お世話になっております。クルーザー班主将の関根佑樹です。
世界選手権の振り返りについて書かせていただきたいと思います。
まず、今回、クルーザー班が世界選手権に出場し、無事帰国することができたのはたくさんの方々の支えがあったからに他なりません。
日頃の活動や今回の遠征において技術面・資金面で支援してくださっているLBの方々、現役に一番近い立場で色々とアドバイスをくださった監督チーム、小網代でレースや練習をしてくださったり今回の遠征でもご協力いただいた社会人チームの皆様、マリーナをはじめとして関わってくださっている業者の方々、日常生活で支えてくださっている家族、一年生の時からともに切磋琢磨してきているディンギー班の仲間、皆さんの助けがなくては今回の遠征は成立し得ませんでした。改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。
また現地においては、空港からの行き帰りの送迎や炊飯器の貸し出し、懇親会などを開いてくださったシアトル淡青会の皆様、チャーター艇のオーナーであるMr. Youch、コリンシアンヨットクラブや大会運営の方々、そして海外チームの方々にたくさんのご協力をいただきました。ありがとうございました。
このようにたくさんの方々の支えで何とか出場を遂げた世界選手権ですが、自分自身にとって一番助けとなってくれたと感じているのは、やはり同期の友成やクルーザー班の後輩たちです。
2023年の全日本選手権が終わり、世界選手権に行けそうだという流れになったのは、関東J/24協会の新年会で日本J/24クラス協会会長の亀山さんに「君たちワールド行けるよ!」とおっしゃっていただいた時です。その時の自分自身の気持ちとしては、ついに世界選手権に行けるのかというワクワクした気持ちと、自分が主将としてチームを引っ張って世界選手権出場という大仕事をすることができるのだろうかという大きな不安な気持ちでした。
「世界選手権出場」というのは、自分がクルーザー班に勧誘された決定打でした。当時、ヨットをほとんど知らない自分が、大学スポーツで世界に行けるなんてなんて夢があるんだと思ったことがクルーザー班に入ったきっかけであり、それから3年間、頭のどこかで「世界選手権」を意識してヨットをやってきていました。それゆえ、世界選手権出場が現実味を帯びてきたことに対するワクワク感はかなりのものでした。
また、クルーザー班としても2018年以来出場することが叶わず、いかにして世界選手権を出場しようかともがき続けていました。そんな中手にした世界選手権の出場権はクルーザー班としても願ってもない好機でした。
その一方で、自分自身としては不安な気持ちも非常に大きかったです。世界選手権に出るということは、全日本選手権とは違った大きな難しさがあると感じていました。そもそも前回出場したのが2018年と6年も前のことであり、少なくとも経験した現役はいない。そのため、チャーター艇はどうすれば良いのか、資金はどうしたら良いのか、移動手段は、エントリーは、保険は、、、などほとんどが部としても初めてのことだらけでした。そんな大仕事を自分が主将として引っ張っていけるのか、主将の先輩方である中野さん、維摩さん、ひでさんと何とか肩を並べようとしている自分にとってそれ以上の大仕事をできるのか、とにかく不安でした。
でもやっぱりやってみたいから進むしかない。そんな気持ちで準備を始めていきました。
そんな自分の内心を察されていたのでしょうか。後輩たちがとにかく優秀な動きを見せてくれました。
特に自分の不安な気持ちを取り去ってくされたのは3年の源と太智でした。源にはチャーター関連を任せていたところ、色々な条件を見定めて1艇に絞り、「これにしましょう!」と言ってくれました。彼のリーダーシップが垣間見えました。さすがは次期主将です。また、オーナーとのメールのやり取りも支払いについてもやってくれました。太智には宿やレンタカーを任せていましたが、候補をズラズラーと並べて、条件を比較して「これがいいと思います。」と言ってくれました。さすがは気遣いの鬼です。彼らは、事務作業はもちろんのこと、しっかりと自分の意見を持ち、実際に意見をする、また新しいことにどんどんと挑戦をしていく姿には、これ以上ないほど助けられました。彼らの代では何かすごく大きなことを成し遂げてくれるのではないかと、密かに大きな期待を膨らませている、というのはここだけの話です。
