明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(105)政府の虚言を覆そう(「チェルノブイリ事故との比較」再考)

2011年05月10日 09時00分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110510 09:00)

今回の旅に向けて、今、何を伝えることが大切なのか、船中で
考えてまとめたものをお伝えしておきたいと思います。


旧ソ連政府と日本政府の同質性

これまで何度が書いてきたことですが、僕が311以降、福島原発の
ウォッチと情報の発信を行ってきたのは、こうした深刻な事故が
起こったときに、政府や電力会社がそれを隠してしまい、人々が
逃げるべき機会を逸してしまう可能性が高いと思ってきたからでした。

それは『原発事故を問う―チェルノブイリからもんじゅへ』(七沢
潔著岩波新書)などに説かれてきたことです。旧ソ連と日本の体質が
極めて似ている。「同じ匂い」がする。だから同じことが起こりうる
のではないかという洞察です。

そしてそれは―大変、残念なことに―ほとんど的中してしまいました。
事故当初、事態はメルトダウン⇒水蒸気爆発などの破局的な方向に
進みつつあったのに、そのことは一切、発表されませんでした。
人々は無防備なままに破局寸前の事態の前に立たされていた。

しかもただそれで破局が去ったのならまだしも、大変深刻な放射能
漏れが起こりました。とくに当初、原子炉や格納容器の破断を防ぐ
ための人為的な放射能の放出が行われた。これは事前通告が可能
だったのに、政府はそれすらも一切行わなかった。

これで一体、どれだけの人が被ばくしてしまったことでしょう。
政府が調査を控えたので、それも不明のままですが、その後の
政府発表ですら、チェルノブイリ事故のときの10分の1以上の
放射性物質が飛び出し、多くが人びとの上に降り注いでしまった。

怒りを感ぜずにはおれません。あのとき、これから高濃度の放射能を
噴出させることを通告し、その流れを予測したSPEEDIのデータを
公表すれば、かなりの被ばくを避けることができたはずです。多少の
パニックが起こっても、人々はかなり自らを守れたでしょう。

しかし、パニックは起きなかったけれど、深刻な被ばくがおきて
しまいました。本当に無念です。人々に黙ったまま毒を撒いた政府、
この国に住まう人の良い人々の信頼を手ひどく裏切った政府に対して
批判を強めなければ社会正義が立ち行かないと僕は思います。


事故隠しの次には、放射能は怖くないキャンペーンが

ただ、その前に立ち止まって考えるべき重要な問題があります。こうした
構造はもう過去のものになったのかということです。断じて否。
いまもまた人々に迫りくる危機を教えず、人々が、放射線被ばくから
身を守る手段を奪っていくことが行われている。

それが僕が繰り返し述べている「放射能は怖くないキャンペーン」です。
このことで人々は、再び三度、今、現実に進んでいる被ばくや、今後の
被ばくから身を守る手段を奪われつつある。「放射能は怖くない」という
キャンペーンで防護体制が崩されてしまっているのです。

これらは今後の訴訟をも念頭にいれたことだと思われます。放射線で
被害をうけてガンを発症しても、因果関係は説明しにくい。また繰り返し、
多少の被ばくは気にすることがないと刷り込まれてしまえばガンに
なっても自分自身でも因果関係を感じれなくもなってしまうでしょう。

では政府はこうしたキャンペーンをどのように行っているのか。
それを象徴するのが、4月15日に首相官邸のホームページに掲載された
「チェルノブイリ事故との比較」という文章です。これは非常にひどい。
国際的常識から見ても、完全な虚言だからです。

というのはこの文章は、チェルノブイリ事故の影響を非常に小さく描いた
もので、大人にはガンは発生しなかった、事故の収束作業にあたった
24万人の労働者の中で、健康被害にあったもはいなかったという数値が
並べられています。

実はこれは1991年にIAEAが行った調査が下敷きになっています。
このとき原発推進のための国際機関であるIAEAはできるだけ、事故の
被害を小さく描きたかった。そのために事故直後に強制避難させられた
十万人以上の人々を除外するなど、非常に恣意的な調査をしたのでした。

