tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

「自動運転車」考

2016年09月30日 10時51分29秒 | 科学技術
「自動運転車」考
 自動車業界、ドライバー仲間、各種交通機関、道路交通取り締まりから交通法規立法の分野まで、最近の話題は「自動運転車」が中心の様相です。

 もともと自動車(automobile)は「自分で動く」という意味ですから、自分で動いて当たり前ですが、動くのは自分でも、その動きをコントロールするのは運転者という機能分担になっていたのが今までの自動車だったという事に気が付きました。

 そこで自動車ではなく「自動運転車」という言葉が出来たのでしょう。2020年には高速道路では自動運転が可能になり、2025年には一般道でも、などという予測がされています。

 アベノミクスの経済予測と違って、こちらの方は結構予測が当たる可能性もあるのかもしれません。
 そうなると運転者はいなくなって、乗客だけが存在するという事になります。自家用車を運転する人にとっては問題ないでしょうが、運転を職業にしている人は失業という事になるのでしょうか。かなり深刻な問題のようにも感じます。

 自動運転車を持つという事は、自家用運転手付きの車を持つという事になるのでしょうか。しかも賃金支払いの必要はありません。
 自宅の車庫で車に乗って、行く先を入力すれば、あとはTVを見ていても、お酒を飲んでいても、時間がたてば目的地についているということになります。

 多分、運転免許証などはいらなくなるでしょうし、飲酒運転なども問題にならないという事でしょうか。

 しかしそうなるまでには、自動運転車の開発だけでなく、各種交通インフラも含めた総合的な徹底した整備が必要になるのでしょう。一般道でも高速道路並みのインフラ、車線の表示や歩道の整備、自動運転にはなりそうもないバイクや自転車との調整、駐車や駐輪との関係もきちんとしたルールを整備し、それが守られないといろいろ問題が起きるでしょう。
 自動運転装置のハッキングや妨害電波などは重大な犯罪という事になるのでしょう。

 本格的な自動運転の一般化には、いろいろと問題があり過ぎるような気もしますが、かといって、自動運転技術の開発でリードすることは、これからの最重要課題の1つで、やっぱりやらなければならないことでしょう。

 そしていつかは、交通インフラも含めて、社会的な総合システムとしての本当の自動運転の時代が来るのでしょう。
「運転する」という楽しみは、どこか別の分野でやることになるのでしょうか。

 でも私の時代は、まずは安全運転に最大の努力をすることだと思っています。

小池都知事の所信表明「責任の所在の明確化」が鍵

2016年09月29日 12時12分07秒 | 政治
小池都知事の所信表明「責任の所在の明確化」が鍵
 昨28日、小池都知事の「所信表明演説」が行われました。
 都議会では異例の「全くヤジのない」状態だったという事も含めて、状況も、内容も、いままでとは大きく違った新しいもので、多くの都民からの評価も極めて高く、マスコミも総じて高評価のようです。

 好評だった理由は、矢張り率直に本当の事、「本当に必要な事」をズバリと表現したことにあるのでしょう。
 特にオリンピックにも関連の深い豊洲の問題について、

「誰が、いつ、どこで、何を決めたのか。何を隠したのか。原因を探求する義務が、私たちにはあります。」

という下りが「鍵」と感じました。
 このくだりは、いわゆる政治や行政という民間と違った社会に民間であれば当然の常識を持ちこんだ点で、まさに画期的なものだったように思われます。

 例えば、民間の企業では、国際的超大企業から地場の中小企業まで、製品やサービスに不具合があり、それが問題になれば、その原因を究明し、どこでどのように発生したかを突き止め、それを除去しないと仕事は成り立ちません。

 このブログでも、古くは「 付加価値率を上げる経営」の特性要因図、最近では「 5回のナゼ、なぜなぜ分析の効用」などで、価値の連鎖の失敗が「どこで」また「どんな原因で」発生するかを明らかにし、失敗の原因を「元」から絶つことが最も重要と指摘してきたつもりです。

 こうした民間企業では当然に必要な「原因の特定」、「責任の所在の明確化」が、企業と同じように目的(都民の生活の安定・向上)を持った人間集団である都の議会や行政といった場所でキチンと行われていなかったとすれば、その方が正に異常なのです。

 小池都知事が指摘したのはまさに民間企業の常識を、都庁でも、さらに拡大解釈すれば、「政」や「官」一般にも、当たり前の常識とし実行されるようにしていきましょうという事ではないでしょうか。

