~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ございます
ピンと張り詰めた空気が風景に覆いかぶさっている朝デス。予報では最強最長寒波は今日がピークだとのこと。。北東の空は美しい薄青色ですが、山の天辺辺りに場違いのように黒雲が漂う不気味な風景になっています。
お天気の推移は個人では如何ともし難いので感想を記述しただけでpenを置き、今日の朝からは過日の”お伊勢参り”の道中記をボチボチと
2/3節分の日の朝9時に出発。奈良から三重へはどの道を行っても峠を越えねばならないので、折しも最強寒波襲来の報に接していたので何時もより空模様に過敏に。幸い予報はで何とか峠越えが出来ました
女房が行きたいとスケジュールに組んだ「孫の店」には、ほぼ予定通りの11時過ぎに到着。
此処は高校の”調理クラブ”が実習として作った料理を提供するというレストラン。詰まり「孫の店」で、SNSなどで拡散されて凄い人気ぶりだとか。
既に待合室には、幾組かの人たちが・・
部屋にはクラブの歴史や各種の大会での受賞歴とそのトロフィーが飾られている
高校生が運営しているレストランなので土日のみ。入り口では先生がお出迎え
何しろ、高校生だから元気がいい。気持ちよく食事ができ、若さを注入してもらえる
定食は二種類
と、
僕の
美味しかったですよ。デザートまで出て満足して次の道中へ出発です
本当にそう思います
道中記㈡に続く 2/6 07:44 まんぼ
又又いい処へ行かれましたね❗
奥方はいつも素敵なトコロを選ばれますね👍🎵当に孫の店!営業日が゙土曜日曜・祝祭日も良い🎵見た目も美味しそう💕事実おいしかった❕と更に結構でした💕
午後一番、落ち葉掃きと換気をした後、徹子の部屋に浜田光夫と松原智恵子が出たので小生と同世代の「青春スター」はどーなったのかな?と興味本位で観ました🎵81歳と80歳でした(浜田が一つ上)。
松原談。石原裕次郎さんに初めて会った時彼はジーパンを穿いていた。その当時スターでジーパン穿いている人はいなかったので、てっきり現場のスタッフかと思ったと云う。小林旭さんとの思い出は、共演シーンで泣かなくてはならない場面で、どうしても泣けず涙が出てこなくて困っていたら、そのシーンは母が亡くなった時のものであった。旭から「君の身内で亡くなった人はいないかい?」と聞かれ、松原の実母は既に亡くなっていたので、そのことを彼に告げたら「その時の事を思い出してご覧」とアドバイスを貰った。そしたら今度は涙が止まらなくなって困った~とのエピソード❕
浜田は、美空ひばりさんを裕次郎さんに紹介してもらってやがて、ひばりさんの長男と浜田の長女とが結婚するまでになったことを話していました。👍
「良寛和尚の災難よけの秘法を説いた手紙といふのに[災難を受ける時節になれば災難をうけるが宜しく候、病気になれば死ねば宜しく候、それが災難よけの妙法に御座候]と云ふのがありますが、これは[悩み][苦しみ]から逃げ出そうと思へば、恐るるものは却って心に強く描きますから、[心に描くものが形に現れる]と云ふ心の法則で却って[悩み][苦しみ]が
殖えて来ますが[そのまま受ける]と云ふ心になれば、却って心にそれを描かなくなる。それで悩みが消えるのであります。(生命の実相)」
今日は午前と午後に分けて2回のウオーク
さっき午後の部を熟してきましたが
手袋を忘れて、手が凍りそうになりましたよ🥶
でもこれで合計8000歩をクリアー
歩く歩数がだんだん苦痛ではなくなってきました
いい兆候です
今日は朝が0℃、午後3時が3℃
当に寒中の底ですね
”孫の店”で、若者のキリっとした声に元気づけられましたよ
束の間の”羨望の的”でした
👏元気❕元気❗8000歩も素晴らしいですが、午前も更に午後も歩こう🚶と決めそれをサラッと実行されるのが、永遠の青年゙まんぼ兄゙
明日もいいことありますように🎶