東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

世界選手権を終えて

2024年10月29日 23時38分48秒 | 仰秀シアトルワールド

お世話になっております。クルーザー班主将の関根佑樹です。

 

世界選手権の振り返りについて書かせていただきたいと思います。

 

まず、今回、クルーザー班が世界選手権に出場し、無事帰国することができたのはたくさんの方々の支えがあったからに他なりません。

日頃の活動や今回の遠征において技術面・資金面で支援してくださっているLBの方々、現役に一番近い立場で色々とアドバイスをくださった監督チーム、小網代でレースや練習をしてくださったり今回の遠征でもご協力いただいた社会人チームの皆様、マリーナをはじめとして関わってくださっている業者の方々、日常生活で支えてくださっている家族、一年生の時からともに切磋琢磨してきているディンギー班の仲間、皆さんの助けがなくては今回の遠征は成立し得ませんでした。改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。

また現地においては、空港からの行き帰りの送迎や炊飯器の貸し出し、懇親会などを開いてくださったシアトル淡青会の皆様、チャーター艇のオーナーであるMr. Youch、コリンシアンヨットクラブや大会運営の方々、そして海外チームの方々にたくさんのご協力をいただきました。ありがとうございました。

 

このようにたくさんの方々の支えで何とか出場を遂げた世界選手権ですが、自分自身にとって一番助けとなってくれたと感じているのは、やはり同期の友成やクルーザー班の後輩たちです。

 

2023年の全日本選手権が終わり、世界選手権に行けそうだという流れになったのは、関東J/24協会の新年会で日本J/24クラス協会会長の亀山さんに「君たちワールド行けるよ!」とおっしゃっていただいた時です。その時の自分自身の気持ちとしては、ついに世界選手権に行けるのかというワクワクした気持ちと、自分が主将としてチームを引っ張って世界選手権出場という大仕事をすることができるのだろうかという大きな不安な気持ちでした。

 

「世界選手権出場」というのは、自分がクルーザー班に勧誘された決定打でした。当時、ヨットをほとんど知らない自分が、大学スポーツで世界に行けるなんてなんて夢があるんだと思ったことがクルーザー班に入ったきっかけであり、それから3年間、頭のどこかで「世界選手権」を意識してヨットをやってきていました。それゆえ、世界選手権出場が現実味を帯びてきたことに対するワクワク感はかなりのものでした。

また、クルーザー班としても2018年以来出場することが叶わず、いかにして世界選手権を出場しようかともがき続けていました。そんな中手にした世界選手権の出場権はクルーザー班としても願ってもない好機でした。

その一方で、自分自身としては不安な気持ちも非常に大きかったです。世界選手権に出るということは、全日本選手権とは違った大きな難しさがあると感じていました。そもそも前回出場したのが2018年と6年も前のことであり、少なくとも経験した現役はいない。そのため、チャーター艇はどうすれば良いのか、資金はどうしたら良いのか、移動手段は、エントリーは、保険は、、、などほとんどが部としても初めてのことだらけでした。そんな大仕事を自分が主将として引っ張っていけるのか、主将の先輩方である中野さん、維摩さん、ひでさんと何とか肩を並べようとしている自分にとってそれ以上の大仕事をできるのか、とにかく不安でした。

でもやっぱりやってみたいから進むしかない。そんな気持ちで準備を始めていきました。

 

そんな自分の内心を察されていたのでしょうか。後輩たちがとにかく優秀な動きを見せてくれました。

 

特に自分の不安な気持ちを取り去ってくされたのは3年の源と太智でした。源にはチャーター関連を任せていたところ、色々な条件を見定めて1艇に絞り、「これにしましょう!」と言ってくれました。彼のリーダーシップが垣間見えました。さすがは次期主将です。また、オーナーとのメールのやり取りも支払いについてもやってくれました。太智には宿やレンタカーを任せていましたが、候補をズラズラーと並べて、条件を比較して「これがいいと思います。」と言ってくれました。さすがは気遣いの鬼です。彼らは、事務作業はもちろんのこと、しっかりと自分の意見を持ち、実際に意見をする、また新しいことにどんどんと挑戦をしていく姿には、これ以上ないほど助けられました。彼らの代では何かすごく大きなことを成し遂げてくれるのではないかと、密かに大きな期待を膨らませている、というのはここだけの話です。

