1月2日(金)
今日、義弟一家が遊びにきてくれた。
先月、新築の家を見せてもらいに行ってから1ヶ月近くたつが、1歳3ヶ月の姪っ子の足取りや、表情はますますしっかりしてきて、可愛くてたまらない。
車で来てくれたのをこれ幸いと、家にあるおもちゃや絵本をもらっていってもらった。
次々出てくるおもちゃや絵本に興味を示し、大喜びの姪っ子。
もう誰も使わない積み木や読まない絵本だが、バザーに出すにも、箱がなかったりして、捨てるに捨てられずにとっておいたのだ。
それらには3人の子育ての色々な思い出がしみこんでいるから・・・。
今回、その思い出を共有してくれる義弟にもらってもらい、姪っ子に使ってもらえるのはとても嬉しい。
おもちゃを取り出しながら、その頃の思い出話をしていると、中学生たちも、自分の小さい頃の話に興味を持って話に参加してきた。
あの子たちにとっても、思い出の品なのだ。
義弟は、大学受験のとき、我が家で1年間下宿したことがある。
当時、団地住まいで、長男が生後6ヵ月~1歳半の初めての子育ての時期、受験生を預かるのには気が引けたが、今にして思えば、あの1年は、とても貴重な1年だった。
出張や仕事で帰りの遅い主人に代わって長男をお風呂に入れてくれたり、買い物で重い荷物を運んでくれたり、オムツまで替えてくれる義弟だった。(受験生に何を手伝わせてしまったのだろう!)
昼食は決まって麺類。息子の無類のラーメン好きの原点だ。
私が疲れていると、バイトで鍛えた腕を生かして、炒飯を作ってくれた。
世代は違うが、同じ郷里ということで共通の話題もあり、義弟がいてくれたせいで、『密室育児』にならずにすんだのだと思う。
義弟が大学進学が決まって引っ越していく時、私に、ボロボロになった団扇を置いて行ってくれた。
その団扇には、室生犀星の詩『故郷はは遠きにありて思うもの・・・』が書いてあった。
家出して上京してきた弟の悲壮なまでの決意が胸にしみ、心から合格を喜んだ。
その義弟が、言い残していった言葉が3つあった。
「○○ちゃん(長男のこと)が大きくなって、難しい年頃になった時、俺の所に泊まりに来させてください。」
と言って、ロビンソンクルーソーの本を渡し、
「これを○○ちゃんにあげてください。俺のバイブルです。」
もうひとつは、
「お姉さん、今度はぜひ、女の子を産んでください。俺ん家は男ばっかりだったから・・・。親父もお袋も喜びますから」
と言って、4男の義弟はまだ見ぬ姪っ子に「赤毛のアン」と「不思議の国のアリス」の本を置いて行ってくれた。
3つめは、
「親父とお袋を、温泉に連れて行ってください。出不精の親父はあまり旅行をしたがらなくて、旅行好きなお袋はいつも不満ばかりなんです。両親に心配かけた分、俺が連れて行かなきゃならないんですが、これから4年間大学に言って、1人前になってからでは、親父がますますとしくって、旅行にも行きたがらなくなっちゃうと思うんで・・・。」
義父はその2年後に他界した。
仕事一途だった義父は、その頃からもう病んでいたのかもしれない。
義弟の車で家に帰りたいと言っていた事を伝えると、通夜の晩、義弟は義父の隣で寝ていた。
兄弟の中で一番義父に顔が似ていた義弟だった。
1年間お世話になったお礼にと、就職してからは、3人の子ども達の誕生日には欠かさずプレゼントをくれる義弟に、私は、
「家庭を持ったらもういいからね」
と言っていた。
その義弟が、素敵な人を家に連れてきた。
「お姉さんに、一番最初に会ってもらいたかったから。」
後に主人から、義母に義弟が、
「俺はお姉さんに育ててもらったも同然だから」
と言っていた話を聞かされた。
結婚式の後、義妹に義弟の例の3つの話をした。
「彼なら間違いなく、あなたを幸せにしてくれる。私が太鼓判を押す。もし、あなたを泣かせるようなことがあったら、私が黙っていないからね。義弟をよろしくお願いします」
初めて会った時の義弟は中1だった。
もうすっかりパパの風格が出ている義弟を見て頼もしく思う。
一緒に暮らした時の子育ての経験が存分に発揮されて、子煩悩で妻思いの優しいパパでいてね。
夕方、ラーメン好きの義弟一家と中学生たちを連れて、近所のショッピングセンターにできた「ラーメン劇場」に食べに行った。
おなかがいっぱいになって、遊びつかれた姪っ子は、山ほどのおもちゃや絵本と一緒に、そのまま帰っていた。
石巻に行っている末娘を連れて、長女が遊びに行く約束を交わして。