 「官」には、官と民とは違うという意識が強いことは私自身も折に触れて感じてきていますが、官も民も同じであるべき所は同じにすることが出来るかどうかが、あらためてとわれていると感じると共に、小池都知事がそこにはっきりと切り込んだことに、改めて市井の片隅から敬意を表すところです。

アメリカはどこへ行く

2016年09月28日 10時59分24秒 | 国際政治
アメリカはどこへ行く
 アメリカの2人の大統領候補者の第1回のTV討論会がありました。
 討論のやり取りは、矢張り予想したように、どうにも情けないものでした。

 これまでの選挙戦のプロセスでも、真剣にアメリカをどう作っていくかを深堀りするような論争よりも、なぜか極端な発言や、単純に自分が適切といった主張、さらには相手方に問題があればそれをあげつらう非難の応酬、発言の中での揚げ足取り、などなどが目立つように感じてきていました。

 世界の覇権国の大統領候補の選挙戦としては、もう少し、アメリカの国づくり、世界の中でのアメリカの果たすべき役割などの、アメリカ国民は勿論、世界も注目するであろう重要課題になどについての洞察力のある意識が視聴者に伝わるようなものを、多少は期待したのですが、とてもそんなレベルのものではありませんでした。

 例えば、日本についても、守ってもらうのなら金を払え程度の論議で通り過ぎているだけです。
 TPPについても、アメリカ主導で始めたことについて、結果的には両候補とも反対という事になっています。その理由も単に得票目当ての感じです。

 マスコミや評論家の発言も、どうしたら勝利に近づくかといったことが中心で、何はともあれ、勝てばいいといいうのが選挙戦といった感じを受けてしまします。

 日本には大統領選はありませんが、例えば国政選挙で、こうした皮相な論議や非難の応酬が目立つような選挙戦になったら、多くの人は世も末と思うのではないでしょうか。

 過日も、 先進国とは何かという趣旨の事を書かせて頂きましたが、地球人類の安定と進歩のために、先進国こそが真剣にその役割を考えなければならない時なのに、などつくづく考えてしまいます。

 次回以降の討論会で、も少し深みのある討論がされることを心から願っています。

この所の日本企業の動きを見る

2016年09月27日 12時18分55秒 | 経営
この所の日本企業の動きを見る
 皆様も多分肌で感じておられると思いますが、今年に入っての日本経済の動きはどうもパッとしません。
 年初から日経平均が水準を大幅に下げたことも影響していると思いますが、日経平均の動きにしてもそのもとは企業の収益状況という事でしょうから、時には企業統計も見ておきましょう。

 日本には素晴らしい企業統計があるのです。財務省の「法人企業統計」がそれで、企業の財務(バランスシート)、収益(損益計算書)状況が、業種別・規模別に詳細にわかります。
 この統計には詳細な「年報」と速報性を重視した「季報(四半期報)」があります。調査対象は国内全法人企業(以前は金融保険業は除かれていましたが、今は「金融保険業を除く」と「金融保険業を含む」と両方があります。

 ここではその中から今年に入っての状況を端的に示していると思われる法人企業統計季報から、直近の5四半期の「売上」「経常利益」「設備投資」「人件費」の「対前年同期比」の数字を拾って見ました。
 
 残念ながら、産業活動の総体を表す全産業の売上高はこの5四半期、前年同期比で次第にマイナス幅を拡大しています。特に製造業は顕著です。非製造業は最終の4-6月期にやや改善、経常利益を見ますと、傾向は全く同じで、当然下げ幅は売上高より大きくなります。非製造業は「爆買い」のせいか落ち込みは遅くなっています。

 これに対して設備投資の方は、伸び率は下がりながらもプラス(増加)を堅持しています。特に製造業の場合は投資意欲はあまり落ちていません。
 これは、企業が先行きに対して、何らかの見通しを持っているという事の証左かもしれません。

 人件費については、これは賃金水準ではなく、総額人件費ですから、雇用量、入退職者の状況、 雇用ポートフォリオの変化、ボーナス、社会保険料率など様々な影響を受けますが、ほぼ1-2%の年率増加でしょうか。かつてのような人件費抑制は見られません。

 こうした動きから見えてくることは、企業は、この所の業況不振は傾向的なものではなく、早晩回復過程に変わる可能性があると読んで、比較的積極的な経営態度を持っているという事ではないでしょうか。

 アメリカの利上げ、大統領選挙、イギリスとEUの問題、中国経済の動向、さらには、そうしたことに影響される円レートの動向、などなどいろいろな問題はありますが、日本企業はそれななりに見通しを立てて頑張っているのではないかと感じられます。