2年の木藤と古川もかなりの大物です。木藤はとにかくSNSをこりにこって投稿してくれたり、スポンサーの獲得に向けて動いてくれ、また海外でのヨットレースという珍しい状況で適用できる保険はないかと奔走してくれました。古川は彼は彼で、とにかく色々なチームに乗りに行ってくれます。関東の船のみならず7月には石垣島でのレースにも乗りに行っていました。この積極性はチームに新たな風を吹かし、どんどんといい方向へ導いて行ってくれています。そんな彼らは、世界選手権の帰りの飛行機で今後のチームの方向性について大喧嘩をしてしまうほどヨットに情熱のある後輩たちです。この情熱は今後もチームの大きな推進力になると思っています。
構成も何も考えずに書き進めていたらなんだか後輩へのラブレターみたいになってしまいそうなので、世界選手権の話、特に当日の話について書かせていただこうと思います。
とはいえ、詳しいレース展開や自分たちの心情については太智のブログで書いてもらっているので、ここでは自分の心が動いた瞬間ベスト3を書いてみたいと思います。
第3位、最終日のハーバーバックです。
最終日、風待ちの後行われた第9レース、スタートが上手くいかなかった中、まだ1レースあるからとにかく一つずつ着実に順位を上げていこう。そんな気持ちで船を走らせていました。しかし、フィニッシュする5秒前、スピンの向こうに見える本部船にAPAが掲揚されていました。その時の何とも言えない虚しさは言葉に形容し難い気持ちでした。一方で、フィニッシュ後、そのままスピンで全艇ハーバーバックした時の景色には改めてこんなに多くの船で、みんな同じ船に乗ってレースをしてきたのかと改めて思う瞬間となりました。横並びでスピンを上げて10艇がぎっしり走っている中から見る景色はなかなか味わうことができないものでした。
第2位、第2レースの6位フィニッシュです。
第2レース、とにかくスタートが上手くいきました。自分たちはジャストスタートを決める中、周りの船がリコールし戻っていったためとにかくフレッシュで走り続けることができました。その結果、1上を1位回航することができました。ただ、その時は1位回航ということは分かっていましたが、あくまで冷静に走らせることに集中していました。その冷静さのおかげか、最小限のダメージで6位フィニッシュを決めることができました。6位フィニッシュが決まった瞬間はこれまでにないほど嬉しく、興奮しました。
ここで番外編です。今回の遠征で一番ヒヤヒヤした瞬間はプロテストを受け、それに参加する源を待っている時です。これはベスト3に入れてもいいかなとも思ったのですが、源が詳しく書いてくれているのでここでは詳しい話は書かないことにします。ただ、初めて審問に関わったのが世界選手権になるとは想像もしていませんでした。
第1位はハーバーでの優しい人たちです。
まず最初にハーバーで出会ったのは計測委員のノエルさんです。自分たちがチャーター艇の前でオーナーの到着を待っていたところ、彼は「案内してやるよ!ついておいで!」で陽気な調子で話しかけてくださりました。そして、「何でも聞いてね!」と声をかけてくださり、ハーバーでの最初の歓迎を受けました。気さくでアメリカらしいジョークを言う方で、自分たちが船を陸で牽引していたところ、首の前で親指を切って「You’re fired!」のジェスチャーをしながら、「You are perfect!」と声をかけてくださいました。
オーナーのケンさんも気さくな方で、彼の言うジョークは半分くらいしか分かりませんでしたが、6位フィニッシュをした日に会った際は「すごいね!明日も走れよー!」と応援してくれ、そして感慨深そうにしていました。
また、別チームのメンバーのカエサルさん(?)は、いとこが日本の千葉に住んでいるから日本大好きだよ、とこれまた熱烈な歓迎を受けました。
最終日に出会ったのは、名前も分からない男の方で、無口ではありつつもジェスチャーはおしゃべりという中々日本では合わないタイプの方でした。彼には上架を手伝ってもらいました。また、ヨットクラブから歩くには遠い船の置き場まで車で送ってもらいました。その際、初めて会った名前も知らない自分にクッキーとジュースを奢っていただきました。車は1980年台のアメ車のような車で、車内にはラテン音楽が流れていました。そんな車内でクッキーとジュースを食べ、これがアメリカかと感じました。
以上、まとまりのない文章となってしまいましたがこれにて世界選手権の振り返りブログを終わらせていただきます。
改めまして、このような貴重な経験をすることができたのはひとえに周りの方々のおかげです。ありがとうございました。
今後も11月の全日本選手権に向けて、短い期間とはなりますが精一杯頑張っていきますので応援のほどよろしくお願いいたします。
関根佑樹