tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

不況に出来ないアメリカ

2007年10月30日 12時08分23秒 | 経済
不況に出来ないアメリカ経済
 サブプライムローン問題で揺れたアメリカ経済ですが、株価などで見る限り、何とか落ち着きを取り戻してきたようです。それというのも、連邦準備銀行が、手早く予想以上の大幅な金利引き下げと量的な金融の緩和を実施しているからでしょう。先行きに不安があれば、更なる金利引き下げも十分ありうると思われます。

 こうしたことが予測されるのも、アメリカ経済には「どうしても不況に出来ない」という事情があるからでしょう。ご承知のように、アメリカ経済は「経常収支は大幅赤字」ながら「総合収支ではバランス」という形を長期に続けています。企業や家計で言えば、経常収支は赤字だが、赤字が借金で埋め合わせできるうちは問題ないという形です。

 確かに資金繰りがつかなければ黒字倒産もありえますし、資金繰りさえつけば赤字でも不渡り手形は出さなくて済みます。今のアメリカは「世界中から金が入ってくるのだからキャッシュフロー上は問題ない」ということで、累積赤字を拡大させながらも、長期に好況を維持しています。しかしこの状態には、常に、「いつまで借金が続けられるか」という問題がついて回ります。

 外国から投資資金が入り、借金も出来るということの前提条件は、アメリカが好況を維持することでしょう。サブプライムローン問題でアメリカ国内の消費者の購買力が落ち、消費意欲も落ちて、家計消費の不振ででアメリカ経済が不況になれば、従来のようにアメリカに資金が流入しなくなる可能性が強くなります。これは、外国からの資金流入で活動をしているアメリカ経済には大変なことでしょう。

 アメリカは「アメリカ経済は元気です」と世界から認めてもらわなければならないということでしょう。そのためにはあらゆる手を尽くして不況に落ち込むことは避けるでしょう。すでに、その結果としての更なる資産インフレを予測する意見もあります。長期的に見れば、健全なことではありませんが、アメリカにとっても、世界にとってもそのほうが良いという見方の方が多いということでしょうか。しかし、これでは、結局は問題をさらに大きくして先送りするということだと思うのですが、その時間的余裕の中で、何か本格的な対策が考えられるでしょうか。

G7:金融政策への視点

2007年10月22日 12時40分33秒 | 経済
G7:金融政策への視点
 10月19日に閉幕したG7では、アメリカのサブプライム住宅ローに関わる問題も種々論議されたようです。

 報道によれば、声明の第一項にも、金融市場の混乱、原油高と米国の住宅部門の弱さが、経済成長を減速させると指摘していると書かれています。さらに金融市場の混乱については、機能は回復しつつあるが、市場によってばらつきがあると指摘して、そうした状況はしばらく続きそうだから注視が必要だといっています。

 日本もかつて不良債権問題で大変苦労しましたが、今回はアメリカの不良債権問題が海外に飛び火し、主要国の多くで金融市場の混乱が生じるという深刻な状態が発生し、それが実体経済にも悪影響を及ぼしているという現実にG7も懸念を表明したということでしょう。

 さらにそれへの対策として、要因を十分に分析すべきとしつつ、慎重な論議が必要で、金融機関のリスク管理能力、当局の管理体制、格付け機関の役割の改善策などについて、「金融安定化フォーラム」を主要国の監督当局などで、来年のG7会合までに造ることの提案を求めています。

 経済活動の潤滑油であるべき金融が、金融技術の発展とその活用の行き過ぎで、実体経済に悪影響を与えるといった事態が、今後は何とか避けられるような実効性のある政策が、これを機会に研究されることを望みたいものです。

経営計画

2007年10月20日 12時17分46秒 | 経営
経営計画と数値目標
 企業に対するアンケートなどを見ていますと、企業の7割から8割ぐらいは経営計画を立てておられるようです。
 というここは2割から3割の企業が、経営計画のない、いわゆる「成り行き経営」で、出たとこ勝負の経営をしているということになります。とは言うものの、そういった企業でも、経営者の頭の中には「来年は出来れば何パーセントぐらい売り上げを伸ばして・・・」といった経営計画の原型になるようなイメージは必ず存在するはすです。

 経営計画を立てていない企業は殆どが中小あるいは零細企業のようですが、経営計画というのは、そうした経営者が持っている願望としてのイメージをより具体的な形にして、経営者本人の努力目標とすると同時に、一緒に働く従業員にも「そうか、それなら俺たちもその目標に向かってがんばってみよう」という気持ちを起こさせ、企業の成長の原動力にすることを目指すものでしょう。