しかもこのときの団長を務めたのは、広島放射線影響研究所理事長の
重松逸造氏でした。重松氏は、水俣病とチッソの関係を調べて、「因果
関係はない」と結論づけた人物です。科学的デタラメ性と、御用学者
としての顔が明らかな人物にIAEAは「調査」を任せたのです。


虚言を首相官邸ホームページに掲載

問題はこの調査がすでにとっくに国際的に否定されていることです。
とくに「チェルノブイリ事故との比較」でも触れられている2006年の
IEAEの調査では、この事故で死亡する人数は最終的に4000人という
報告が出された。死者4000人が事故被害の規模だというのです。

ところが合同調査に加わったベラルーシ―共和国が、そんな軽微なもの
ではありえないと抗議して、すぐに共同の調査報告から脱退して
しまった。国際的な批判が強まる中で、一緒に調査に加わったWHOが
すぐさま4000人を9000人に修正する報告を出した。

それでも旧ソ連諸国内をはじめ、多くの国々からの批判が収まらない。
調査はさまざまな国や機関・団体に継続され、国際的環境団体である
グリーンピースは、その後に、死者数の見積もりを98000人とする
報告書を提出しています。

さらにアメリカでは、旧ソ連大統領だったゴルバチョフのもとで
作られた医療チームに参加した人々を中心とした継続的な調査・研究が
行われ、最近になって重厚な調査報告書を発表しましたが、そこには
なんと事故による被害は98万人にのぼるという報告が出ています。

この数値を日本政府が採用しないにせよ、2006年のIAEA報告にすら
背いた1991年の報告書にのっとった内容を、まさに今、放射能漏れが
続いている中で行うことは、人々を意図的にあざむき、放射線の
前に無防備にさらすことに他なりません。

その意味で、その恣意性ということで言えば、事故当初に政府がそれを
住民に伝えなかったこと以上に、この国際的に完全に否定された内容
を首相官邸のHPに示すことは、悪質な行為であり、人道的な罪その
ものであるといわざるをえません。

原発事故は、さすがに意図的に起こされたものではあるとは言えませんが
「放射能は怖くないキャンペーン」のもとでもでたらめな数値の羅列は
完全に意図的になされていることがらです。人々をだまして、放射能を
受け入れさせ、被ばくさせてしまおうというのです。


虚言をさらに煮詰めて学校で配布

しかも今日、政府は文部科学省に命じてそれを福島の学校現場にまで
配り始めています。問題の文章は45ページにも及ぶパンフレットの形式を
とっていますが、その12ページ目に「チェルノブイリ事故との比較」の
エッセンスにあたることが詰め込まれています。
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/other/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/04/21/1305089_2.pdf

ポイントは、チェルノブイリ事故では大人のがんの発生はなかったという
国際的に否定された虚言を強調することにあります。だから心配はするなと
いうのです。むしろ心配することが一番良くないということが強調されて
いる。これも1991年報告が、いの一番に上げたポイントです。

しかも文科省パンフレットは、「チェルノブイリ事故との比較」よりも
さらに一歩、巧妙なだましをおこなっている。というのは上記の文章では、
被害の一部として「例外ながら6000人の子どもが甲状腺癌にかかり、15名が
死亡」と書かれていました。ここには6000人という数字が出ていた。

ところが文科省パンフは、この点を改定して「ベラルーシでは2010人
が甲状腺癌にかかり」とわざわざなおしている。つまり6000人という数字を
消すために、ベラルーシ―共和国だけの当時の低く見積もったデータだけを
もってきてあたかも甲状腺癌が2010人だったかのようにみせかけているのです。

その意味で、文科省パンフレットは、政府の「チェルノブイリ事故との比較」
よりももう一歩悪質に被害が小さく見せられている。おそらくお母さんたちの
目を気にして「例外ながら6000人の」という記述を問題にしたのでしょうが、
その分、より強い悪意を感じます。