カローラ・ハイブリッド乗り換え1年燃費報告

2016年09月26日 15時41分18秒 | 環境
カローラ・ハイブリッド乗換え1年の燃費報告
 昨年9月、年甲斐もなく車を乗り換えた事はこのブログで書きました。時々レンタカーで乗っていたハイブリッドの燃費の良さに驚嘆し、一度乗って見たいと思ったからでした。

 私の世代(昭和1桁)はどういうわけかセダン愛好者が多い様で、私もダットサン860以来、1台(ファミリアAP)を除いてずっとセダンです。今回も、1年前まで乗っていたカローラのガソリンエンジン1800から、全く同じサイズのカローラ・ハイブリッドに乗り換えました。トランクがエンジン車と同じサイズ(ゴルフバッグ3つOK)というのも気に入っていました。

 ハイブリッド車に乗ってみて、最初に気が付いたのは昨年10月このブログに書いたように、市街地走行の燃費がいいことでした。家内の用事で市内を回ってきてリッター20㎞近い数字が出るからです。
 あとから分かったことは、低速だと電気で走る割合が多いからということが分かり、考えてみれば確かにそうだと思いました。

 今年の4月に丁度3000㎞走った時にそれまでのガソリンスタンドの領収証の購入リッターを合計して、3000㎞を割って見ましたら22.25㎞/lだったことは、今年4月に報告した通りです。

 今回はちょうど1年で、走行キロ数は5181㎞で(メーターは給油してください状態)、購入したガソリンは合計220.63リッター、割り算をすると、23.48km/lという事になり、4月の時よりリッター当たり1.23㎞改善していました。 

 正確を期するとすれば、高速道路と下の道路を走った距離の割合などで調整して比較しなければいけないのでしょうが、特に高速を多く走ったという感じもしていませんし、高速を走った場合のキロ数は、エンジンが馴染んできたのか、私の乗り方が馴染んできたのか、平均燃費が30㎞/lを超えることが多く、最初の頃より良く伸びる様な気がしています。

 こんな具合ですと、満タンで900㎞という謳い文句は額面通りという事になります。

 電気自動車、燃料電池車も次第に車種が多くなるようですが、矢張り電気自動車は満タン(?)の走行距離ではハイブリッドにかなわないでしょう。矢張り、何かあった時といったことを考えると、ハイブリッド車の安心感のほうが大きいのかななどと感じています。
 以上自分の選択した車に愛着が強いという事もあるかもしれませんが、数字そのものは正確ですので、ご参考までにご報告します。
 
 

金利体系の合理性回復へ?日銀の新方針

2016年09月22日 11時27分29秒 | 経済
金利体系の合理性回復へ?日銀の新方針
 アメリカの中央銀行、FRBが金利引き上げを先延ばしにし、日本銀行が金融緩和についての新方針を出して、結果的に為替が$1=¥102円台から100円とび台と円高になりました。

 FRBは12月に利上げの含みを持たせていますが、内実は様子見でしょう。円高の幅は2円程度、日本にとっては深刻です。一方、アメリカではNYダウは160ドルも上げて、大方の見方は利上げ延伸で、差し当たって安心という所でしょうか。
 そんなこんなで、 アメリカの利上げ (金融正常化)はやはり容易ではないようです。

 ところで日本はどうでしょうか。
 2発の黒田バズーカ以来、2パーセントインフレ目標も掲げて円安一辺倒の政策に邁進してきたような印象を受けますが、すでに神通力(サプライズ)が消えて、円高基調になる中で、日銀の方向転換は当然でしょう。

 マーケットを驚かせて目標を達するのは2回までで、3回目の マイナス金利は、マーケットに先読みされて、逆効果でしたから、今後は次第に正攻法に変え、正論を通すような姿勢が必要かなどと思うところです。

 その意味では、単に金融を緩めるサプライズ政策ではなく、長期金利を上げる方向で、金利体系の正常化を目標に掲げ、国債買い入れをそのための手段に格下げするというのはまともな方向だと思っています。

 今のアメリカ主導の金融市場というのは「自然の侭に放置」するのがいいといった感覚です。市場任せですから、市場を牛耳る力のあるアメリカにはいいかもしれませんが、例えて言えば、川の流れを自然に任せるようなもので、鉄砲水になったり、洪水になって流れを変えたり、カラカラの渇水になったりします。

 日本には「 里山という知恵」があって、水を網の目のように縦横に分水して水の有効利用を図り、ため池を作って水の貯蓄も考え、人間の活動が快適で豊かになるように多様な角度から知恵を出し、結果的に生物多様性なども大いに促進して地域がより良く美しくなるといった発想と行動があります。

