活発に動き出します。生産が増え、GDP(付加価値)も増え(経済成長)利益も上がり好況になります。

 これは貨幣の量の調節ですが、金利(質)の調節でも効果は期待できます。あまり儲かりそうにない仕事だが、安い金利で金を借りられれば儲かる、という場合には、金利を下げれば経済活動は活発になります。お金が余れば金利が下がるという相乗効果もあります。

 しかし、ビジネスチャンスがないところに、いくら金融緩和をやっても経済は活発になりません。機械が100パーセント順調に動いているところにさらに注油したり、質の良い油をやっても、110パーセント、120パーセント動くことはありません。
 これが「流動性の罠」などと言われた状態です。本来の金融政策の限界です。

 ところが今日のような「貨幣の価値が金融市場で決まる」という通貨のフロート制(変動相場制)の時代には、状況がいささか変わります。

 具体的な例をあげましょう。2012年まで、日本経済は失われた20年と言われた低迷状態でした。円高ですから、輸出しても儲かりません。円高の日本には観光客も来ませんから、鉄道もホテル・旅館もタクシーもお客は増えません。

 日本政府は、赤字を積み上げながら財政支出で後押しし、金融緩和で倒産を防ぎ、市中のお金をジャブジャブにしても、不況は続き、まさに「流動性の罠」が論議される状態でした。
 ところが、日銀が金融の「異次元緩和」をやった途端、日本経済は息を吹き返しました。いわゆる二発の黒田バズーカ(国債などを日銀が購入して通貨供給を増やす)で日本経済は息を吹き返しました。

 なんだ、金政政策というのはこんなに効くのか、と日本中が驚き、安倍政権は、三本の矢の1本目の効果は絶大でアベノミクスの大成功と自画自賛しました。
 
 これは現実に起こったことですが、本当に「金融の緩和」がそれほど絶大な効果を持ったのでしょうか。次回、そのあたりの真実を見てみましょう。

マイナス金利の功罪:2 価値基準「金」からの離脱と金融市場

2016年02月20日 10時01分39秒 | 経済
マイナス金利の功罪:2 価値基準「金」からの離脱と金融市場
 かつては通貨の基本は金でした。金は錆びなから減らないという理由でしょう、選ばれて貨幣・通貨になりました。
 金は基本的にはモノですから、金を貨幣に使えば、ある意味では物々交換です。しかし金は「減価しない」という特徴から、金の価値を基準にして、それ以外の価値を測ると便利ということになったのでしょう。

 こうして金をベースに貨幣の3つの機能「価値の基準」「交換の手段」「価値の貯蔵」が生まれました。その結果世界中の人が金を探し求めました。金を掘り当てれば金持ちになれるからです。
 しかし金の生産量(もともと賦存量)には限りがあります。金の生産より経済の拡大のほうが大きくなると通貨が足りなくなります。
  
 金の量という制約を脱出するために金に交換できる兌換紙幣が生まれました。その頃は人間はまだ真面目でしたが、人間には欲があります。勝手に紙幣を印刷してお金を増やす政府なども現われ、最後は1971年基軸通貨の ドルが金と縁を切って、世界は完全にペーパーマネーの時代に入りました。

 ペーパーマネーの価値はだれが決めるのでしょうか。貨幣を発行する国の信用力が保証するというが理屈でしょうが、そんなものは正確には誰も測れません。結局基軸通貨のドルに対する為替レートという形で、国際金融市場が決めることになっています。

 そこで「マーケットは正しいか」という問題が起こります。為替相場に影響を与えるような巨大な機関投資家もいたりして、未曽有の混乱状態です。かつては、それでもドルの信用という形がありましたが、サブプライム・リーマンショックで アメリカの証券の信用は地に堕ち、「有事のドル」から「さしあたって円買い」などと、どこの通貨を信用するか、マーケットのプレーヤー達も揺れ動いています。