今日、義弟一家が遊びにきてくれた。
先月、新築の家を見せてもらいに行ってから1ヶ月近くたつが、1歳3ヶ月の姪っ子の足取りや、表情はますますしっかりしてきて、可愛くてたまらない。
車で来てくれたのをこれ幸いと、家にあるおもちゃや絵本をもらっていってもらった。
次々出てくるおもちゃや絵本に興味を示し、大喜びの姪っ子。
もう誰も使わない積み木や読まない絵本だが、バザーに出すにも、箱がなかったりして、捨てるに捨てられずにとっておいたのだ。
それらには3人の子育ての色々な思い出がしみこんでいるから・・・。
今回、その思い出を共有してくれる義弟にもらってもらい、姪っ子に使ってもらえるのはとても嬉しい。
おもちゃを取り出しながら、その頃の思い出話をしていると、中学生たちも、自分の小さい頃の話に興味を持って話に参加してきた。
あの子たちにとっても、思い出の品なのだ。
義弟は、大学受験のとき、我が家で1年間下宿したことがある。
当時、団地住まいで、長男が生後6ヵ月~1歳半の初めての子育ての時期、受験生を預かるのには気が引けたが、今にして思えば、あの1年は、とても貴重な1年だった。
出張や仕事で帰りの遅い主人に代わって長男をお風呂に入れてくれたり、買い物で重い荷物を運んでくれたり、オムツまで替えてくれる義弟だった。(受験生に何を手伝わせてしまったのだろう!)
昼食は決まって麺類。息子の無類のラーメン好きの原点だ。
私が疲れていると、バイトで鍛えた腕を生かして、炒飯を作ってくれた。
世代は違うが、同じ郷里ということで共通の話題もあり、義弟がいてくれたせいで、『密室育児』にならずにすんだのだと思う。
義弟が大学進学が決まって引っ越していく時、私に、ボロボロになった団扇を置いて行ってくれた。
その団扇には、室生犀星の詩『故郷はは遠きにありて思うもの・・・』が書いてあった。
家出して上京してきた弟の悲壮なまでの決意が胸にしみ、心から合格を喜んだ。
その義弟が、言い残していった言葉が3つあった。
「○○ちゃん(長男のこと)が大きくなって、難しい年頃になった時、俺の所に泊まりに来させてください。」
と言って、ロビンソンクルーソーの本を渡し、
「これを○○ちゃんにあげてください。俺のバイブルです。」
もうひとつは、
「お姉さん、今度はぜひ、女の子を産んでください。俺ん家は男ばっかりだったから・・・。親父もお袋も喜びますから」
と言って、4男の義弟はまだ見ぬ姪っ子に「赤毛のアン」と「不思議の国のアリス」の本を置いて行ってくれた。
3つめは、
「親父とお袋を、温泉に連れて行ってください。出不精の親父はあまり旅行をしたがらなくて、旅行好きなお袋はいつも不満ばかりなんです。両親に心配かけた分、俺が連れて行かなきゃならないんですが、これから4年間大学に言って、1人前になってからでは、親父がますますとしくって、旅行にも行きたがらなくなっちゃうと思うんで・・・。」
義父はその2年後に他界した。
仕事一途だった義父は、その頃からもう病んでいたのかもしれない。
義弟の車で家に帰りたいと言っていた事を伝えると、通夜の晩、義弟は義父の隣で寝ていた。
兄弟の中で一番義父に顔が似ていた義弟だった。
1年間お世話になったお礼にと、就職してからは、3人の子ども達の誕生日には欠かさずプレゼントをくれる義弟に、私は、
「家庭を持ったらもういいからね」
と言っていた。
その義弟が、素敵な人を家に連れてきた。
「お姉さんに、一番最初に会ってもらいたかったから。」
後に主人から、義母に義弟が、
「俺はお姉さんに育ててもらったも同然だから」
と言っていた話を聞かされた。
結婚式の後、義妹に義弟の例の3つの話をした。
「彼なら間違いなく、あなたを幸せにしてくれる。私が太鼓判を押す。もし、あなたを泣かせるようなことがあったら、私が黙っていないからね。義弟をよろしくお願いします」
初めて会った時の義弟は中1だった。
もうすっかりパパの風格が出ている義弟を見て頼もしく思う。
一緒に暮らした時の子育ての経験が存分に発揮されて、子煩悩で妻思いの優しいパパでいてね。
夕方、ラーメン好きの義弟一家と中学生たちを連れて、近所のショッピングセンターにできた「ラーメン劇場」に食べに行った。
おなかがいっぱいになって、遊びつかれた姪っ子は、山ほどのおもちゃや絵本と一緒に、そのまま帰っていた。
石巻に行っている末娘を連れて、長女が遊びに行く約束を交わして。