 

2年の木藤と古川もかなりの大物です。木藤はとにかくSNSをこりにこって投稿してくれたり、スポンサーの獲得に向けて動いてくれ、また海外でのヨットレースという珍しい状況で適用できる保険はないかと奔走してくれました。古川は彼は彼で、とにかく色々なチームに乗りに行ってくれます。関東の船のみならず7月には石垣島でのレースにも乗りに行っていました。この積極性はチームに新たな風を吹かし、どんどんといい方向へ導いて行ってくれています。そんな彼らは、世界選手権の帰りの飛行機で今後のチームの方向性について大喧嘩をしてしまうほどヨットに情熱のある後輩たちです。この情熱は今後もチームの大きな推進力になると思っています。

 

構成も何も考えずに書き進めていたらなんだか後輩へのラブレターみたいになってしまいそうなので、世界選手権の話、特に当日の話について書かせていただこうと思います。

とはいえ、詳しいレース展開や自分たちの心情については太智のブログで書いてもらっているので、ここでは自分の心が動いた瞬間ベスト3を書いてみたいと思います。

 

第3位、最終日のハーバーバックです。

最終日、風待ちの後行われた第9レース、スタートが上手くいかなかった中、まだ1レースあるからとにかく一つずつ着実に順位を上げていこう。そんな気持ちで船を走らせていました。しかし、フィニッシュする5秒前、スピンの向こうに見える本部船にAPAが掲揚されていました。その時の何とも言えない虚しさは言葉に形容し難い気持ちでした。一方で、フィニッシュ後、そのままスピンで全艇ハーバーバックした時の景色には改めてこんなに多くの船で、みんな同じ船に乗ってレースをしてきたのかと改めて思う瞬間となりました。横並びでスピンを上げて10艇がぎっしり走っている中から見る景色はなかなか味わうことができないものでした。

 

第2位、第2レースの6位フィニッシュです。

第2レース、とにかくスタートが上手くいきました。自分たちはジャストスタートを決める中、周りの船がリコールし戻っていったためとにかくフレッシュで走り続けることができました。その結果、1上を1位回航することができました。ただ、その時は1位回航ということは分かっていましたが、あくまで冷静に走らせることに集中していました。その冷静さのおかげか、最小限のダメージで6位フィニッシュを決めることができました。6位フィニッシュが決まった瞬間はこれまでにないほど嬉しく、興奮しました。

 

ここで番外編です。今回の遠征で一番ヒヤヒヤした瞬間はプロテストを受け、それに参加する源を待っている時です。これはベスト3に入れてもいいかなとも思ったのですが、源が詳しく書いてくれているのでここでは詳しい話は書かないことにします。ただ、初めて審問に関わったのが世界選手権になるとは想像もしていませんでした。

 

第1位はハーバーでの優しい人たちです。

まず最初にハーバーで出会ったのは計測委員のノエルさんです。自分たちがチャーター艇の前でオーナーの到着を待っていたところ、彼は「案内してやるよ!ついておいで!」で陽気な調子で話しかけてくださりました。そして、「何でも聞いてね!」と声をかけてくださり、ハーバーでの最初の歓迎を受けました。気さくでアメリカらしいジョークを言う方で、自分たちが船を陸で牽引していたところ、首の前で親指を切って「You’re fired!」のジェスチャーをしながら、「You are perfect!」と声をかけてくださいました。

オーナーのケンさんも気さくな方で、彼の言うジョークは半分くらいしか分かりませんでしたが、6位フィニッシュをした日に会った際は「すごいね!明日も走れよー!」と応援してくれ、そして感慨深そうにしていました。