 今の為替は「フロート制」などと言われますが、正に波のまにまに揺れ動く不安定なシステムで、その不安定な価値の変動を前提にビジネスをすることになった企業は、本当に大変です。私は「伸縮するメートル」原器を基準に構造物の設計をするようなものと感じます。

 今の金融政策は、こうした不安定さの中で、何とか一国経済を健全に成長させ、さらには、予期しない為替変動なのでとんでもない大損などしないよう防御をしつつ、出来るだけ安定した一国経済を維持しようとする努力ということになるでしょう。

 では、今の日本にとっては何が一番問題で、その解決のために、マイナス金利がどんな役割を果たせるかということになります。

マイナス金利の功罪:1

2016年02月19日 14時21分20秒 | 経済
マイナス金利の功罪:1 経済と金利の関係
 マイナス金利が世界的に議論のテーマになっていますが、金利というものの「本来の性質」からマイナス金利問題を考えてみましょう。

 まず、なぜ金利がつくかです。「ヴェニスの商人」で明らかなように、キリスト教では昔は金利を取ることは認められていませんでした。同じルーツを持つイスラム教では今でも金利は認められていません。

 経済思想史ではプロテスタンティズムの勃興とともに金利が正当化されることになったといわれますが、これは産業革命、「経済成長の一般化」と関係があるのでしょう。

 中世のように何百年も経済成長ほとんどない世界で、つきあいのあるのは親戚知人ばかりという社会状態の中では、お金を貸すのは親切な行為で、返礼は「感謝」の気持ちということが当然だったのでしょう。今でも兄弟や友人に金を貸した場合、誰も「金利は何パーセント」などと言わないでしょう。

 しかし、経済が成長を始め、社会が広がり、カネを貸した相手(アカの他人)が、それで大きな利益を上げるといったことになると、自分が利益を上げるチャンスを相手に渡してしまうことになるので、相手の儲けの中からいくばくかの金利をもらっても当然ということになったのでしょう。

 金利というのは、もともと、経済成長のあるなしと、お金を貸す相手が、身内か他人かといった要因で決まってくるように思われます。
 
 ところで今の金融システムではカネの貸借は他人同士ですから、金利に関わる条件は、基本的に経済成長ということになります。
 そこで、経済と金融の関係を考えていく中から、「金融政策」が生まれることになります。

 そして、金融政策の考え方というのはどうなるかですが、もともと金融というのは、実体経済に従って動く従属変数の様なものです。
 たとえば、経済活動が活発になって、いろいろな取引が沢山行われれば、取引に必要なお金(通貨)は沢山必要になります。それで儲けが大きくなって、金利が相変わらず低ければ、カネを借りて商売をしても利幅が大きいので、経済活動はますます活発になるといった具合です。

 そこで、そんなに儲かるならもう少し利息を上げようということで、利息が高くなりますと、今度は商売の方は利幅が減りますから、あまり手を広げないという選択をして、結果は経済減速です。

 こうした金融、流通する通貨の「量」と「金利(質)」の水準が、実体経済とどういう関係にあるかを見て、それを政策に応用しようというのが、金融政策の基本的な考え方になるのでしょう。以下次回

コンセンサス社会日本と社会経済政策

2016年02月18日 12時05分39秒 | 経済
コンセンサス社会日本と社会経済政策
 前々回の続きです。 前々回の最後にも書きましたが、日本は聖徳太子の昔から「コンセンサス社会」です。
 十七条の憲法の第一条の冒頭が「以和為貴」(和を以て貴しと為す)であることは皆さまご承知の通りです。
 そしてこれは、さらに遡れば、戦がなく、多様な人々が平和に共生していたといわれる縄文時代からの日本の伝統文化の中で醸成されてきたものなのでしょう。

 かつて、日本的経営が世界から注目されたころ、海外からこんな風に言われました。日本の意思決定は遅いように見える、しかし一旦決まった後はその実行は実に早い。
 決まった時はみんなが合意しているからスムーズに実施できるのです。

 今は日本企業でも経営も短期的、近視眼的になってきたようで、コンセンサス方式は流行らないと思う人も多いようですが、本来は経営そのものが長期的視点でないと長期的な成功は出来ないもの。
 戦後の日本経済の成長は「コンセンサス方式」によって支えられてきました。

 戦後の日本の貴重な経験の中に、2度の石油危機を世界に先駆けて克服したしたという実績があります。
 その時のことは、このブログでもいろいろな角度から取り上げてきましたが、世界を驚かせた成功の秘訣は「コンセンサス方式」でした。

 欧米主要国では、基本的に「労使は対立するのが健全な在り方」という認識が一般的で、話し合って共通な考え方に至るなどというアプローチはないのが普通です。労使交渉は対立しつつ、力関係や、客観情勢で致し方なく妥協して決着するのです。

 1970年代の後半から80年代にかけて、OPECによる大幅な原油価格引き上げによる二度の石油危機の後遺症で欧米主要国がインフレやスタグフレーションに苦しんだころ、日本は労使の話し合いを徹底して進め、政府はそれに協力して、経済合理性に叶った対応策を取り、 いち早く苦境からの脱出を果たしたのです。

 当時、労使の代表組織である労働4団体や金属労協と日経連の間では多様なチャネルで公式非公式の対話の機会があったようです。
 そしてそれに加えて、労働大臣の私的諮問機関で「産業労働懇話会(産労懇)」という「場」がありました。

 これは戦後「経済の奇跡」ともいわれたエアハルト時代の西ドイツの「協調行動」を参考に作られたようですが、日本流に改変され、極めて頻繁な毎月1回ほどのペースで、公・労・使・官の関係者が集まって、様々な意見交換をするシステムでした。

 当時労働省で所管していた方からお聞きしたことがありますが、首相も出席し、各界代表から自由な意見が飛び交っていたのと同時に、会の前後に、休憩室のソファで非公式の本音の意見交換が常に行われていたという状況だったとのことです。
 ああした、頻繁で直接的なコミュニケーションがコンセンサス作りに大きく役立っていたのではないかというのが率直な感想とお伺いしました。

 日本人が好きなコンセンサスの醸成には、それだけのコミュニケーションのための場所と頻度と努力が必要なのでしょう。
 政労使の話し合いは、去年はあったようですが、今年は労働組合には話がなかったと聞いています。

 参加がなければコンセンサスは生まれません。新3本の矢でも、最も不足しているのは、労使や国民との多様、多頻度のコミュニケーション、それによるコンセンサスづくりの努力ではないでしょうか。

2015年10-12月のGDP速報

2016年02月16日 12時04分17秒 | 経済
2015年10-12月のGDP速報
 内閣府が昨日、2015年第4四半期(10-12月)GDP速報を発表し、「内閣府が15日に発表した2015年10-12月期の実質国内総生産(GDP)は前期比0.4%減で、年率換算では1.4%減だった」といった報道が見られました。

 4-6期はマイナスで、7-9月期はプラスでしたが、またマイナス、政府は安定成長の基調に変わりはないといいますが、国民の気持ちは何となく晴れません。

 10-12月期は暖冬で冬物の需要が低迷、0.4%の内訳は、内需はマイナス0.5%、外需が0.1%のプラスで結局差し引き0.4パーセントのマイナスです。 何かさえないで日本経済すね。

 確かに、内需不振、特に消費需要の不振は、どう見ても明らかです。需要のないところに経済の拡大はありません。
 今の日本経済は「成長のカギは消費拡大にあり」というのは明らかです。しかしGDPマイナスなどと聞けば、財布の紐はますます固くなるでしょう。

 それを緩めようというわけではありませんが、短期の統計に一喜一憂せず、長期の傾向を見ようという立場で、対前年同期比の数字(実質)を見てみます。

 2015年の1-3月期から10-12月期までの4四半期のGDP対前年同期比の数字の動きは順に、-1.0% +0.7% +1.7% +0.5% です。消費増税の影響が消えた今年度に入ってからは 1年前に比べれば、上げ幅は小さいですが、着実にプラスであることが分かります。