 ですから、経営計画というのは、企業が成長して良くなれば、経営者も喜び、従業員も喜び、株主も喜ぶようなものでなければなりません。ということは、経営計画の中身は、売り上げの成長だけではなく、それに伴って利益も人件費も増える、つまり利益と人件費の合計である「付加価値」(厳密には金利などのその他の資本費も入りますが)が具体的のどのくらい増えるかが目に見える数字で示されている必要があります。

 企業は単純に言ってしまえば、付加価値を生産するために活動をしているものですから、創出する付加価値が増えれば、利益も増え、賃金も上がり、利益の中から払われる配当も増えていくことが可能になります。

 その意味で、経営計画には数値目標が必須です。数値目標の中の大目標は売り上げをどれだけ増やし、付加価値をどれだけ増やすかでしょう。そしてその次の目標は、その付加価値を、利益にそして人件費にどのように配分するかでしょう。利益計画が出来れば配当計画も、その中から出てきます。

 では、売り上げや付加価値を増やすために何が必要かということになりますが、それは、新鋭の設備投資にどれだけ投資するかでしょう。もちろんそれを使いこなすための従業員への教育投資も必要です。そのお金の源泉は、利益の中から税金や配当を払った残った「内部留保」(時にはプラス借入金)です。こうして、利益から設備投資へ、その結果、売り上げ・付加価値の増加へ、そして利益、賃金の増加、内部留保の増加、設備投資・・・と回っていきます。

 政府の経済5カ年計画と同じように、計画は必ず狂います。狂ったらまたそこから新しい計画を立てればよいのです。経営計画は、みんなで論議して、みんながその気になって、数値目標を立てることに意味があるということではないでしょうか。

不良債権の国際移転

2007年10月17日 10時51分48秒 | 経済
不良債権の国際移転
 野村ホールディングスが1450億円の損失を出したという記事が昨日の新聞に出ていました。ご存知、アメリカのサブプライムローンを組み込んだ証券を買ったことによるものだそうです。昔から「調査の野村」といわれ、野村総研のような国際的な研究所も持っている野村でもそんなことが起こるのですね。

 日本だけではありません。すでにイギリスではノーザンロック銀行で取り付け騒ぎが起き、イングランド銀行が救済に乗り出したそうですし、ドイツではドイツ銀行が22億ユーロの損失を出したそうです。いずれもアメリカのサブプライムローンを組み込んだ証券を買ったことによるもののようです。

 日本でも、昔、住専問題というのがあって、住専の背負った不良債権を誰が負担するかが問題になり、中でも6千億か7千億を国民の税金から負担するということで大騒ぎになったことがありました。日本では、その債権を証券化して国際的に売りさばくようなことは考えなかったので問題は国内だけのものでした。

 今日では、といいましょうか、今日のアメリカだから、といいましょうか、債権は証券化され世界に販売されます。優良債権であれば世界中に望ましい資産運用のチャンスを提供しますが、サブプライムローンのようなものが組み込まれていれば、これは常に不良債権の国際移転という危険性を伴います。

 証券の元になっている債権が優良債権か不良債権かは、結局は購入者が自己責任で判断するよりしょうがないのでしょう。トリプルAがつけてあっても、格付け会社が責任をとってくれるわけではありません。購入者にとって大変なのは、もともとの債権がが優良債権なのか不良債権なのか、それが解らないほどの複雑な証券化になっているということなのでしょうが、購入した金融の専門機関でもわからないのですから、格付け機関だって、本当は解らなかったのではないかと思います。
 
 かつてのチューリップの球根のバブルとか南海泡沫会社とか、情報の未発達時代の情報不足による経済の混乱が、今日の情報化時代でも起こるというのは、人間の知恵が本質的には、あまり進歩していない証拠でしょうか、などと思ってしまいます。

経営と経済

2007年10月10日 20時57分51秒 | 経営
経営と経済
 多くの大学には経済学部と経営学部があります。商学部というのもありますが、商業だけをやっているのかというとそうではなくて、製造業やサービス業、その中での人事管理までやっていますから中身は経営全般ということでしょう。

 印象的に言えば、経済学は重々しい学問で、経営学は実務を中心にした現実的な学問といった感じでしょうか。経済学の先生と経営学の先生は、専門分野が違うとということになっています。

