戦後64年、日本人と平和のルーツ
あの暑い夏の日、真昼の太陽の下で玉音放送を聞いてから、今日で丁度64年になります。64年という数字に特に意味があるわけではありませんが、毎年8月15日を迎えると、特別な感慨を覚える世代として、何か書いておきたいと思ってしまいます。
昨年は、あのときの日本人が、それぞれにさまざまな感慨を抱きながら、個人も、また国民全体としても確りと己を持した態度のベースになったと思われる承詔必謹について書かせていただきました。
今年は今日1日、新聞でもテレビでも、例年より多く取り上げられているように感じられる(北朝鮮の問題があるからでしょうか)平和憲法、憲法第九条についての独り言を書くことにしました。
日本人のルーツは縄文時代にあるように感じています。日本列島に人類が最初にたどり着いたのは2万年前から1万5000年ぐらい前のことでしょうか。その後も多様なルートで、長い時間をかけて、多様なDNA系統が入ってきているようです。
今では、日本人が、他に例をみないような多様なDNA系統で構成されていることが明らかになっている(崎谷満『DNAでたどる日本人10万年の旅』)とのことですが、こうした多様なDNA系統が日本列島の中で混じり合い、1万年ほどの縄文時代を経て、極めてホモジニアスな日本人となったのです。
しかも、専門家の研究によれば、縄文時代は戦はなかったらしいということなのです。
多様なDNA系列が、戦うことなく共存して作り上げた縄文文化、これはまさに日本の成り立ちの中で、特筆すべきことではないでしょうか。
その後、青銅器、鉄器を持った人々の流入は、日本に戦をもたらし、倭国大乱などと中国の歴史書にかかれますが、日本人の心には、多様なDNA系列の人々が、平和共存の縄文文化1万年の中で、あたかも純血のごとき日本人を作り上げたプロセスの記憶が、その基底として(海馬の中に)残っているはずです。
今、日本人は、人類の文化の何百年先を先取りした「戦わない」という憲法を持っています。これは縄文の記憶を持つ日本人の心の基盤にしっくり来ているのでしょう。
あまり時代を先取りしすぎると、いろいろ苦労するものです。しかし、世界はその方向に動いているのですから、苦労をしても、この先取りを続けていくのが日本人なのではないでしょうか。
あの暑い夏の日、真昼の太陽の下で玉音放送を聞いてから、今日で丁度64年になります。64年という数字に特に意味があるわけではありませんが、毎年8月15日を迎えると、特別な感慨を覚える世代として、何か書いておきたいと思ってしまいます。
昨年は、あのときの日本人が、それぞれにさまざまな感慨を抱きながら、個人も、また国民全体としても確りと己を持した態度のベースになったと思われる承詔必謹について書かせていただきました。
今年は今日1日、新聞でもテレビでも、例年より多く取り上げられているように感じられる(北朝鮮の問題があるからでしょうか)平和憲法、憲法第九条についての独り言を書くことにしました。
日本人のルーツは縄文時代にあるように感じています。日本列島に人類が最初にたどり着いたのは2万年前から1万5000年ぐらい前のことでしょうか。その後も多様なルートで、長い時間をかけて、多様なDNA系統が入ってきているようです。
今では、日本人が、他に例をみないような多様なDNA系統で構成されていることが明らかになっている(崎谷満『DNAでたどる日本人10万年の旅』)とのことですが、こうした多様なDNA系統が日本列島の中で混じり合い、1万年ほどの縄文時代を経て、極めてホモジニアスな日本人となったのです。
しかも、専門家の研究によれば、縄文時代は戦はなかったらしいということなのです。
多様なDNA系列が、戦うことなく共存して作り上げた縄文文化、これはまさに日本の成り立ちの中で、特筆すべきことではないでしょうか。
その後、青銅器、鉄器を持った人々の流入は、日本に戦をもたらし、倭国大乱などと中国の歴史書にかかれますが、日本人の心には、多様なDNA系列の人々が、平和共存の縄文文化1万年の中で、あたかも純血のごとき日本人を作り上げたプロセスの記憶が、その基底として(海馬の中に)残っているはずです。
今、日本人は、人類の文化の何百年先を先取りした「戦わない」という憲法を持っています。これは縄文の記憶を持つ日本人の心の基盤にしっくり来ているのでしょう。
あまり時代を先取りしすぎると、いろいろ苦労するものです。しかし、世界はその方向に動いているのですから、苦労をしても、この先取りを続けていくのが日本人なのではないでしょうか。