また、別チームのメンバーのカエサルさん(?)は、いとこが日本の千葉に住んでいるから日本大好きだよ、とこれまた熱烈な歓迎を受けました。

最終日に出会ったのは、名前も分からない男の方で、無口ではありつつもジェスチャーはおしゃべりという中々日本では合わないタイプの方でした。彼には上架を手伝ってもらいました。また、ヨットクラブから歩くには遠い船の置き場まで車で送ってもらいました。その際、初めて会った名前も知らない自分にクッキーとジュースを奢っていただきました。車は1980年台のアメ車のような車で、車内にはラテン音楽が流れていました。そんな車内でクッキーとジュースを食べ、これがアメリカかと感じました。

 

以上、まとまりのない文章となってしまいましたがこれにて世界選手権の振り返りブログを終わらせていただきます。

 

改めまして、このような貴重な経験をすることができたのはひとえに周りの方々のおかげです。ありがとうございました。

 

今後も11月の全日本選手権に向けて、短い期間とはなりますが精一杯頑張っていきますので応援のほどよろしくお願いいたします。

 

 

関根佑樹


愛を感じて

2024年10月28日 13時38分24秒 | 仰秀シアトルワールド

平素よりお世話になっております、クルーザー4年の友成です。

 

9月28日から10月5日まで開催されました、J24世界選手権について書かせていただきます。

 

私自身のブログでは、世界選手権出場決定から実際に参加するまでの手順、取り組んだことを中心に(後世への記録用として)書かせていただきます。

 

 

前年度の全日本選手権で7位に入り、上位艇の辞退により出場権を獲得いたしました。

いざ、ありがたくも出場が決定したものの、チームとして最後に出場したのは6年前ということもあり、何から手をつければよいのかまったくわからない状態でした。

 

そこからは、ドライブに残されていた過去の先輩方の資料を拝読し、やるべきタスクを整理していく、分担していくということを半ば手探りで行いました。(こういった事務資料にしても座学資料にしても記録として残っているのは非常にありがたい限りです)

 

エントリーの手順や現地での整備計画含めタスクは多くありましたが、大きく分けて二点書こうと思います。

 

 

  • チャーター艇について。これがとにかく大きくて大変な作業だったと思います。3年生の源が主に担当してくれました。3,4月ごろより世界選手権の公式ホームページにアップされているチャーターボートリスト(写真と説明が記載されている)を見て、どの船がよさそうか・速そうかというのを担当者がリストアップしてくれ、皆で話し合って決定しました。船を決定する上では、チャーターフィー・その船の過去の実績、基本搭載備品(艤装の種類)や船底等の状態などを中心に確認しました。5月ごろよりオーナーの方と連絡を取り、計測証明書などエントリーに必要な書類や決済方法の確認など行いました。結果的に艤装も普段使っている状態に近く(ブロック類等は自分達で持ち込みましたが)、コスパ最高の船を選べました。(オーナーの方も非常に親切で現地での買い出しに車まで出していただきました、ありがとうございました)自分達がよく走れるレースもあったのは、良い船を選べたことに尽きると思います。源の目利きともろもろの準備には大変頭が下がります。

 

  • 資金面について。これも航空機・宿泊費・現地での食費・レンタカー代などあらかじめ試算してどのぐらい必要なのかを確かめました。現役強化費で補う分に加えて、それでも足りない分はLBの方からのご寄付・そして自分達で資金を調達する、の二通りの手段を講じました。前者については、LB通信や総会でお話しすることで、どのぐらい必要なのか、またどういう思いで世界選手権に参加したいのかをお話しさせていただきました。結果的に目標額を上回るご寄付をいただけました。後者については、業務用スーパーが行なっているスポーツ支援事業の補助金制度を使わせていただきました。(これは主将の関根が資料作成から面接までやってくれました。)サポートメンバー含め世界選手権という大掛かりな遠征を実現できたのは、まさにLBの皆様のご支援・そして部員の皆の頑張りのおかげです。ありがとうございました。

 

 