 金融、おカネの流れも同じようなもので、往々バブルや金融パニックを起こしますが、合理的に巧く管理してやれば、より安定的に人間生活に役立つようになるはずです。
 そのためには、例えば、合理的な金利体系はこうあるべきという合理的なシステムになるべく近づくように誘導する枠組みが必要でしょう。

 その意味で、今回の長期金利を高めに誘導できるような政策をとるというのは合理的でしょう。マーケット任せでない、まともな金融政策への一歩のようです。
 外海は、マーケット次第の荒海状態で、日銀も大変と思いますが、今回の政策転換が、将来の金融正常化の方向に整合的に進化していくことを願うところです。

金利と貯蓄のパラドックス(低金利の罠)

2016年09月20日 11時05分01秒 | 経済
金利と貯蓄のパラドックス(低金利の罠)
 通常、経済学では、金利を上げれば貯蓄が増えることになっています。今はゼロ金利の世の中ですが、その中でも金融機関は、0.001パーセントでも高い金利を付けて預金を集めようとしますし、皆様方も、出来るだけ利息の高いところを探します。

 その心理を利用して、ビックリするほど高い金利を掲げ、おカネを集める詐欺まがいの者が出たりしてマスコミを賑わせます。

 今のゼロ金利は、景気刺激のためです。金利が低ければカネを借りてビジネスをする人が増えるだろうという想定です。

 しかし、金利を下げれば下げるほど、極端に言えば金利ゼロにすれば、無限に経済活動が活発になるかというと、そうはならない。ものには限度があるというのが「 流動性の罠」(金利を下げていくらでもカネを貸しても、限度を超えれば効果がなくなる)で、現実はそうだという事がこのところ知られてきています。

 それではこれを金融活動の反対側、貯金をする人の方に振り替えて考えてみましょう。
 もともと経済理論は、金利を上げれば貯金をする、金利を下げれば貯金しないで消費活動に使うことになる、というのが理屈です。

 ところがどうでしょうか、今は金利などスズメの涙で100万円を1年預けても、利息より銀行へ行くバス代のほうが高いのが現実です。(昔は5万5千円利息が付きました。)
 それなのに、前回のブログの消費性向の統計を見てください。消費は増えずに、家計は貯蓄に励んでいます。

 これはまさに「低金利の罠」とでもいうべきパラドックスでしょう。「ゼロ金利にすると貯蓄が増える」という事になっているのです。

 貯蓄というのは、貨幣の「価値の貯蔵」という機能を利用して、将来の生活のために購買力を貯蔵しておくという事でしょう。
 金利が付けば、貯金は自然に増えますから、その分安心です。しかし、金利が付かないと、自分で貯金を積み増さなければ貯金は増えないのです。

 今、家計は、利息が付かないのなら貯金を自分で増やすしかないと貯金に励んでいるのでしょう。いわば自分の貯金に、銀行がつけてくれないからと、自分で利息を付けているのです。

 今日と明日は、日銀の金融政策決定会合です。日銀はマイナス金利をさらに進めるのでしょうか。
 日銀は通貨価値を守る番人です。その日銀が、「 通貨(おカネ)当面邪魔者でしかない」という意味の「マイナス金利」を深堀するようなことの無いように望みます。

低下する平均消費性向

2016年09月19日 12時39分15秒 | 経済
低下する平均消費性向
 消費不振が言われます。政府や評論家の中には、賃金が上がらないからという人も多いのですが、賃金、ここでは正確には勤労者家計の可処分所得という事になりますが、家計の所得が増えても、それがダイレクトに消費の増加に繋がるとは限らないという問題もあります。

 繰り返して触れてきていますが、収入が増えても、将来不安があると、家計は消費を控えて貯蓄に回します。多くの方が現にそうしておられます。そして、統計上それが示されるのが、総務省の「家計調査」の中の「平均消費性向」という数字です。

 こうした統計には、直接なじみがない方も多いかと思いますので、細かいことになってしまいますが、最近の家計調査の中の「平均消費性向」の動きをグラフにして載せてみました。


 現実の動きはこんな状況です。

 一見して「あれ」と思うのは「3の所の青色の柱」が突出して高いことでしょう。これは、2013年の3月です。すぐお解りと思いますが、消費税増税の直前の月です。統計は正直です。

 この時は特別ですが、8月-翌年7月(最新の統計が今年の7月までですのでこうなりました)のサイクルで、ここ3年間の動きを見ますと、例外的に5月のように年々上昇している月もありますが、ほとんどの月は毎年下がっています。特に今年の6、7月は顕著です。