 これだけ真面目に働いているのだからプラスは当然ともいえますが、いくら働いてモノやサービスを生産しても、買ってくれる人がいなければ売上高にもGDPにもなりません。
 経済成長というのは、生産と需要がバランスのとれた成長をして初めて実現します。

 2015年10-12月期の対前年同月比の消費支出(実質)を見ますと、民間最終消費支出-1.1%、家計最終消費支出-1.2% 持ち家の帰属家賃を除くと-1.7%です。
 自宅に住んでいる人は現実には家賃を払いませんから、-1.7%が現実感覚ということでしょう。

 民間住宅、民間企業設備(実質)の対前年同期比は、それぞれ +4.7% +3.7%と伸びています。しかし需要の6割強を占めるのが消費支出です。

 暖冬で冬物需要が少なかったにしても、消費支出の減は異常です。この問題についてはこのブログは繰り返し採り上げて来ていますが、統計数字上からも、日本経済の問題点がますますはっきりしてきたように思われます。

人間中心の社会と経済の関係に目を:2

2016年02月14日 09時16分49秒 | 経済
人間中心の社会と経済の関係に目を:2
 日本人はまじめで勤勉な国民だということを折に触れて書いていきました。その故に日本人としては自然(当たり前)な行動が国際的に驚嘆されるようなことも起こります。
 春闘についてみても、大抵どこの国でも労働者の利害を主張する労働組合が、日本では、 企業の将来、国の将来を考えた行動をする国です。

 その日本で、何かこの所、経済・社会が「調和を欠き、格差社会化が進み」、国民の多くが違和感や不自然さを感じています。このまま進むことには、何か不安感があるようです。

 恐らく、今必要なのは、日本の「経済社会」を、その基礎から健全なものに築き直す作業ではないでしょうか。なれば、それは国民の心に働きかける政策、人の心を対象にした「 社会的経済政策」が必要ということでしょう。

 例えば、新3本の矢、(1)希望を生み出す強い経済(2)夢を紡ぐ子育て支援(3)安心につながる社会保障、具体的にはGDP600兆円、合計特殊出生率1.8、介護離職ゼロ、ということのようですが、この達成のためには「格差の少ない社会」の実現が必須でしょう。

 北欧諸国は、付加価値税(日本の消費税)を中心にした大きな国民負担率政策でその実現に成功しています。日本の政府はそこまで 国民に信用がないのか、消費税増税は常に逆風で、北欧並はとても不可能です。
 日本で可能なのは、政労使の話し合いなどをベースにした、国民参加(全員参加)型の「コンセンサス方式」による政策作りでしょう。
 
 日本が二度の石油危機を世界に先駆けて乗り切った背後には、それがありました。欧米主要国では不可能とされていた国民のコンセンサス方式が「 日本では可能だった」ということが、エズラ・ボーゲルをして『ジャパンアズナンバーワン』を書かせたという見方も可能でしょう。

 安倍さんは「決める政治」といいますが、政府が良かれと思って一方的に決めても、国民の共感を呼ぶことは不可能です。

 日本は、聖徳太子の昔から「和をもって貴しとなす」国です。「和」、「自然との調和、人間同士の調和」が日本人の「研ぎ澄まされた自然感覚」の中で貴ばれる国なのです。

人間中心の社会と経済の関係に目を:1

2016年02月13日 09時14分05秒 | 経済
人間中心の社会と経済の関係に目を:1
 このブログではいつも指摘していますが、世界の国々の中でも日本人は真面目で勤勉、ギャンブルなどには嫌悪感が強く、勤労を尊ぶ性格のようです。
 その結果、日本の経済や社会は、比較的安定した成長を維持できるような性質を基本的に持っているように思います。

 また日本人は文字通り「自然」が好きなようです。海や山といった「天然の自然」も、人間関係や社会の在り方でも「自然」が好きで、「不自然」を嫌います。自然との調和、人間同士の調和を「自然」なものとして受け入れる感覚が生きているのでしょう。