どうしてこのようなことをするのでしょうか。俄かに信じられない人も多いのでは
ないかと思えます。しかし政府はまっとうな対策をした場合に沸き起こる政府への
批判や、膨大な予算を恐れているのだと思えます。そしてそれを回避するために
国民と住民のある程度の部分に深刻な被ばくがおこってもやむなしと考えている。

そのことの動かしがたい証拠が「チェルノブイリ事故との比較」の首相官邸HP
への掲載です。僕自身、これを発見したときには俄かに信じられませんでした。
どこかで政府をもう少しは信頼したい気がしていた。人に悪意があると疑うのは
どこか悲しいことでであるからです。しかしどんなに悲しくともこれが現実です。


政府の虚言を覆そう!

これをどう覆えせば良いのでしょうか。これは、放射線被害をめぐる論争でも
なんてもなくて、全くのウソ、でたらめですから、まずはこのことをできるだけ
多くの人に伝えることが大切だと僕は思っています。そのために今回の東北の
旅でも、僕は出会う人の多くにこれを伝えます。

またこれは国際的にみたときに、大ウソであることがよりはっきりしている
文章なので、これを海外にアピールすることも大事だと思います。こうした
観点から、英語が非常に堪能な友人が、これを英訳してくださったので、それも
最後に貼り付けておきます。どうか英語を使うご友人に紹介してください。

さらにこれが嘘であることを暴くために、最新の研究成果を自分たちのものに
していくことが大切です。実は海外からのさまざまな文章を訳してきた友人
が参加するこの研究書の翻訳チームがすでに立ち上がり、今後その成果を
逐次提供してくれるそうです。なので、これが手に入り次第、お届けしたいです。

またこれらの内容を、可能な限り、学校現場に反映させること。福島県への
政府への対応を見て、疑問に感じている教育委員会の委員や、学校の先生方に
この事実を知らせることです。どうかそれぞれの現場で、この内容のコピーを
取り、この事実を広めてください。

政府への直接の抗議も行いましょう。各地のデモでも、ぜひ、「チェルノブイリ
事故との比較」というウソの文章の撤回を求めて欲しいと思います。主張官邸、
文科省に撤回を求める電話・FAX・メールなど、思いつくことをどんどん
行ってください。

さらに大事なのは、チェルノブイリの被災者と私たちが結びつくことです。これまで
国内のたくさんの方々が、チェルノブイリの支援に携わってきています。僕は
こうした方々こそ、キーパーソンではないかと思います。こうした方々の経験を
聞くことからはじめて、チェルノブイリの人々との結びつきを強めましょう。

これらすべてのことは私たちが放射線被身を守るためにとても大事なことです。
放射線の害の前に、国民と住民を晒す、この惨い政府のあり方を変えないと
多くの人々が、被ばくを続けてしまいます。今こそ、私たちは、能動的に行動
しましょう。政府のあり方を変えましょう。僕も努力を続けます。

************

<Note from the translator>
As schools opened in April, many children and their families came back to
Fukushima. It is said that many parents wish to take the children out of Fukushima, but they
are prevented from leaving there because of unspoken pressure from relatives and
neighbors, backed by the institutional pressure from authorities.

Prime Minister of Japan and His Cabinet published below statement, "The Comparison
with Chernobyl Accident" on their website on April 15, 2011. This document hugely
underestimate the number of death and the health effect caused by Chernobyl
accident, and saying "Fukushima is different from Chernobyl". In other words, so don't worry and don't make a fuss.

It is said that this document was delivered to schools in Fukushima. It is also
said that schools were discouraged from removing radiation polluted surface soil of
school yard or from measuring radiation in school by themselves.


Original statement in Japanese at the website of Prime Minister of Japan and His
Cabinet:
http://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka_g3.html

(unofficial translation into English for your reference)

"The Comparison with Chernobyl Accident"
April 15, 2011

The health influence of Chernobyl Accident was jointly published 20 years after the
accident (Note1) by eight international organizations including WHO and IAEA, and
three republic states which were affected. This year, which is the 25th anniversary
of the accident, UNSCEAR published the summary (Note 2). This statement compares
these publications from international organizations and the case of Fukushima Nuclear
Power Plant Accident.

