降って来るもの

写真と散文とぽえむ

音の出ないpianoは

2019-02-26 13:44:59 | 詩17

          音の出ないpianoは



君になら解ってもらえると思うんだけど

戻ってこない問いかけは

淋しいよね


何度でも何度でも

発信はできるのだけれど

結論が待つことと言うのは

侘しすぎるよね


-闇は何処まで行っても暗いし

-無は何処まで行っても姿を見せない


幾ら鍵盤を叩いたとしても

音の出ないピアノは

もう楽器じゃないもの


君になら知ってもらえるかも知れないけれど

帰ってこない谺は

そのうちに誰も声を出さなくなる


言葉が溢れ出すから

想いが湧き出すから

独りじゃないって感じるんだ


僕は何時でも”おはよう!”と声かける

其処に

独りじゃなく居ることを

確かめるために


いつでも、聞き耳を立てながら・・


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ふるさと行~山茶花と寒椿~

2019-02-26 07:07:08 | ふるさと

 先週の土曜日曜と気温が上がりお天気もまずまずの日和になったので、何十日ぶりかで古里の無人の生家(ちょっとカッコつけてthird-Houseなんて言ってますが・・)の”換気”に行ってきました。

 静寂、ヒトの気配すらない。僕の魂を育んでくれた精神の原点のような、そんな完璧に無我に成れる空間で、誰に見てもらう訳でもなく誰かに愛でてもらう機会もなく、それでも花たちはそれぞれの花として精一杯を実践する。

林間を掻き分けて上ってゆく。第二の故郷から二里。高低差100m、温度差5℃の空間へ。

映画のロケも可能?

曲がりくねった九十九折を抜けると、啄木が歌にしたような”ふるさとの山”が・・。

うさぎ追いし・・の野原

出発する前のFHの気温、14℃。木々の間を縫って登って来ると・・、まだ10℃に届かない。

山茶花の花が、眩し気に春の光を受け止める。

    

昔々、伊勢本街道に面してあった吾が村では、村の中では自然と、大文字屋、梅屋、橘屋などなど旅籠として使われていた”屋号”で呼び合っていたが、我が家は「山の神」と。

すぐ傍にが祀られていたから・・

寒椿が、最後の華麗さで咲く

薔薇のような

二時間ほど、濃密な静寂に塗れて、清々しく空っぽになった心身を抱いて帰宅した。

    

                                     02/26 07:07:07 まんぼ

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温石に

2019-02-26 05:44:24 | 詩17

        温石に



何時もの時刻より

ほんの少しだけれど早く目覚めたので

-それはとても頻繁に起こって

-何時しか

-何時もの時刻の基準さえ

-あやふやになりそうだけど

何時でもそうするように

頭の中を無作為に攪拌する

 

隅から隅まで

-と言っても

-囲いなど無いので

-世界の大きさなど知りようもないが・・

新しい意識のひと滴で浚い、洗滌して回ると

-川砂の中に潜むGOLDのように

偶にキラリと光る物質に出合える

宝石になるかも知れない

”思念の欠片”に遭遇する機会がある

 

そうだよ!!

何よりも必須のことは

巡り会う!!こと

-其処からしか何事も始まらない

 

それは何時だって玉石混淆だけれど

必ず

自他のイノチを慈しみ

誰彼のイノチを愛撫し

彼我のイノチの鮮度を

限りなく愛しんでくれる

僕とanataの”温石に”出逢える

 

約束事のように

何時か、きっと

僕もanata方も

弛まず倦まず諦めず

それを見分けるための

些かの能力を磨きさえすれば・・

 

 

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