 8月、9月の統計が発表になった時どういう動きになるかですが、この動きが変わってこないことには消費の改善は期待できません。

 日本の官庁統計の信頼度は国際的にも高いと言われます。統計は現実を正直に語ります。その現実の動きがいかなる理由によるものか、統計を見て、皆様の頭の中にあるビッグデータと照らし合わせて、理由を分析し、将来を予測するというのも、時に面白い作業です。

「文殊の知恵」が泣いている

2016年09月17日 14時59分31秒 | 経営
「文殊の知恵」が泣いている
 「3人寄れば文殊の知恵」、日本には巧い諺があります。
 ごく普通の人間でも、3人集まっていろいろな意見が出れば、なかにはひょっこり「こんな知恵もあったのか」というようないい知恵が出ることもありますよという経験が諺になったのでしょう。

 最近の言葉で言えば「ブレーンストーミング」でしょうか。出来るだけ勝手に自由な意見を出すようにするのがコツという事になっています。

 こんなことを書いたのも、日本の国家的事業である高速増殖炉「もんじゅ」が、1兆円も使いながら二進も三進もいかない状態になっているという、考えられないような事態が連日報道だれるからです。

 1995年のナトリウム漏れ以来、ほとんど休止状態という事のようですが、そうした中でいろいろな事故があり、事故防止のために多くの点検作業があるのでしょうが、報道によれば1万件近い点検漏れなど、通常の企業では考えられないような多くの問題が起きているようです。

 勿論、世界の最先端の研究のための実験炉ですから難しさは特別でしょうが、そこで仕事に携わる方々も、それぞれの分野で選ばれた方々でしょう。
 そうした人材を擁しながら、点検漏れなどが多発し、仕事が報道されるように停滞しているというのです。

 日本人はもともと一般的に真面目で勤勉です、そうした中でも優れた人たちを集めて行われている事業が、巧く行かないという事態の場合、私の癖ですが、つい考えてしまうのはマネジメントの問題です。

 人事管理・人材開発の世界では常識ですが、マネジメント次第で、そこで働く人たちのやる気、それを結集した組織の凝集力や能率は何倍も違ってきます。
 すでに累計1兆円を使ってやっている国家的企業です。国としてのマネジメントはきちんと出来ているのでしょうか、などとついつい考えます。

 報道では、今の管理体制ではだめで、かと言って新しい管理体制と言っても難しい、といった状態のようです。おそらく、トップ・マネジメントとしての国のマネジメントに問題があるのでしょうと感じてしまいます。
 これは岡目八目の私の受ける感じですが、現体制の中では、誰もやる気が起きないような状態なのではないでしょうか。

 先日、「 5回のなぜ」を書きました。日本企業の現場で使われている、何故を5回繰り返せば、真の原因に到達することが出来るという経験則のルール化です。
 「もんじゅ」の問題にも、現場から管理機構、トップ・マネジメントまで、多様な場でそれぞれに、皆でこれをやって、まさに「文殊の知恵」を集めてみたらいかがでしょうか。

働き方改革実現会議で真剣な論議を

2016年09月16日 16時38分46秒 | 労働
働き方改革実現会議で真剣な論議を
 安倍政権の標榜する目玉の一つ「働き方改革」について議論をする「働き方改革実現会議」のメンバーが今日発表され、安倍総理を議長に、8人の関係閣僚、15人の民間有識者の顔ぶれも決まりました。

 働く国民のサイドを代表する民間有識者は多彩な顔ぶれで、経営者のサイドからは経団連の榊原会長、日商の三村会頭、中小企業団体中央会の大村会長、その他個別企業の経営管理者が名を連ね、労働側の組織の連合からは神津会長、三者構成という立場から見れば、公益サイドとして民間研究機関の専門家、労働経済学者さらにはタレントまで含まれ、意見も多様なものが出そうです。

 客観的に見れば、実際に働く人たちを代表するのが、連合の神津会長一人で、何かさみしく、目指すのは「働き方改革」ですが「働き方」というより「働かせ方」の意見が沢山出そうです。

 若しかしたら、ブラック企業などが話題になりますように、問題は働かせる側にあることが多いから、こういうことになっているのかな、などと思ったりしているところです。

 現に働いている人たちの意見もたくさん聞きたいというのであれば、多様な働き方をしている人たちのそれぞれの代表がいたほうが都合がよいのではないかなどと思いますが、政府の人選ですから、それなりの理由があるのでしょう。