 今、日本経済や社会が、何かおかしいのは、多くの人たちが、今の社会の在り方に違和感というか、何か「不自然さ」を感じているからではないでしょうか。

 経済環境で言えば、$1=¥120がらみが自然(購買力平価から見ても)のようで、この点では過度の円高の不自然さは解消されました。(この所の急激な円高はまた些か問題ですが)ということで、為替環境では、大きな不自然さは無くなってきて、日本経済正常化の条件は整ったのですが、国内の企業構造、雇用構造、所得構造などの社会構造の歪み(不自然さ)の方はなかなか直りません。

 本来ならば、政府、企業、労働組合が協力し合い、かつてのような格差の小さい安定した社会構造に戻るよう努力をし、国民の感じる不自然さ、居心地の悪さを払拭して、日本人の健全なバランス感覚を回復し、本来の勤勉さを取り戻すべきところです。
 しかし、企業収益が改善し、株価が上がり、「日本良い国」と外国人が大勢来るようになっても、何か今の日本社会には違和感、不自然さが残ります。

 どうもその根底には「格差社会化」があるようです。もともと日本人は「調和」を大事にしますから格差社会には敏感です。ところが、この所「金持ち父さん、貧乏父さん」などと言われたり、「下流老人」「貧困家庭」などという言葉が多く聞かれます。多くの国民が、日本社会の現状に、何か調和型社会から外れた「不自然さ」を感じていることの証左のように思えます。

 今の政府は、円安実現という実績を誇示しますが、その実績の上に何を築くかという点で、どうも国民の心を的確に掴めていないようです。
 財政政策、金融政策で何とか出来ないかと懸命になっていることは解りますが、国民の心の問題は単純な経済政策では解決できません。
 そのうえ、財政政策は巨大な政府負債で行き詰まり、金融政策はマイナス金利が裏目に出ているようです。

 最近、今の政策では将来の不安感ばかりが先に来て、何はともあれ貯金して自分の生活を守ることが先決になってしまう、といった意見をよく耳にします。この辺りが消費不振の元凶でしょう。

 安倍政権のスローガンは華やかですが、いまひとつ国民の心を掴めていない感じです。何が足りないのでしょうか。(長くなりますので以下次回)

ソロスの予言「中国のハードランディングは避けられない」

2016年02月11日 10時24分39秒 | 経済
ソロスの予言「中国のハードランディングは避けられない」
 今日は建国記念の日で、日本の市場はお休みです。でも円高は続いているようです。ソロス氏に「円はもう上がらない」なんて言ってほしい人もいそうですね。

 ソロスという人を知っているわけはありません。哲学者、慈善家・・、多様な活動の人のようです。でも、私の知識の範囲では、彼の本職はマネーゲーマーでしょう。

 ネットで拾えば、彼の華々しい業績として「ポンドを売り抜いてイングランド銀行を打ち負かした男」とか、「アジア経済危機を演出した男」、そして今回の「中国経済崩壊予言」などが出てきます。

 ソロス氏が学者だったり、評論家だったり、単なる預言者だったりするというのであれば、それはそれでいいのかもしれません。
 しかし、彼はそうした発言をするだけでなく、自ら為替市場や株式市場で売買をして膨大な資産を蓄積しているというのです。

 今の投機が主体の国際金融市場では、インターネットや高速コンピュータ、そして金融工学の発達によって、巨大資本所有者は、信用取引、特に空売り、naked short selling などによって、超巨大な売買が可能になるのでしょう。

 そうでなければ、ポンドやアジア通貨売りで一国経済に大打撃を与えるようなことはできないでしょう。巨大資本とマスコミのおかげで相場の操縦が出来そうな気配です。

 中国崩壊発言にしても、「ソロスが言った」とマスコミが書けば、世界の投機市場は動くでしょう。提灯を付けた投機筋も沢山いるようです。たとえ中国経済が崩壊しなくても、ソロス氏の発言をきっかけに、上海市場で株価が下がる事態は当然起こります。
 ソロス氏はそれだけで大きな儲けを手に出来るのでしょう。