1. People who were exposed to radiation inside the nuclear power plants
- In Chernobyl's case, 134 cases of acute radiation damage were confirmed, and 28
people died within three weeks. Since then to today, 19 people have died but the
relationship between their death and radiation exposure has not been confirmed.
- In Fukushima's case, there has been zero case of acute radiation damage among
workers at the nuclear power plant. (note 3).

2. People who participated in cleaning work after the incident:
- In Chernobyl's case, the radiation dose was the average of 100 millisievert for
240,000 workers, and there has not been influence on their health.
- In Fukushima's case, there has not been such worker yet.

3. Local residents around the nuclear power plants
- In Chernobyl's case, the radiation doses are calculated as more than 50
millisievert for 270,000 people in high polluted area, and about 10 to 20 millisievert for 5
million people in low polluted area. The influence on their health has not been
confirmed. The exception was thyroid cancer among infants. Among children who drank
unlimited amount of polluted milk, 6,000 children had operations, and 15 children
have died so far. These is no problem in case of Fukushima, because milk in Fukushima
follows the guideline of tentative standard of 300 becquerel/kg (100 for infants),
and milk more than 100 becquerel/kg is not distributed.

- The present radiation dose of local residents in Fukushima is under 20
millisievert, so effect of radiation will not occur.

As a general theory, IAEA says "In case of level 7 radiation leak, the risk of
stochastic effect (of getting cancer) can increase, and deterministic effect (physical
disorders) can happen in large area." However, when we concretely inspect
specifics, the result is as seen above. Thus, it is clear that the case of Fukuchima and the
case of Chernobyl are clearly different.

NAGATAKI Shigenobu
Emeritus Professor, Nagasaki University
(Former Director of the Radiation Effects Research Foundation; Chairman Emeritus of
the International Radiation Exposure Medical Association)

SASAKI Yasuhito
Director, Japan Radioisotope Association
(Previous Chairperson of the National Institute of Radiological Sciences)

The original reference are as follow:
Note 1: Health effect of the Chernobyl accident : an overview Fact sheet303 April
2006 (published in 2006)
http://www.who.int/mediacentre/factsheets/fs303/en/index.html

Note 2: United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic Radiation,
SOURCES AND EFFECTS OF IONIZING RADIATION UNSCEAR 2008 Report: Sources, Report to the
General Assembly Scientific Annexes VOLUME
Ⅱ Scientific Annex D HEALTH EFFECTS DUE TO RADIATION FROM THE CHERNOBYL ACCIDENT
Ⅶ. GENERAL CONCLUSIONS (Original title in 2008, published in 2011) P64 -
http://www.unscear.org/docs/reports/2008/11-80076_Report_2008_Annex_D.pdf

Note 3: Press release from the National Institute of Radiological Sciences,
"Workers of March 24th Radiation Exposure Consulted Radiation Experts" April 11, 2011
Original Japanese document available at
http://www.nirs.go.jp/data/pdf/110411.pdf
(the end of translation)


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明日に向けて(104)秋田につきました・・・

2011年05月10日 08時00分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110510 08:00)

みなさま。昨日午前10時に敦賀港を立ち、日本海をひたすら北東に
向かって、さきほど、朝6時に秋田港に上陸しました。
今、ネットカフェにはいって、東北の旅の第一信を書いています。

このコースを採ったのは、一人での長距離ドライブを避けることと、
福島の車での通過を避けるためでした。ところが敦賀原発で放射能
漏れがまさにこのときにおこってしまった。

その直後に僕は一路、北陸道を敦賀に向かい、しかもフェリー
ターミナルから、敦賀原発の真横を通って、日本海へと出て行ったの
でした。遠くにかすむように、もんじゅも見えていました・・・。