 このブログでも繰り返し取り上げていますが、議論の中の主要の2点は、長時間労働の撲滅と同一労働・同一賃金になるようです。

 労働時間につては、かつてILOでミスター労働時間といわれた人が「これこそ難問」と言ったという事を聞いたことがありますし、同一労働・同一賃金については、特に日本的経営の中では、独特の難しさのある問題です。

 私もこの会議での論議の報道をトレースしながら、いろいろと勉強していきたいと思いますが、良く聞かれる審議会の評判のように「いろいろご意見をお伺いしましたから、後は政府の考えで決めさせて頂きます」でないアプローチを期待したいと思います。

 日本経済という経済的成果は、国民が働いて作り出すものですから、国民の働き方をいかにするかで、全く違った結果が出かねません。
 「働き方改革実現会議」が日本国民にとって、ベストの知恵を出されることを願っています。

雰囲気変わるか日本経済?

2016年09月15日 12時25分24秒 | 経済
雰囲気変わるか日本経済?
 政府笛吹けど、国民踊らずといった感じが続いている日本経済ですが、そうした中で、何か新しい芽が出てきていると感じられる所もあるように思われるのですが如何でしょうか。

 政府が企業には設備投資と賃上げを要請し、国民には消費税増税を延期してまで消費拡大を期待して、一億層活躍の旗を振っても、企業も国民もあまり動かず日本経済は低迷状態です。
 しかし、発表される政府統計などは、すべて過去の実績です。これからどんなことになっていくのかはこうした統計からは見えません。

 確かにこの所の実績では、日本経済は(未だかつてなかったような巨大な流動性を持ちながら)将来不安の前に立ちすくんでいるように見えるのですが、そうした中で矢張り、何か突破口を探そうという新たな動きが次第に具体化して来るのではないでしょうか。

 最近目立つのが、海外の優れた企業の買収です。ソフトバンクの英国アームの買収は典型ですが、海外企業に対するM&Aは件数も金額も、特に金額は大幅増加の様相だといわれます。
 そしてこうした動きについては、先端産業のハードにかかわる技術だけでなく、知財やビジネス上の技術やノーハウの取得・共有といった多様な側面での国際化の展開といった感じを受けるものが多いように思われます。

 少し前にも触れましたが、国内でも、 多様なベンチャーの活動が、ますます活発になり、資金の貸出先のない金融機関も、漸くそうした新しい動きに応じるところも出てきたといった情報もあります。
 そして、こうしたベンチャーも、多くは世界マーケットを目指した技術やノーハウに支えられているようです。

 もともと勤勉で真面目な日本人ですから、また、ある意味では基本的にエネルギー水準の高い日本人ですから、長い間、何もしないでいるというのは本当は不得手なのかもしれません。
 カネ余りの中で、アメリカ流マネーゲームがまず流行りましたが、そろそろ日本人本来の、世のため人のために役立つ実体経済の分野での活動が始まるのも、矢張り自然の動きなのかな、などと何となく感じるところです。

 こうした活動が次第に統計の中にも反映して来るといったことになると、日本経済の姿も徐々に変わってくるのではと期待されます。何か少しずつ動きが始まっているように感じるのは私だけではないのではないでしょうか。

 あらゆるものの 習合が上手な日本人の伝統があります。日本経済の活性化も含めて、日本的経営の国際展開といった面からも、どのようなグローバルな共生・共栄の企業経営のかたちが出てくるか、これからが楽しみのような気がします。

良く使われる割に良く解らない言葉「支払能力」

2016年09月14日 16時24分02秒 | 労働
良く使われる割に良く解らない言葉「支払能力」
 安倍政権が「働き方改革」の中で、まず「長時間労働の撲滅」を上げていますが、もう一つ「同一労働・同一賃金」が当然のことのように言っています。

 この問題は今後も折に触れて取り上げていかなければならない問題だと思っていますが、それにかかわる問題で、「企業別賃金格差」という問題があります。

 パートたいまーやアルバイトの賃金は毎日曜日の新聞の求人折込広告に見ますように、職種や地域、時間帯などで決まっているようで、企業別にあまり格差はないようです。
 格差があれば、賃金の低い企業には人が来ませんから、その意味ではマーケットの働きというのは大変偉大で同一労働・同一賃金は自然に出来ています。

 しかし、これが正社員になると、なかなかそうはいきません。大体揃っているのは初任給ぐらいで(これはマーケットがありますから)、入社後5年、10年、15年、同じ業種で同じ仕事をしていても、企業間格差があることは明らかです。

 月例賃金水準も企業によって違いますし、ボーナスなどになると、専門紙・誌にランキングが乗ったりしますが、格差は歴然です。同一労働・同一賃金はここには及ばなくていいのでしょうか。