 確かに、経済は、生産から流通、そして消費、税金や社会保険料のいわゆる国民負担、さらには社会保障などの福祉の問題まで含む広い分野を取り扱うのに対し、経営学は、企業経営、つまり経済活動の中の生産部門を担う企業の経営問題が中心ということで、確かに違いはありましょう。

 しかし経済学で最も重要な概念であるGDP(国内総生産)を担っているのは企業で、しかも企業は、企業レベルのGDPにあたる付加価値の生産と分配(賃金にどれだけ払い、利益をどれだけ計上するか)についても直接に担当し関与しているのが現実です。もちろん経営の中では中央・地方政府に納める税金や保険料の負担も考えなければなりませんし、賃金と社会保障の関係、支払った賃金で、消費者の購買力がどう変わりそれが今後の売り上げのどう影響してくるかも考えなければなりません。

 経営はミクロといわれ、経済はマクロといわれますが、ミクロの積み上げがマクロだということは現実です。ミクロの思惑とマクロ経済の目標がねじれ現象を起こし「合成の誤謬」などといわれたりしますが、これも、マクロとミクロを別物の学問にしてしまったことと関係あるのかもしれません。

 学問の分野は伝統的に縄張りがあるようで、それを乗り越えようと「インターディシプリナりー」などいうことが大仰にいわれますが、もともと現実は総て「インターディシプリナリー」なのです。

 日本中の経営の総合計としての日本経済ということであるならば、経営、経済などと区別せず、大学でも現場でも、みんなが一体で考えるようにすれば、学問のほうも、現実の経済や経営のほうも、より適切な視点やより良い考え方や政策や指針が出てくるのではないでしょうか。
 

日本工業倶楽部会館 炭鉱夫 織姫

2007年10月06日 15時00分46秒 | 経営
日本工業倶楽部会館のシンボル
 日本工業倶楽部会館は、東京駅の丸の内北口を出て、信号を2つ渡ったところにあります。茶色いレンガ造りの5階建てのクラシックな建物で、大正9年(1920年)に、当時の日本経済の発展の担い手だった工業の経営者たちが、自分たちの集う「お城」として建てたものです。道を隔てて向かい側は、今春リニューアル・オープンした新丸ビルです

 大正9年といえば関東大震災の前で、このビルは関東大震災にも耐え、太平洋戦争にも耐えて、戦後はかなりの間、経団連、日経連、同友会という経済4団体のうちの3団体が事務局をおく、まさに経済界の中枢とも言うべきビルでした。平成15年に外観は殆ど以前のままで、また中身も主要な3分の一はそのままで、耐震工事が完了し、新装がなっています。

 ところで話は本題に入りますが、この日本工業倶楽部会館の正面玄関の真上に、一対の立像が立っています。向かって左側がハンマーを持った炭鉱夫、右側が糸巻きを持った織姫です。新丸ビル側の歩道から見ると良く見えますし、日本工業倶楽部会館のホームページでご覧になれます。当時の工業の経営者たちは、働く人たちへの真摯な感謝の気持ちから、こうした像を、当時としてはもっともモダンであったはずの、自分たち経営者仲間の集う「お城」の上に飾ったのでしょう。

 かつて私もこの2つの立像を見て、日本的経営の「人間尊重」の理念には歴史があると感じたのを覚えています。これまで、多くの主要国の経済団体、経営者団体、労働組合の本部などを訪ねました。労働組合の本部に労働者の像が飾ってあるのは良く見ましたが、経済団体や経営者団体の本部の建物に労働者の像を飾るといった例は知りません。

 大正といえば、日本の産業がいまだ未成熟な時期です。その時代の経営者が、自分たちが建てた「お城」の上にシンボルとして、何の違和感もなく労働者の像を飾ったという事実の示すものを十分考える必要があるようです。今、日本的経営の基本は「人間重視の経営」であるとか、日本の資本主義は「人本主義」であるとか言われますが、こうした認識の背後には、やはり、日本独自の伝統文化、日本人の心根があるのでしょう。

 日本の経済・産業の発展も、その中での産業企業のあり方論や経営理念、労使関係も、多様な環境変化の中で、紆余曲折をたどっているのが現実です。産業企業内の人間に関わる問題でも、格差問題やハラスメント、過労など、多様な問題が言われています。

 こんな時期にこそ、あらためて今、工業倶楽部会館の炭鉱夫と織姫の像を眺め、その歴史的な意義を考えてみることも良いのではないでしょうか。