降って来るもの

写真と散文とぽえむ

言伝を-伝ⅩⅥ-

2019-02-22 11:15:40 | 詩17

          

                                                                     伝ⅩⅥ「評価」



何にしても

自分で皮算用するほどには

評価されてなどいないのだと

予め知っておくべきなのだ


過大評価と過小評価の間には

抜き差しならない

それこそ

渡るに難渋の氷河があって

誰一人として

その隙間を埋める困難さに

苦悩しないものはない


それだから

初めから自惚れた評価など

求めないのがいいのだ


ずっとしてから、やっとしてから

本当に価値あるものなら

人々の知るところとなるものだから・・


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classic-music

2019-02-22 07:10:11 | 随想

  


                       Classic-Music



 今では三十を超え、二児のpapaになった息子が高校生の頃に買い求めて使わなくなっていた、小さなスピーカーが左右に付いたCDとカセット共用のministereoをメンテナンスして、SHの居間の大きめの書架の真ん中あたりの棚に組み込んである。

 隣接する工場へ仕事に(量の多少にかかわらず、ほぼ毎日のように出向いているのだが)行って、洗い師の仕事が一段落したときや、その日のスケジュールを熟して余った時間などに、ゆったりと椅子に体を沈めて音楽を聴くことが多くなった。

 その昔、直ぐには聴かない(聴けない)のに買い求めて(生業の仕事を始めた頃だろうか?だとすれば、既に30年以上の年月が流れた・・)大切に保管していたカセットテープの「best-collection/classic-music」のケースを引き出し、20巻収納されたその中から「珠玉のピアノ.ギター名曲集」のカセットをセットし、語り掛けるように静かに流れる名手の名演奏の旋律をなぞりながら、僕は机に向かって書き物をしている。

 ベートーベンの”エリーゼのために”を聴きながら心身をリラックスしていると、遠い昔に夢見た-書斎のある暮らし-がこの年齢になってようように実現したのかと、穏やかに淀みなく移ろう時のまにまに時々身を任せながら感慨も一入になる。

 長い長いトンネルの遥か先に垣間見えていた光源の一瞬の煌めきのような、そこまで辿り着けるか五里霧中だった狭い空洞の道程を、僕は古希と言う一つの標識を直前にして、やっと限りなく出口に近いところまで到達しているのかも知れないと思う。

 結婚、子育て、生活のために脇目も振らずの一本道を必死に走り抜けて、とうとう何時でも夢の彼方に見ていた”僕の桃源郷”に辿り着こうとしているのだ。

 ショパンの”小犬のワルツ”が軽快なmelodyを紡ぎ出した。三人の子供たちはそれぞれに独立し、七人の孫にも恵まれた幸せ。僕は瑕疵なく己の人生を歩んできたのだと思える瞬間を持てることは、天恵のように有難い。

 その証左のように、此処までの道程の途中で僕に関わりを持ってくれた数多の人々や、今を支えてくれている縁の幾多りにただ感謝を捧げたい。自身の細やかな人生を織り上げてゆく為の、その一本一本のITOに想いを結んでくれた僕の友人たちとの交わりと、五感での触れ合いと、何よりその”邂逅の奇蹟”に感謝の盃を捧げながら、恵まれて永らえてきた己の人生の残り分を全うしたいと改めて誓う。

 余談だが、最近になって十数年ぶりに短歌を詠み始め、懐かしい新聞歌壇への投稿を再開した。テーマはやっぱり”老いと孫”に絞られるだろうか。何にしても、もし成果が(入選や特選に掲載されたら)上がればその都度そのUtaの紹介はしたいと企てている。

 又、楽しみに繋がる事象を一個増やしましたよ。乞うご期待!!

                                    2019 02/22 07:09 まんぼ

 

 

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