最後にはなりますが、この世界選手権では周囲の皆様に支えられていることをとにかく感じる瞬間が多かったです。インスタへの反応をいただけたり、普段活動しているマリーナの方からメールで激励のお言葉をいただいたりと、たくさんの方々から気にかけていただきました。(結果速報が遅れてしまったことに関しまして申し訳ございませんでした。)

改めまして、LB様をはじめとする皆様、一緒に行ってくださった社会人チームの皆様、マリーナの皆様、現地で生活全般のご支援をしてくださったシアトル淡青会の方々、ハーバーの方々、オーナー様、タスクを完璧にこなしてくれたチームメンバー、ご家族の皆様、お世話になった全ての方々に感謝申し上げます。このような自分史のハイライトとなるような貴重な経験をさせていただき、誠にありがとうございました。

 

たくさんの方々のご声援をいただいていることを身に染みて実感したからこそ、レースには大変悔いが残ります。途中まで手中におさめていたU25優勝を逃したことがいまの自分達の実力です。弱さに向き合って、チーム2024を締めくくるべく全うします。

 

 

 

友成遼


Don't Look Back in Anger

2024年10月25日 02時05分09秒 | 仰秀シアトルワールド

お世話になっております。
クルーザー班3年の杉山です。


10月上旬に行われたWorld Championship 2024の振り返りをしたいと思います。
今回の遠征は運営の方々をはじめ、仰秀を応援してくださりご支援くださった皆様、シアトル淡青会の皆様、シアトル現地の方々、その他多くの方々に大変お世話になり、実現したものでした。
ワールド出場という貴重な機会をいただけたこと、深く感謝しております。ありがとうございました。

シアトルの海は冷たく、風は色々なコンディションがありました。
1日目は風待ちから北風が入ってきて、レースを始める頃にはジブにチェンジし、ランニング中に弱まりジェノアに戻すような風。2日目は北風でラルパフの激しい軽風、3日目は安定した北風中風、4日目はがらりと変わって冷たい雨が降り注ぎ、初めて経験するほど不安定なフレとラルパフの南風強風。最後の下レグにはすっかり晴れて風がパタッとなくなりDNFギリギリのフィニッシュ。そして最終日、5日目は風待ちからなんとか北風が入り軽風~中風で最終レースを終えました。

成績としては
36-6-14-26-44-24-39-(55)-40 計229点
56艇中31位、U25で5艇中3位、2位まであと13点、1位まであと17点

非常に悔しい結果に終わりました。
関根さんのヘルム、友成さんのヘッドセールトリム、源ちゃんのコースがあれば、僕らの走りができれば優勝は狙える、2日目を終えてそう思いました。しかし慣れないビッグフリート、聞き取れない英語、意見の相違、1週間を超え疲れの出てきたアメリカ生活など、様々な要因がそれを難しくし、結果的に順位を落としてしまいました。
最終日はできて1レースだろうという前評判の通り、朝からAP。1位とは19点差。56艇のレースでは追いつくことも不可能ではない、そんな状況でした。順位が決まる最後のレース、下側にはU25の1位2位のチームが並んでいました。別の船に下に入られ、ケアしながらバウアップしたところ最悪のリコール。下の船をすべてよけると船団とは既に大きな差が生まれていました。集中して走るしかない中、少しずつ順位を上げましたが、何も特別なことは起こりませんでした。U25の1位・2位のチームは気付けばほぼ真横でフィニッシュ。どちらも大きく崩していたために、スタートがうまくいけば優勝はありえたのではないか。隣で優勝の喜びを身体いっぱいで表現するU25優勝チームを横目に見ながら、悔しさと無念さが胸いっぱいに広がりました。

なんだかうまくいかない、なんだか空気が濁っている、そう感じながらそれを改善できずズルズル悪いレースを続けてしまう、そんな状況を打破できなかったことが、すごく悔しいです。


