明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(821)1か月にわたる旅を振り返る!(上)・・・奈良測定所講演録から

2014年04月12日 09時30分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140412 09:30)

このところ連日、トルコへの原発輸出に関する記事を発信していますが、その間にも、安倍政権が原発ゼロ方針を反故にする「エネルギー基本計画」を決定するなど、論じなければならないことが矢継ぎ早に起こっています。
台湾の学生たちの素晴らしい行動にも触れたい。しかし分析し、執筆する時間がなかなか取れません。
もどかしい毎日ですが、焦らずに、コツコツと発信を続けて行きたいと思います。どうかよろしくお願いします。

さてそんな中で3月30日、奈良市民放射能測定所の開設1周年記念企画に呼んでいただけました。本当は1周年の日はもう少し前だったのですが、僕の帰国を待ってこの日に設定していてくださったのです。
そこで旅のことに触れながら、市民測定所の役割や今後の展望などについて考えていることをお話したのですが、すぐにスタッフの方が文字起こしをしてくださいました。
それに僕が手を入れたものを、同測定所のブログにアップにしてくださったのでご紹介したいと思います。

守田敏也さん帰国後初講演録(奈良市民放射能測定所ブログより)
http://naracrms.wordpress.com/2014/04/08/%e3%81%8a%e5%be%85%e3%81%9f%e3%81%9b%e3%81%97%e3%81%be%e3%81%97%e3%81%9f%ef%bc%81%e5%ae%88%e7%94%b0%e6%95%8f%e4%b9%9f%e3%81%95%e3%82%93%e5%b8%b0%e5%9b%bd%e5%be%8c%e5%88%9d%e8%ac%9b%e6%bc%94%e3%81%ae/

前半と後半に分かれていて、今、前半部分を10回に分割していただいて上で一括掲載してくださっていますが、同じ内容を「明日に向けて」でもご紹介することにしました。
すでに明らかにしてきたことと重複しており、かつ身体を壊したお恥ずかしい話を再度載せることになりますが、よければお読みください。

*****

「原発事故から3年  広がる放射能被害と市民測定所の役割 〜 チェルノブイリとフクシマをむすんで〜」
(奈良市民放射能測定所講演録 2014年3月30日―その1)

Ⅰ. 1ヶ月にわたる旅を振り返って

こんにちは守田です。

2月25日から3月21日までヨーロッパとトルコを回ってきました。
正確にはベラルーシとドイツとトルコなのですけども、今日いらっしゃっている入江紀夫先生をはじめ、関西医療研究会の高松勇先生、山本英彦先生、山本さんのお連れ合い音由子さんも一緒に回ってきました。

 【体調を壊し、到着その日に入院】

さきほどツイキャスで実況してもいいですかと聞かれて、OKですと即答しながら、これが流れてしまうのだなあと思いながら今、話しているのですけれども、ブログに書いているのですが、随分と身体を壊してしまいました。
その話からすると、そもそも出発までも忙しくしていて、かなりの強行軍でこの旅にのぞんでしまったということがありました。
それでまずトルコに入ってひどい便秘になってしまいました。
便秘から強度の腹痛を併発して、イスタンブールで講演があったのですけれども、始まる前にかなりの痛みがあって、鎮痛剤を打ってもらって、それでお話したのですね。

その後も、基本的に旅の最初から最後まで、設定された講演は全部やり切ったのですが、このイスタンブールのときは、講演の後にスタッフの人たちと近くのレストランで休憩をして、その後で記者会見にも出るという予定だったのです。
しかしその段階からどんどん駄目になっていって、レストランの中の長椅子に寝ていたのですよ。僕の寝ている上からトルコの方たちが赤い布を持ってきて被せて、妙な格好で寝そべっていた。
そうしたらレストランのオーナーが「こいつは何だ」というわけです(笑)
「日本から来てこうこうこうだ、今腹痛を起こして倒れているのだ」と周りの方たちが説明すると、そのレストランのオーナーが近くにある病院のオーナーでもあって、「じゃあすぐうちの病院へ連れていけ」という話になりました。

それで病院に連れて行ってもらったのですが、そうしたらもう、「かなりの痛みを起こしているから入院しろ」ということになって、そのまま僕はイスタンブール初日に入院したのですね。

レストランから病院へタクシーで行ったのですけれども、イスタンブールは石畳の街なのです。坂が多くて細い道がいっぱいあります。そこをタクシーで走られると、お腹がものすごく痛むのですよ。
タクシーの外を見てると綺麗なモスクがびゅーっ、びゅーっと目の前を過ぎていって、「ああイスタンブールだあ」と思いながらも、感傷に浸る余裕はまったくなく…(笑)。僕にとってのイスタンブールの印象は『石畳の辛い街』というものでした。

その日に特大の浣腸とかしてもらって、まあ回復して、翌朝退院して、午後には原発建設予定地のシノップという街に行きました。その後に、何百キロも離れたイズミルという街も回ったのですけど、とにかくかなりの強行軍でした。

 
【トルコ政府によるデモ隊の弾圧に抗議して 】

3月11日にシノップの街で講演をしたのですが、そこで知ったのは、トルコ政府が民衆運動に激しい弾圧を行ってきたことでした。
どう激しいのかというと、何かあるとすぐデモ隊にガス銃を撃ち込むのです。ガス銃の乱れ撃ちがされるのです。

いつだったかは正確には覚えていないのですが、数ヶ月前ぐいらいか、イスタンブールの町の中の公園かなにかが公共の広場として使われていたことに対して、政府が何かの構造物を作って、民衆の集会が開けないようにしようとしたことがありました。
これに反対する人々がその場に多集まり、最終的には立てこもって、警官隊と攻防戦になったのですね。

トルコは、インターネットの規制も厳しいのです。Twitterが禁止になっていました。(注、Twitterは4月初めに裁判所の勧告を受けて解禁された)。YOUTUBEも禁止されています。
そういう状況で、この攻防の時も携帯電話なんかもカットされてしまいましたが、そんな中でもFacebookだけは生きていたらしいのです。
実際にドイツの側でトルコの情報をリアルタイムでキャッチしていた人に聞いたのですけれども、凄かったそうです。
「今、どこどこ方面からガス銃の集中攻撃を受けていて、友達が何人倒れた。ここに救急車を回してくれ」とか言う情報がFacebookでブワーッと上がっていたのだそうです。

そういう騒乱状態の中で、たまたまそこに買い物に来ていた10歳の男の子が、ガス銃の直撃弾を受けたのです。頭に当たって、昏睡状態になって、結局その子は亡くなってしまった。それがちょうど僕が行ったときだったのです。

だから、講演させていただいた後に、街の中心部で抗議のデモがあるというので、その中に出て行きました。若者がたくさん集まっていて「虐殺を許すな」と叫びながら凛々しく歩くのです。もちろん僕も参加しました。

なんというか、トルコのデモはとても熱い。政府の強権的な弾圧がある中でも、民衆運動がいろんな形で行われていて、民主主義的な権利を守ろうと頑張っている。
その中に僕も参加させていただいて一緒に街を歩いたわけですが、心が昂ぶりましたね。

続く

 


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする