守田です。(20140525 08:00)
『美味しんぼ』応援記事第6弾です!
5月21日行われた表題の記者会見の起こしの後半です。
同会見の主催は「ふくしま集団疎開裁判の会」。OurPlanetTVが22日に報じてくれています。
動画のアドレスも示してあるので、ぜひご覧下さい。
僕は今、大阪のホテルに滞在中。隣の部屋に飯舘村の長谷川健一さんがおられます。
今日は午後から二人で企画に参加します。詳しくは以下をご参照ください。
明日に向けて(851)飯舘村の長谷川健一さん、映画『遺言』監督の豊田直巳さんと対談します!
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b7c91b7a8c17437a014577dae5d9f7c4
午後2時より「釜ヶ崎ふるさとの家」(西成区萩之茶屋3-1-10)です。
まず長谷川さんが飯舘のことを話され、続いて僕が、福島でこれまでどんな形での被曝があったのか、2011年からのことに振り返りつつお話したいと思います。
荒木田さんたちと「福島放射能除染・回復プロジェクト」に参加したときの取材写真などを使います。
そのことを通じて『美味しんぼ』で書かれていることがまったく妥当であること、政府や福島県のバッシングはまったく間違っていること。
そればかりか、そもそもこの重大な被曝を放置し、子どもたちや市民が被曝するに任せていたのが、政府と福島県であることをきちんと示したいと思います。
お近くの方、ぜひお越しください。
以下、昨日の続きをお届けします。
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「鼻血は事実」~福島の母親「美味しんぼ」言論抑圧に抗議!
20140522 OurPlanetTV
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1785
郡山市から川崎市へ避難した母親
原発事故を機に当初、3月24日にやっと高速バスがつながったということで、妹が東京にいるものですから、まずは当時、小学校6年生だった次女を避難させようと思って、東京に一時的に自主避難しました。
周りの状況はとにかく水やガソリンとか、そういうことでみなさんがその日の生活をするのにやっとの状態だったのですね。
入学式が始まるということで、また一時、娘を戻らせて、生活を送っていく中で5月ごろから「子どもを放射能から守るネットワーク」というメーリングリストが流れているということを聞いてそこに参加させていただいて、今の状況がどうなっているのかを知ることになっていきました。
そのときに私は福島市に勤務していたのですね。そこの同僚のスタッフの4歳と7歳の男の子が毎日、鼻血を出しているということで、「ちょっと気になるんだ」という話を聞きました。
私からするとなにか放射能との関係があるのではないかということで、うちもそのとき以降、放射線を測る機械を借りて家を測ることにしました。
当初、その時には家の中の1階が0.4μシーベルト、2階が1.2μシーベルト、玄関の外で2.7μシーベルトでした。
その数字すら私はどういう値か分からなかったのですけれども、いろいろなことを調べていく間にちょっと異常だということで、危険性を感じている最中、うちの娘も6月23日に鼻血を出すということが起こりました。
その時点から体調不良を訴えて、一時、郡山に戻しましたけれども、やはりこのままではいけないと感じ、また自主避難させる決意で、私も仕事の転勤を申込み、7月に夏休みを待たずに2度目の自主避難をしました。
今の経過としては、鼻血は止まりましたけれども、貧血があります。今は3年経ちましたので高校生になりましたが、やはりお風呂に入ると、10分間のものでも貧血になるということがあります。
私自身も去年の10月から、高熱がでて調べたところ、膠原病だということが分かりました。
今回、『美味しんぼ』の漫画で流れたことに関してですけれど、やはり事実、私の周りにもありましたし、私の娘もそういう経験をしましたし、あの鼻血はですね、ちょっと流れるぐらいの鼻血ではないですね。
朝、起きたときに鮮血ではないのですね。どす黒い血液がかなり大量に出るということで、学校に行ったときも、かなり大量に出たということで、やはりその事実は認めてもらなわいといけないと思います。
郡山では今も除染をしてますね。なぜ側溝とか除染をしなければいけないのか。それも不思議になります。何ら関係がないのであれば、除染に高額な金をかける必要もありませんし、それだったら、今、仮設住宅で本当に大変な人たちを助けるべきだと思います。
あのとき、野党(自民党)の森まさこ氏は、鼻血の件は知っていました。あのときに私もこういうところに出て、森まさこ氏が鼻血のことを話しているのを聞いています。
でも今、与党になって、ああいう話をするということ事態、私はすごく憤りを感じています。
これを機に、みなさんが本当の真実がどこにあるのかを考えていただいて、それが本当に「風評被害」なのか、本当は「復興」のために、「風評被害」と言葉を変えておっしゃっているのか、その辺をメディアの方たちが追及していただければいいのではないかなと私は思います。
会津放射能センター代表
片岡輝美さん
私たちはこの抗議に対して聞き取り調査を始めました。裏付けとなるものが集められたらと思いました。
5月17日土曜日から私たちのML、またそれに繋がる人たちに問いかけたところ、18件のメールが寄せられました。今、話されたお母さんたちはみなさん、中通りの方たちですから、私は会津のことに特化してお話したいと思います。