最終レースが終わりチャーター艇の上架などを行った後、立派なミュージアムでクロージングセレモニーに参加しました。
日本から参戦した月光ダイアナチームは4位、シエスタチームは5位という好成績で、表彰されていました。
U25は優勝がアメリカのsaltineチーム、2位がアメリカ・地元シアトルのsparkチーム、3位が我々、4位がドイツのItchy&Scratchyチーム、5位がアメリカ・コロラド州のShell Shocked、6位がアメリカ・ニューヨーク州のSeaweedチームでした。
表彰式は粛々と聞いていたのですが、表彰式が終わり自由時間になったとき、優勝したSaltineチームのメンバーと話すことができました。
Saltineチームは幼少期に同じヨットクラブに所属していたメンバーが、大学生になりアメリカ全土に散らばったのち、久しぶりに結成したチームだったそうでした。珍しく青色のハルをしていた僕らの船をずっと気にしていたらしく、"You all are wonderful competitors! The blue boat was always very fast!と褒めてくれました。
また係留バースが隣だったジャーマニー達は友達同士でワールドによく出場しているらしく、いつまでもイケメンでクレイジーでした。

U25チームのみんな、ナイスガイばかりでした。

閉会式の後U25のチームと話し、記念に写真を撮ってもらったことでやりきれない気持ちは次第に晴れ、良い大会だった、貴重な体験だった、と充足感が満ちてきて、アメリカ最後の夜が終わりました。

しかし日本に戻れば悔しさは再び生まれ、心から消えません。
来年のワールドはイギリスのプリマス。叶うことならもう一度出たい、と思っています。

日本に戻ってきて、ヨットに関わる人たちから2日目の1上1位回航を褒めてもらい、関心を持ってくれる嬉しさとともに最後まで1位を維持できなかった不甲斐なさを痛感します。

去年の全日本で出場権を獲得してから、自分の中でシアトルワールドは特別な目標でした。せっかく先輩方が掴んでくれ、多くの方に応援してもらっているからこそ、ワールドのためなら時間と労力は惜しまない心意気でいようと思っていました。世界を知るBigな男になって帰ってくることを夢見ていました。しかし詰めが甘かった。
これからはヨットの目標は全日本に定め、この代の集大成を万全の準備で臨みます。また、目を背けつつあった学科の勉強にも精を出していきたいと思います。

実際にワールドに出てみて、セーリングを通して世界の人々と通じ合えた喜び、仰秀というチームの知名度、J/24協会やヨットクラブの歴史など多くのことを体験できました。
初めての海外で、貴重で最高の体験をさせていただきました。

 

クルーザー班3年 杉山太智



さいごに少しまちの感想と写真を。

ヨットクラブのあったバラード地区は生活の安定した人が多く、街並みも治安もすごく落ち着いた場所でした。高い建物は少なく、樹木が針葉樹林で日本では珍しい街路の光景でした。穏やかな感じがすごく気に入りました。

シアトル中心部は海から丘になっており、高層ビルの形成するスカイラインがとてもきれいでした。海沿いとPikes Marketは観光地化されていて人で賑わっていました。観光は少ししかできなかったのでまたいつか訪れてみたいです。

↑シアトル市街地

↑1上トップ回航の瞬間

↑トップ回航後6位フィニッシュを受けてのインスペクション立ち入り

↑さむさむ~

↑U25優勝Saltineチームの表彰

↑優勝のSaltineチームと

↑ジャーマニーたちと

↑U25トロフィーも持たせてもらいました

↑シアトル淡青会の方とのパーティー。送迎や炊飯器など大変お世話になりありがとうございました。


世界は広い

2024年10月22日 17時58分23秒 | 仰秀シアトルワールド

新入生自己紹介以来の投稿となります、一年の髙田智彰です。

昨日の小川の投稿に続いて、シアトルワールドの振り返りをしたいと思います。

 

ワールド出場が決まったのは、僕が東大に入る前なので、それまでの事務作業等は先輩方がほとんどやってくださっており、僕たち一年生はその甘い汁を吸わせていただくような形でした。だからこそ、この一週間でしっかりと勉強していろいろなことを吸収しなければいけないなと思っていました。

とは言え、当然僕はワールド出場メンバーではなく、サポートメンバーとしての渡航であり、前々から「もしかしたら、ほかの船に欠員が出て乗れるかもしれないよ!」と言われていたものの、サポートメンバーがシアトルに着くのは大会一日目だったので、「もうレースがスタートしてしまった後に探すのは厳しいのでは?」と考えていました。

 

ここからは一日ごとの短い振り返りをしていきたいと思います。

 

一日目

羽田空港に集合して午後4時ごろに日本を出発。ついたのは現地時間の午前9時ごろでした。ただ、入国審査ですこし問答があり、怖い思いをしました。

「入国の目的は?」

「ヨットレースに出るためです。」

「何人乗り?」

「6人です。」

「でも君達4人で来てるよね?」

「それは、僕たちはサポートメンバーなので…」

「わかった。でも入賞したら賞金とか出るんじゃないの?」

「すいません。よく知らないです。」

「知らないってことないだろ笑?」

ここでタトゥーの入った怖い審査官追加。二人で何やら話し合い、なぜか入国許可。二度と入国審査は受けたくないですね。視線で殺されそうでした。

空港にはシアトル淡青会の方が車で迎えに来てくださり、ハーバーまで送ってくださいました。ハーバーに着くと、日本ではまず見ることのない数のヨットに圧倒されました。マストの数がとんでもないので、向こうの景色が良く見えないのです。ハーバー到着は昼前ぐらいでしたが、この日は風が弱く、まだ仰秀チームは出艇していませんでした。先輩方に挨拶をすると、もうそろそろ出艇だということなのでサポートメンバーはやることもなく、その日は周辺を散歩してアメリカの空気を味わっていました。

大会期間中は毎晩パーティーが開かれるので、そこで顔を売って、乗せてもらえる船がないか探そうとしていましたが、その日はパーティー入場のために必要なリストバンドのようなものを買うのに手間取ってしまい、良い収穫もないままその日を終えました。

 

二日目

今日も引き続き、乗せてもらえる船がないかと朝からハーバーを巡っていました。大和さんが、僕たち一年生を連れていろんな船の方に声をかけてくださり、レースにでる船で乗せてもらえるところは見つかりませんでしたが、上マーク付近の運営艇に乗せてもらえるよう交渉してくださり、この日はこの船に乗ってレース見学をさせてもらいました。

この日の第一レースで仰秀は一上一位で回航しました。次第に近づいてくる艇団の大きさに圧倒されながら、小川と「あれ、なんか仰秀速くない!?」と興奮していました。そのまま一位回航をしたときは、嬉しさに流されるまま仰秀インスタにその旨を投稿しました。船に乗っていた運営スタッフの方も「君たちの船めちゃくちゃ速いじゃん!」と声をかけてくれました。多分この景色は一生忘れないと思います。

その日のレースが終わり、パーティーが始まると、僕たちの顔を売る時間の始まりです。一日目はそんなに時間が取れなかったのであまり気にしていませんでしたが、とにかく声がかけずらい。大前提として全員英語を話していますし、なんとなく顔見知りだったりのグループで話しているのです。先輩方に引っ張ってもらいながら、何チームかに声をかけたのですが、芳しい結果は得られませんでした。

 

三日目

この日もヨット探しをしましたが、見つからず、運営艇に乗せてもらえるかもと、聞きに行くも今日は船が満員だからダメと言われてしまいました。この日はシアトル淡青会の方が、シアトル観光に連れて行ってくださるとのことだったので、それに同行させてもらいました。正直なところ、せっかくだから観光も少ししたいな、という思いがないわけではなかったので良い体験ができました。

夕方ハーバーに帰ってきてからはまた、パーティーでの顔売りです。この日は梅さんと秀さんのアイデアで胸と背中に「名前」「体重」「船を探しています」という内容を書いたビニールテープを貼り、パーティー会場を回りました(見出し画像がその写真)。これが効果てきめんで、いろんな人に声をかけてもらいました。苦笑いする人もいましたが。それでも乗せてくれるヨットは見つかりません。この日は多くの人に声をかけられたり、写真を撮られたりしたのに見つからなかったことから、結構心が折れていました。

 

四日目

この日は二日目に乗った運営艇に乗せてもらえることができました。あいにくの雨模様でめちゃくちゃ寒かったですが、レースを間近で見られました。この日、仰秀はあまり振るわず、U25のトップの座を明け渡すこととなってしまいました。長いことレースを見ていると、順位のよい船と悪い船は船の上での動作があまりうまくいっていなかったり、スピンがきれいに張られるまでのスピードが全然違ったり、という違いがあるなということに気づき始めました。小川と、「風ふれたね」「ブロー近づいてきてるけどすぐ抜けそう」「陸側で風が弱そうなのは陸のブランケだからじゃないか?」などと色んなことを話し合えたのもいい経験だったと思います。

夜は、パーティーを早々に抜け、シアトル淡青会の方々とのパーティーに行きました。シアトル淡青会の方々は様々な業種に就かれており、なぜ海外で働くことになったのかなどのお話を伺えたのはとてもよかったです。僕はそこにいらした方と連絡先を交換させていただき、将来を考えるという意味でもよい機会となりました。

 

五日目

朝ハーバーに向かうと、源さんが僕たちのところに「欠員が出たところがあるらしい!」と走ってきました。詳しく話を伺うと、一名体調を崩してしまったチームがあったらしく、そのチームの方が、僕たちがテープを貼ってパーティー会場を巡っていたのを覚えていてくださったそうです。ただ、席は一つ。小川との魂のじゃんけんの結果、僕が勝利し、最終日にしてレースに出られることになりました。

無事体重測定もクリアし、そこからは受け入れてくださったチームCaramellaの皆さんと一緒に過ごしました。この日は風が弱く、レースができるかどうかもわからないような天候でしたが、何とか一レースできることに。「大学のヨットクラブって何人くらいいるの?」「何専攻してるの?」「ヨット始めてどれくらい?」など様々なことを聞いてくださり、それに何とか答えているとあっという間にレースの時間に。

船の上で、僕がやるべき仕事について教えてくださり、いつもと違う役割分担で若干戸惑いはありつつも、ついにレースが始まる5分前となりました。スタートラインに並ぶ船の尋常ではない数に圧倒されながらついにスタート。Caramellaはリコールしてしまい、船は少し険悪になりましたが、それでも慣れない僕に声をかけつつレースを走っていました。

仰秀とは様々な違いがありました。ジェノアにつく大量のテルテール、もともとついていないトッパーとフォアガイ、頻繫に行うポジション移動(これは僕がいるからかもしれませんが)。日本でのレースとの大きな違いは上マークにリーチングがあることだと思います。ここの時間の余裕があるからこそこのような違いが生まれてきているのだと思いました。

結果は仰秀もCaramellaも芳しくなく何とも言えない空気が船の上に流れていましたが、Caramellaは何回もワールド出場経験があるらしく、船の上架が混雑するからと、すごい勢いで解装をはじめ、全体で二番目に上架してもらっていました。その後、乗せてもらったお礼を言い、また次のワールドで会おう!と約束し、別れました。

その後仰秀チームと合流し、最後の表彰式兼パーティーに向かいました。残念ながら仰秀は目標だったU25優勝を果たすことができず、僕も悔しい思いをしながらU25の表彰を見ていました。次があれば、絶対に僕たちがあの場に立ちます。

その後、宿で片付けをし、帰国の準備をしました。

 

6日目

朝、シアトル淡青会の方が空港まで送ってくださり、そのまま飛行機で帰国しました。出国審査も入国審査と同じくらい厳しいのではないかとドキドキしていましたが、何事もなく出国。無事午後2時に日本に着きました。

 