敦賀原発のトラブルには気づいており、不安を感じながらの敦賀行き
でしたが、途中で嫌な胸騒ぎがしました。後で放射能漏れを知り、本当に、
もはや日本の中に、安心なところなどないのだと実感しました。


さて気持ちを変えて、今回の東北の旅について書いてみたいと思います。

旅の発端は、京都OHANAプロジェクトによる、被災地への
自転車搬送支援にあります。その自転車の要請が、自動車に化けて
しまった。そうして僕が敦賀まで運転していって、フェリーに乗った。

そのプロジェクトから、第一回目の自転車配送を振り返っての
文章が出ていますので、ごらんください。なかなか示唆に富んでいると
僕は思います。アドレスは下記の通りです。
http://www.success-running.com/news/2011/kyoto_ohana_1st.pdf

実は今回の旅でも、このプロジェクトの次の可能性を探ることが一つの
課題になっています。端的に、どこに持っていくかを調査する。被災者に、
より合理的に、また平等に自転車を回してくださる方を探す。

これはなかなか難しいことでもあるので、アビスさんや渡辺さんと相談し、
三陸海岸沿いのいくつかのポイントを決められるといいなと思っています。
もちろんアビスさんたちにも配り手になっていただこうと思っています。


さて出発前夜の8日夜には、京都市出町柳のかぜのねに、山水人の面々
や「明日に向けて」を読んでくださっいる方たちが、それぞれに
たくさんの物資を持ってかけつけてくださいました。

僕の話と、討論会の後に、車のお披露目も兼ねて、近くの空き地で
物資の積み込みをしましたが、なんと奇跡のように、物資が
目いっぱい、車に載りました。誰かがあらかじめはかったみたい。

積み込んだのは、Nさんにいただいたタイヤ4本を筆頭に、アビスさん
から依頼があって、祖牛さんが買ってきた衣装ケース、ロクローさん
からのたくさんの化粧水や保湿剤。他の方からは軍手と電池などなど。

女性の方たちからは、紙ものが多かったようです。おむつや生理用品を
はじめ、いろいろなペーパー類など。なんだか老若男女が、それぞれに
必要なものを持ち寄った感じでした。おもしろい。

事前に荷物をキッチン・ハリーナという、京都市左京区の素敵な自然食
レストランに届けておいてくださった方もおられました。そのハリーナ
からも食べ物が。店で売っているアンデスの笛も3つももらってしまった。

たくさんの方から、配送費のカンパもいただきました。一人ずつ、記入
できなくて申し訳ありませんが、本当にありがとうございます。なんとか
無事に行って帰ってこれそうです。


さて今日は、こうして「明日に向けて」を発信する時間をとって後に、
昨夜のうちに秋田まで走ってきてくれたアビスさん。また、秋田から
気仙沼に物資を送り続けてきてくれたヤナティさんと合流します。

実は僕は秋田は初めての訪問。アビスさんもそうだそうで、ちょっと
秋田見学もしてきてしまおうと思います。物資配送の旅の途中ですが、
僕にとってこれは初めての土地と人々への礼のように思えるので。

夜は秋田大学で場所を設定してくれているそうです。資料もたくさん
印刷してきました。メインの資料は、滋賀県の絵本作家市居みかさん
作成の「まずは知らなきゃね」。くまさんによる原発の解説です!

これ、4月16日の大阪でのデモのときに、小学生の女の子に渡して
もらいました。僕の中では当日もらったチラシの中の超ベスト。
以来、かなりプリントして配っています。下記アドレスをご覧あれ!
https://docs.google.com/viewer?a=v&pid=explorer&chrome=true&srcid=1n4BN-8yTV5-BqPLEixco6GMXyRBn1Hz1NF8pdV_ibNfW20AATCj_rShSINd8&hl=en

今宵は秋田のヤナティさんのところに身を寄せ、明日、みんなで車で
奥羽山脈を越えて、宮城県大崎市に向かいます。できればここでも
町の一番大事なところに赴きたいなあ。それで夜に話の場を持ちます。