例えば会津の高校生、当時16歳だった子です。「急にタラリと出る。量も多かった。3月11日から2か月ぐらい経ったころから1年以上続いた。昼夜問わず、いきなり出ることが多かった。週に2、3回、多い時には3、4回。」
お母さんのコメントとしては「頻度が多すぎる。下痢や咳もひどかった。」この子は屋外の部活動にいた子です。
またけして子どもだけの情報が集まってきたのではありません。お父さんたちの情報も集まってきました。
成人男性、おそらく50代の方だと思われますけれども「しつこい鼻血で毛細血管を焼いてもらう」。これは震災の年、2011年の話だそうです。この方は「職業柄、被災地での仕事が多い日々、鼻血は2週間ぐらいにわたって出た」。
また会津の男の子、9歳の子ですが、「突然、両方の鼻から出血。サラサラの鮮血、中にはどろっとした粘液も含まれていたがなかなか止まらなかった」。
そしてこの子は確かに2011年の8月中に就寝中に2日間だけ出たということだったのですけれども、「突然、何の理由もなく鼻血を出したのは始めてだ」とお母さんはコメントしました。「この鼻血を出したのは、県外に保養に出て帰ってきて、二日後のことでした」とのことでした。
会津のその時、11歳だった男の子ですが、中学生になって、お母さんからの勧めもあって屋内での部活動を選び、そこに所属していましたけれども、やはり課外活動、野外活動、いろいろな大会の応援などに出かけるときに、「強風の中にいるとそのあとで鼻血を出す」という状況が続いたそうです。
本人だけではなく、「一緒にいた友人にも鼻血が出た」と証言しています。
私の場合です。息子を2011年3月14日から2週間、県外に避難をさせました。そして会津に数日間、とどまった後、県外に進学するために出しました。
3年経った今、「実はお母さん。僕は県外に行った後、鼻血を出したんだ」と言いました。彼が言って、私はびっくりしたのですけれども、実は暫く避難をして帰ってきた後、会津でどうしても体が動かしたくなって、夜にランニングに出ていたのですね。
私は「そんなことをさせたのか」と思って、自分のしたことを後悔したのですけれども、このように3年経ってから「実は」という息子がいます。本当に短い期間しかいませんでしたから、これが被曝の影響かどうか分かりません。
ですが、子どもたちの中に、親に心配させたくないから言えないという子どもたちがいることは確かだと思います。「お母さんが心配している、お母さんをこれ以上、心配させたくない」。そういう子どもたちの口まで封じてしまうのでしょうか。
私は福島県の抗議する先が違うと思います。相手が違うと思います。人々が「一緒に住みたい」、福島県での子育てを本当に楽しみにしていたお母さんたちが、福島県を愛しているのに離れなければならない。
家族の中での分断がある。地域の中での分断がある。仕事を辞めなければならない。離婚してしまう。このような状況が県民にあるのに、その人たちに対しての抗議、これはおかしいです。福島県が抗議する先は違うはずです。
元双葉町町長
井戸川克隆さん
この事故はですね、東京電力の起こした事故なのですね。予防原則を守らなかった。そのあと、事故責任をぜんぜんやってない。これが結論でしょう。そしてその事故責任をとらせようとしてない。ここに大きな問題がありますね。
今回の『美味しんぼ』の描写については、私はもっと過激にしゃべっているのですね。だから、本当にもう、三分の一ぐらいしか表現されていません。だって私の言っていることは事実なんですよ。本当のことを言っているんだから、それを「また言ったな」「井戸川、常に言ってるな」ぐらいで良かったんですよ。
それをこともあろうに国をあげてビックリしてしまって。それはなぜかというと、被曝を隠していたから。それを私がズバッと言った。言う立場にあるんですね。
あれほど高い放射線を、ヨウ素も全部かぶっているようですけれども、浴びせさせられたこの思いをですね、私は、そういう辛い思いを、子どもたちを守りたいという一心に変えてきております。
住民に正しい情報を。そして「放射能を怖がらせない安全教育」ではなくて、放射能の持つ意味を隠蔽しないで、本当の意味の情報を提供して、最終的に住民がその場を離れるか、離れないか、判断してもらえばいいんですよ。
別に隠したりなんかしなくていいんです。それを今、やっているからおかしいのですね。
「風評被害」という言葉でやっているようですけれども、「風評被害」というのは、私としては望むところなんです。本当に「風評被害」であれば、私はここに立っていません。双葉町に住んでいます。
ふくしま集団疎開裁判弁護団
柳原敏夫さん
福島の子どもたちが、ものを言えぬまま、命と健康という最も尊い人権が踏みにじられると言う、そういう問題であります。
昨年4月、福島集団疎開裁判の仙台高等裁判所の判決で、「福島の子どもたちの命と健康に由々しい事態が懸念される」とはっきり認められましたが、このような事実を口にすることができなくなります。
このような希望をともすために、私たちはまもなく、もう一度、子どもたちを福島から安全な場所で教育せよということを求める、福島集団疎開裁判の第二次裁判を起こします。
1人でも多くの人たちがこの裁判に繋がってください。そして私たち市民の手で、言うべきことが自由に言える社会に、そして子どもたちの命が本当に守られる、子どもたちを救い出す社会へ一緒に作り変えていきましょう。
今日はありがとうございました。
以上