ここまで長文を読んでくださり、本当にありがとうございました。言いたいことはもう言い尽くしたと思いますが、最後に一つだけ。

小川も書いていましたが、ワールドという具体的な目標が定まった良い経験となりました。僕たちを支援してくださったLB会、シアトル淡青会、保護者の方々、そして現地で忙しいのにもかかわらず僕たちの面倒を見てくださった先輩方、本当にありがとうございました。これからも精一杯頑張りますので応援のほどよろしくお願いいたします。


冷めやらぬほとぼり

2024年10月21日 23時46分05秒 | 仰秀シアトルワールド

お世話になっております。クルーザー班1年小川です。

 

ワールド振り返りの名目ですが、自己紹介以来のブログなので夏の振り返りも簡単にここでさせてください。

 

 

今年の夏は「ヨットの解像度を上げる」をとにかく個人の一番の目標に練習してきました。何のためにバングをひくのか、ヘルムのなんたるや、どういうコースを選ぶのか。まだまだ知識の浅いところはありますが、基本的なところは経験を裏づけにおさえられたんじゃないかと勝手に思っています。先輩方が懇切に指導してくださったおかげです。ありがとうございます。

 

 

さて、本題のワールドの振り返りを。とは言ってもサポーターとして参加したのでざっとにはなってしまいますが。

 

ワールド行けるという話を聞いた時は、ただただついて行ってサポートついでにどっかのチーム乗れたらいいなー、なんて無粋に思ってました。だんだん日が近づき、LBや淡青会の方々の支援の話を聞くようになってきて、今回自分がこの経験ができるのは、決して簡単に転がってくるような機会ではないと実感しました。だからこそ、経験だけにとどまらず、より多くのことを吸収するつもりで、このワールドに臨みました。

 

いざシアトルの舞台に立って一番の問題は英語でした。相手が何か言っても全然聞き取れない、何か言おうにもなんて言えばいいかパッと出てこない。ので、周りの英語できる髙田や先輩に頼って自分は隣にいて愛想笑いしてばかりでした。次ワールドいく時はもう少しマシな感じにしていきます。

 

フィニッシュボートにレース2、3、5日目に乗せてもらいました。木藤さんが一緒にあちこち回って話をつけてくださったおかげです。何十艇もの船が視界ギリギリまで広がって迫ってくる。J24は6艇ばかりのフリートレースしか経験がなかったので、海上から見たレースの風景は壮観でした。上マークでスタボ艇の行列に入れずぐるぐる回るといった、艇数が多いことによるハプニングも散見されました。一緒にフィニッシュボートに乗った運営チームは気さくに話しかけてくださる優しい方々でした。「あそこは陸のブランケになっていて、風の入り方が違うのよ」といった今後に活かせるような話もしてくださいました。

 

他の艇に乗れるチャンスもありました。3日目の夕方、欠員の出た艇を探していて乗らせて欲しい旨を書いたガムテープを胸と背中に貼ってレース後のパーティ会場にいたところ、たくさんの温かで気さくな方々が面白がって写真を撮ってシェアしてくださいました。捨て犬とか言ってる人もいましたが、多少の恥を忍んだ甲斐もあり5日目に「チームの一人が体調崩してしまったから一緒に出ない?」との知らせが来ました。が、髙田とのじゃんけんの末その権利は譲ることに。楽しみにしていた分ショックでした。この続きは次回の髙田のブログに譲ります。

 

 

 

最後に総括的な話を少しだけ。

世界の舞台で戦う先輩方の姿はほんとにかっこよかったですし、尊敬してます。2日目1レースで1上を1位で通過した時は本当に興奮したのを鮮明に覚えてます。そして、大会全体を通してすごく熱のあるものだったと感じています。具体的な目標となるような大きな大会の経験が無く、正直何か物足りなさを感じていました。初めての大会がこのような素人の自分には大きすぎる舞台で、すべてが新鮮で、衝撃でした。また、次のワールドはプレイヤーとして仰秀の名を背負ってまた違った景色をみたいとも強く思いました。

 

ヨット素人に今回このような経験をさせていただき、本当に感謝しかないです。次に繋げられるように尽力して参ります。