翌日、いよいよ気仙沼に。ここにも礼を尽くさねば。津波により
亡くなられた方々に精いっぱいの鎮魂の思いを傾けてきます。被災地に
思いを寄せているみなさんの心を伝えてきます。

その後、陸前高田町、三陸町などを訪れ、できれば石巻のボランティア
テント村に訪れて、ボランティアに入っている方たちとも交流して
こようと思います。これも大切なことだと思っています。

それを終えたら15日に仙台に行きます。ここは僕は何度も訪れてきた
ところでいろいろな思いがあります。またブログに仙台から熱い
メッセージを寄せてくれる方があり、できればお会いできればと思います。

16日は宮城県角田市の農場で、交流の場を持つことになりました。場所は
下記の通りです。ともあれ現場の様子をしっかり聞いてこようと思います。
京都に帰るのは、17日の朝。午後の出町柳の集いに直行です!

再度になりますが、それぞれの交流の場所を貼り付けておきますので
来られる方はぜひお越しください。また近くにご友人のおられる方は
それぞれの企画のことを伝えていただけると嬉しいです・・・。

***********


「大地震・大津波・原発大災害の中を能動的に生きる(仮)」

       --------------------------------------------
5月10日(火)  
      場所 国立大学法人 秋田大学 
         教育文化学部3号館 1階 講義室150 
         〒010-8502 秋田市手形学園町 1番1号

      時間 18:30開場  19:00開演

      連絡お問合せ先: 柳田征一郎 
               090-3122-4448 
               snowgarden@live.jp


       --------------------------------------------
5月11日(水)  
      場所:宮城県大崎市中央公民館(音楽室)
         宮城県大崎市古川北町五丁目5番2号

      時間:17:30開場  18:00開演

      連絡お問合せ先:町嶋 光昭
              090-7796-0834
              indead-match@i.softbank.jp


       --------------------------------------------
5月13日(金)                
      場所:岩手県一ノ関市室根町折壁字上山1-7 庭先にて
      連絡お問合せ先:Abyss 菅野 敦
              0191-64-2520
     kannoabyss@sky.plala.or.jp
      
時間:昼ごろから  日暮前まで
         交流会を中心とした集い


       --------------------------------------------
5月15日(日) 
      場所:たぬき茶屋
         宮城県仙台市青葉区芋沢二尺木36-2うつくし森内

      時間:5月15日 14:00~16:00

      連絡お問合せ先:佐藤 充
              090-4014-7012
              tanuki.yui@gmail.com        --------------------------------------------

5月16日(月) 交流会
      場所:ピースファーム
          宮城県角田市島田字日向47

      時間:19:00~21:00

      連絡お問合せ先:ピースファーム
              090-6250-0832
              y8e9ca2c72p3q6v@softbank.ne.jp

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守田敏也(もりたとしや)1959年生まれ。京都市在住。
同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェローなどを経て、
現在フリーライターとして取材活動を続けながら、
社会的共通資本に関する研究を進めている。
ナラ枯れ問題に深く関わり、京都大文字山での害虫防除なども実施。
原子力政策に関しても独自の研究と批判活動を続けてきた。

ご自身でなされているブログ
「明日に向けて」
http:// blog.go o.ne.jp /tomorr ow_2011
http:// abc.pwk yoto.co m/
http:// www.suc cess-ru nning.c om/news /2011/0 3/post- 66.html


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戦場のような、
または、ハリウットのセットのような被災地。
そして、原発事故後のクソッタレなこの国の対応。

次の世代にバトンを渡す前に、
しなければならない事が山積み。

この状況をあえて戦いと言うならば、
俺たちの武器は、愛とネットワーク。

次の世代のために、つながりましょう。

そんなネットワーク作りに、この講演会が役立てればと思います。

Abyss   菅野 敦
〒 029-1201
岩手県一関市室根町折壁字上山1-7
0191-64-2520

kannoabyss@sky.plala.or.jp
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