春闘総括の盲点
労使関係のダイアリーからいえば、今は「春闘総括の時期」ということになりましょう。しかし、かつて、労使関係の花として、年初にキックオフが告げられ、数ヶ月に及ぶ華々しい論議と交渉の 結果、初夏にいたって、労使が春闘の総括をするといった年中行事も全く影が薄 くなりました。
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それと同時に労使関係自体も影が薄 くなり、労働経済という学問分野さえ影が薄くなっているような気がします。
労働経済関係の指標といえば、マスコミが取り上げるのは、失業率と有効求人倍率、新卒就職率ぐらいで、それも労働経済の分析としてではなく、景気の見通しが立たないから、円高で輸出産業が採用を手控えるからといった景気の皺寄せとしての扱いです。
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それに引き換え、マネーマーケットについてのマスコミ報道は賑やかです。為替レート、金利、国際資金移動、投機資金の動きや思惑、ファンドマネージャーのコメント、格付け会社の 勝手な発言、さらには ソブリンリスク問題、などなどです。
経済問題の中で「労使」という人間の影が薄くなり、「マネー」が経済の主役のようです。
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このあたりについてはこのブログでも 種々取り上げてきましたが、今日の日本で起こっている労使の役割の後退現象の理由を、極めて率直に言うとすれば、それは、
「日本の賃金水準を決めているのは日本の労使ではない。それは為替レートである」<o:p></o:p>
という現実でしょう。為替レートが国際投機資本の思惑 で決まるのなら、「日本の賃金水準の決定権は国際投資資本の手にある」という事です。
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日本の労使は、賃金水準決定の主役から引きずり下ろされました。せめて、賃金格差などの賃金構造問題には取り組まなければと思っても、水準が思うようにならなければ、構造へのアプローチも容易ではありません。しかし日本の労使には「賃金決定権限喪失」の意識は薄いようです。
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プラザ合意の円高($1=¥240 → ¥120)で日本の賃金は2倍になり 、リーマンショックの円高($1=¥120 → ¥80)で更に50パーセント上昇しました。労使交渉ではこんな賃上げは絶対にしません。
労使がアレヨアレヨという間に、国際的に見た日本の賃金は大幅に上昇です。これでは、良識ある日本の組合は「もっと上げろ」とはいえません。せめて「定昇獲得で水準維持 」となります。
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日本の労使に日本の賃金水準の決定権があれば、日本は「ジャパンアズナンバーワン 」にもなれましょう。 しかし賃金水準は為替レート次第ですから、労使は「落穂拾い」のような「春闘」で、その存在を辛うじて世に示すしか役割はなくなります。
こんな世の中で本当に良いのか、誰か真剣に考えている人がいるのでしょうか。