 この格差の説明に使われる言葉が「支払能力」です。春闘の際、財界団体なども「自社の支払能力を勘案の上」賃上げを決めるべきだといった発言をします。

 「支払能力」とは厳密に言えば「賃金支払い能力」、もっと正確に言えば、社会保障費なども含めた「人件費支払能力」という事でしょう。

 「収益力」と言い換えてもいいかもしれませんが、厳密には、人件費をどれだけ支払ったかで収益力は後から決まるのですから、別概念という事になります。

 では、「支払能力」とは何でしょうか、どう定義をすればいいのでしょうか、あるいはどう計算すれば求める答えが出てくるのでしょうか?

 いつも安易に使われている割に、定義も計算式もないという事になると、労使で話し合っても同床異夢ならぬ「同語違味」の水掛け論になるのが結果でしょう。

 よく使われる言葉だけに、この問題も、今後いろいろな機会に論じてみたいように思います。

大卒就活ルール:大問題の日本、問題にならない欧米

2016年09月13日 11時25分24秒 | 就活
大卒就活ルール:大問題の日本、問題にならない欧米
 経団連が来年度の大学卒の就職活動日程について、今年と同じにすると正式発表したことで、就活ルール問題をマスコミも取り上げてります。

 この問題は、古くは文部省・労働省が大学団体、日経連と話し合い就職選考に関するルール、いわゆる 就職協定を決めてから、好不況を繰り返す環境変化の中で、期日の問題や順守体制の問題などで多くの点で紆余曲折を経て、協定が倫理憲章になったり現経団連の就活ルールになったりしてきたものです。

 欧米の人が聞いたら多分不思議がるようなこの問題が、日本では数十年にわたり、全国の大学と経済界の大問題で、マスコミを賑わし、政府も介入するような社会的な関心事になるのはなぜでしょうか。

 直接的に言えば、学生は3月に卒業したら4月1日から会社に出勤するのがベストな状態と考えていますし、企業は出来るだけフレッシュで優れた人材を毎年欲しいと思っていますし、大学は卒業したが就職できないようでは学生募集に影響すると考えますし、政府も学卒の就職率が悪いと選挙の得票率に関わると思うからでしょう。

 しかし、その根幹にあるのは、企業が人を採用するときの「考え方」という事になるのではないでしょうか。

 欧米のように、採用は、欠員が出来たとき、あるいは業務を拡張するとき、その仕事のできる人材を、その都度採用するというのであれば、6月解禁、8月解禁などと日にちを決める必要は全くありません。

 つまり、就活ルール問題発生の原因は、「企業の4月1日、新卒一括採用」という採用方針にあるのです。
 「うちは通年採用をやっています」という大企業もあります。しかし、その企業も当然「新卒一括採用」をやっています。

 これまでも書いてきていますが、この問題は「企業とは何か」という認識における、それぞれの社会の文化的背景によるということが出来るでしょう。

 端的に言えば、欧米では企業は職務の集合体です。そしてそれぞれの職務に適切な人間を当てはめて企業目的を遂行するという文化です。
 これに対して、 日本の場合は、企業というのは「人間集団」で、その人間が職務を分担し企業目的を遂行するという文化です。

 最も解り易く言えば、欧米方式の採用は日本でもあります。それはパート、アルバイト、派遣などの非正規従業員の採用です。先に職務があって、賃金は職務給で決まっていて、その職務をする人がいないからその職務が出来る人を採るのです。欧米では、極端に言えば社長までこの方式です。

 これなら、就活ルールは必要ありません。しかし日本では、就活ルールが、政府、大学、学生、財界、もちろん個別企業を巻き込む大問題です。
 この様子を見ると、やっぱり「 日本的経営」「日本的職業観」といったものの「根」、「人間中心の経営」は日本人の心の中にきちんと受け入れられているのだなと考えざるを得ません。

 安倍政権の掲げる「働き方改革」「同一労働・同一賃金」なども、こうした基本的なものとの整合性を考えないと決してうまく行かないだろうと思っています。

日本も金融緩和政策の出口を探せ

2016年09月12日 10時27分48秒 | 経済
日本も金融緩和政策の出口を探せ
 アメリカの利上げが9月になるのか12月になるのか、関係者も含め多様な発言がある中で為替市場や株式市場が揺れ動いています。

 関係者にも多様な意見がるのは、ある意味では健全な証拠という事なのかもしれませんが、そのたびにマーケットが乱高下し、投機家にはビジネスチャンスかもしれませんが、実体経済の世界では面倒や不都合が増えることになります。