 ソロス氏が学者や評論家ではなく、現実にマネーゲーマーだということを考えると、現在の金融マーケットではこんなゲームが出来るということは、矢張り、どこか、何かがおかしいのではないかな、などと思うのは私だけでしょうか。

金融政策の限界を理解しよう

2016年02月08日 10時33分44秒 | 経済
金融政策の限界を理解しよう
 経済政策としては伝統的に財政政策と金融政策が柱になっています。
 日本では、国債の大量発行で国債残高は1000兆円超(GDPの2倍)となり、財政政策は困難ということで、このところは金融政策で経済の活性化を図ってきました。
 
 この効果は極めて大きく、2度にわたる、いわゆる日銀の異次元金融緩和で2013年春には$1=¥80から100円へ、2014年秋には$1=¥100から120円への円安が実現しました。
 プラザ合意、リーマンショックによって異常な円高に追い込まれていた日本経済は、これで息を吹き返したというのは、皆さんが現実に経験されたところです。

 ところが、日本は世界最大と言われる1600兆円の民間貯蓄を持ち、さらに毎年GDPの3パーセント前後の経常黒字を出しているというころで、何はともあれ「円は安全通貨」という認識は世界の金融業界、国際投機資本の中では定着しています。

 以前は「有事のドル」と言われ、何か国際経済の不安があればドルが買われたあのですが、アメリカは万年赤字国になり、また軍事力の時代でもなくなったのでしょうか、今は何かというと「さしあたって円買い」ということになっているようです。

 日本としては、折角円レートがいい水準に来たのに、また円高になったら元も子もなくなるということですから、何とか$1=¥120あたりで維持したいと考えます。
 現政権も「アベノミクス」の成功のためには、円高は最大の障害と考えているでしょう。ということで、今回の日銀のマイナス金利導入も円高阻止の一策です。

 ところが、発表直後は効果覿面かと思われたマイナス金利も、数日で色褪せてきてしまったようです。
 今の金融市場は、ごく短期の損得勘定が中心ですから、日銀がいつ何をやるかと神経質で、何かあると過剰反応し、ビジネスチャンスを拡大して活用するようですが、基本的なものか一過性のものか、それなりに見分けているようです。

 今回のマイナス金利は、それで日本経済が大きく変わることがないようだと理解すれば、効果は一過性で、あとはもう手がないのではないかと逆に円高を試すことになるのでしょう。

 もともと金融政策というのは、財政政策のように、実体経済の直接働きかけるものではありません。金融という手段で間接的な影響を求めるものです。

 異次元金融緩和にしても、金融緩和で実体経済が動くのではなく、まず金融市場(投機筋)がびっくりして円レートの水準が円安に変わり、それが実体経済に影響を持ったというのが実態です。新しい為替レートを主要国が受け入れれば投機筋は手を引きます。
 
 しかしそれを3回もやったら、為替操作と言われること必定です。それでECBもやっているからと今度はマイナス金利ということなのでしょうが、130円、140円の円安はないと読まれてしまえば、効果は一過性で、こうした結果になるのではないでしょうか。

 黒田総裁は、「まだ手段はいくらでもある」と言わなければならない立場でしょうが、実体経済の健全性を前提に考えれば、金融政策もそろそろ限界でしょう。
 財政政策も金融政策も限界ならば、第三の経済政策を考えなければなりませんが、経済学の教科書には書いてありません。

 安倍総理は「1億層活躍」をキャッチフレーズに、新三本の矢を掲げ、国民を元気づけようとしていますが、「そんな社会になれば結構」と思っても、現実にやっている政策と目標が「どう繋がっているのか解らない」という声ばかり聞こえてきます。

 「1億層活躍」「GDP600兆円」達成のために、安倍政権は具体的に、一体これから何をやろうとしているのでしょうか。