「働くことは良いこと」という文化が日本には伝統的に存在します。労働は苦役という欧米文化(と云うと、それは旧約聖書の世界で今は違うと言われますが)の伝統とは違うようです。
善行と苦役であれば、その対価である賃金は、善行の場合は「お布施」的で曖昧、苦役の場合はキッチリ計算ガッチリ要求ということになるのでしょうか。日本では、かつて「賃金お布施説」などというのもありました。
年功賃金は同一労働同一賃金とはしばしば両立しません。しかし納得性は高いようです。経営者の賃金(報酬)がべらぼうに高い欧米、比較すれば大幅に低い日本ですが、日本の経営者はそれで納得しています。
国が格差社会化を懸念するのと同じように、日本では企業内でも、格差の拡大を抑制する文化、システムがビルトインされているようです。
多くの企業は、35歳くらい迄は年功色の強い賃金、一人前の生活が可能になる水準以降は、職能、仕事、役割、成果などをその企業に適した形で、ボーナス制度も組み合わせ、制度設計をしているのが現状ではないでしょうか。
こうした賃金制度は、いわゆる正社員のものです。今喫緊の課題は、人手不足が進む中でも増加する「正規を希望」しつつも地域のマーケットで決まる職務給で働く非正規労働の存在です。これは日本企業が本気で取り組むべき問題でしょう。
最後に能力の評価、考課の問題に触れておきましょう。
考課や査定は、いわば能力や成果の「測定作業」です。測定には、距離でも時間でも重量でも、必ず測定誤差が伴います。誤差は成果主義の最大の問題です。
人間の能力測定などでは正確な測定は極めて困難でしょう。出来るだけ正確な結果を出すためには、複数の評価者が(360度など)、多様な評価基準で、多頻度に、時間をかけて評価結果を出し、その結果を正規分布になぞらえ、適切に『推定』するしかないはずです。
そんな大変な事をと言いたくなりますが、従来日本企業で、経営者にまで上り詰める人は、20年30年かけて、こうした評価を積み上げた結果ではないでしょうか。
人間の問題に付きまとう曖昧さは、最終的は「納得性」が解決してくれるようです。そして、納得性はそれぞれの社会の文化の反映です。