降って来るもの

写真と散文とぽえむ

玉響

2022-08-25 21:22:03 | 風景

※玉響

 処暑を過ぎて、心倣しか勢いの衰えた陽光がlivingのフローリングの床に、逝く夏を惜しむかのように戯れる玉響

 

      君達へ

君の時代と君の能力は

常に進化しながら

ただ、前へと動いてゆく

意志は

いつでも

その先を向いていればいい

君には

明日しかないからだ

 

僕は・・、違う

前後左右を気に懸けながら

時に滞り、後退りし、

時には、過去を拾い、現実を否定し、

日日の今にしがみ付く

僕らには

先は少なく、眼前は暗がりなのだ

 

明日の質も量も決定的に違うから

未来は同じなどと云っても

君には理解できないだろうが

それは必ず

君と君達が経験してゆく過程

それだから

よりも随分少ない時間を生きる君達よ

僕らの吐息を

嘲笑してはいけない

智慧ある君たちは

それを取り込み、吸収し、

滋養にして生き永らえるのだ

 

それでも、代替わりは

日常的に遣って来る

inochiは

宿命の輪廻を踏襲してゆくのだから・・

 

              08/25 21:27 万甫

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窓Ⅸ~開けずの窓~

2022-08-25 06:17:10 | ふるさと

     ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ございます

 暫くぶりに故郷の様子を見に行ってきました。樋が詰まって雨が降ると土間が水浸しになるので、零れ落ちる場所を想定して大小のバケツを5~6個置いてあるのですが、その一定量を超えるとやっぱり水浸しになるので、晴れが続いた後の”換気”と雨模様の後の”水の始末”は、故郷へ向う時の欠かせない動機になっています。

 作業を終えて一服していると、いつも人気のないところにヒトの気配が・・。昨日8/24は「地蔵盆」とかで村に残った人が供花を持ってお参りに来たのだという。

 そう言えば、昔々、お伊勢参りの本街道に沿って二十軒程の家々が並び、何軒かは旅籠を営んでいたというわが故郷。高校を卒業して村を出るまでは、”橘屋””梅屋””板屋””大文字屋”などと昔の屋号で家々を呼び合っていたものだった。

 我が家は此の地蔵さんが置かれた傍に在ったので村の皆からは「山の神⇒やまのかみ⇒やまんかみ」と呼ばれていたのだ。何度里帰りしていても会うことがなかったその習わしの仲間に入れてもらい、不思議な巡り合わせに感謝しながら、読経に合わせて合掌した。

 

故郷の生家にも窓は在る。けれど僕が行かない限り”開けずの窓”なのだ。切ない「窓Ⅸ」・・。

  

  

    

また「開けずの窓」の日日が続く・・。

            08/25 06:12 まんぼ

 

 

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