 変動相場制は、こうしてマネー・マーケットを潤す一方、実体経済には混乱をもたらすという効果を持つようです。

 特に、世界中が異次元金融緩和で、マネー・マーケットが異常に敏感になっているといった状態がそうした動きを促進しているとすれば、「金融政策≒為替政策」のようになってしまった世界経済の現状を終了し、実体経済の中心の世界経済にするためにも、金利の正常化は必要でしょう。

 すでにアメリカは、実体経済を重視するイエレンFRB議長の下で、万年赤字の不安定な経済情勢の中でも利上げの方針を明らかにしています。
 それに対して日本は、いまだに「金融緩和の手法はまだまだある」などと円高防止のための煙幕を張っています。

 しかし、マイナス金利の非論理性や、現実のマイナス効果の中でそうした主張もあまり信用されなくなっていますし、もう少し強くあるべき実体経済の回復が意外に進まないといった状況の下で、金融政策への過度な依存に、その逆効果も含め、疑問の声が出ているのは事実でしょう。

 日本経済の実力に相応する円レートが$1=¥110がらみとすれば、金融正常化で円高の危険は当然あるでしょう。
 経常収支で言えば、アメリカの万年赤字に対して、日本は万年黒字です。円高の可能性は否定できません。

 だからと言って、いつまでも異次元金融緩和を続けていれば、企業や個人の経済行動を歪め、正常な経済活動、経済構造を損なう可能性が大きくなるでしょう。
 王道は、大きすぎる経常黒字を国内経済活動の活性化で減らしつつ、異次元金融緩和からの脱出を図ることでしょう。

 いずれはやらなければならない事なのです。この所のようなツギハギ経済対策の連発でない、日本経済再建の基本構想へのアプローチが求められる時期になってきているように思われます。

10万年前、10万年後

2016年09月10日 21時01分54秒 | 科学技術
10万年前、10万年後
 皆様ご存知のように、このところ10万年後という話が良く出ます。
 10万円なら、お財布に入っている人もいるでしょうが、10万年後という事になると、誰にも想像がつかないでしょう。

 10万年後というのは、今日の原発から出た放射性廃棄物が核分裂の連鎖を終えて、放射線を出さなくなる、つまり無害になるまでの期間という事になっています。

 その間の人類の安全を考えて、フィンランドでは地下の花崗岩層を穿ち地上に影響の出ない貯蔵施設(オンカロ)を作り、10万年たつまで我々の子孫が間違って掘り起こしたりしないようしようというプロジェクトが始まっており、それをテーマにした映画『100,000年後の安全』が「10万年」という言葉を有名にしました。

 10万年後、我々の子孫であるホモサピエンスがどんな生活をしているか、誰にもわかりません。解っているのは、その時なれば、今、我々が作り出している放射性廃棄物が無害になるだろうという事だけです。

 丈夫な穴に埋めることで、出来る範囲で一生懸命責任を取ろうとしているという事でしょうが、考えてみれば、そんな中途半端な形で核分裂を使ってエネルギーを得ようとしている現代人とそのエネルギー文明がいかに無謀で無責任だったかという事を証明しているともいえるでしょう。

 100年先までぐらいなら、それなりの責任範囲と言えるかもしれませんが、想像もつかない10万年先までというのです。いずれにしても長すぎます。

 逆に過去を見てみれば、10万年前、我々の先祖のホモサピエンスは何をしていたのでしょうか。十数万年前にアフリカで発生し、10万年前ぐらい前なら、その一部がアフリカを出て世界に広がり始めた頃でしょう。

 採集生活で、一部は火を使っていたようです。彼らも10万年後の我々の生活など考えたこともなかったでしょうし、同様に、今の我々が10万年後を想像せよと言われても、文明の加速化の中で、そんな先のことは解る筈もありません。

 オンカロには「掘り起こさないでください」と書いてあるからと言って、10万年後の子孫が「はいはい」と遺言を守っているか、「我々の先祖はそんなことをやって、困っていたのか」と笑うか、はたまた核戦争で滅亡しているか、スーパー人類が生まれて、ホモピエンスは、かつてのネアンデルタール人のように消滅の危機にあるのか、・・・・。
 考えてみれば、今、我々は随分変なことをやっているのではないか思ったりするのですが、放射性廃棄物が無害化する時間が10万年と長すぎるだけに、人間の知恵と寿命の儚さが浮き彫りになるようです。

 矢張り先の見えるぐらいの時間的スパンの中で、エネルギー問題も納めておいた方が、身の程を弁えた行動というという事なのではないでしょうか。