守田です。(2014528 18:00)
少し前のことですが4月26日、チェルノブイリ原発事故のあった日に、トルコでも各地で原発反対を掲げたデモが行われました。
とくに日本が原発建設を強行しようとしているシノップ市には1万人を越える人々が各地から集まり、大きなデモが実現されました。
このデモの訴えの中で非常に注目すべきことは、チェルノブイリ事故の影響で、トルコの黒海沿岸側でも大変な健康被害が起こったことが報告されたことです。
集会の発言の中では黒海側では「葬式の数が増えて、平均死亡年齢は74歳から58歳にまで下がった」というショッキングなことも述べられています。
トルコの人々もまたチェルノブイリの深刻な被曝を受けたのです。
この点で僕が最近、頭にひっかかっているのは、よくあちこちで使われるチェルノブイリ原発事故におよるヨーロッパの汚染地図です。
事故の恐ろしさを伝える説得力のあるものですが、しかしここにはトルコの被曝状況が記載されていないのです。
典型的なものを二つぐらいネットから拾って紹介してみます。
http://www.eu-alps.com/00-info/no-nucler/chernobyl-unep-wiki-map.gif
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_swe/e/40ff41f6ef9ce6da50cffd378d430701
これは当該の地図を作った方や、それを載せている方のせいではなく、トルコ政府が被曝の事実を隠してしまったことによって起こっていることだと思います。被曝実態が隠されてきてしまったのです。
しかし今後、チェルノブイリ事故の汚染を確認する場合は、ぜひともトルコ北部にも深刻な汚染が押し寄せたことに着目して下さい。そこにもたくさん犠牲になった方がいたこと、今も苦しむ方がいることに思いを馳せ、この点を補足して捉えていただきたいです。
このデモの様子を、トルコの友人のプナールさんが書き送ってきてくれましたので転載します。
同記事は現地の新聞に掲載したものの半分ぐらいをプナールさんが日本語訳してくださったもの。僕が若干の校正を行っています。
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報告 4月26日チェルノビル事故の28年目でシノップ市のデモについて
2014年4月27日 プナール(Pınar Demircan)
トルコでは毎年、4月26日にチェルノブイリ事故の日としてデモが行われていますが、今年は特別な意味がありました。
今年の4月26日の企画は、日本の国会で、シノップ市に作られる予定の原発についてのトルコと日本の間の協定が承認されたことに抗議するために行われたのでした。
そのため主だった団体が、トルコの各町からシノップ市へやって来ました。
地中海地方のメリシン市、エーゲ海地方のイズミル市とデ二ジリ市 、シノップ市と同じ黒海地方のカストモニ市、オルヂュ市、ギレスン市、トラブゾン市、マルマラ海地方のイスタンブール市 から人々がやってきて、原発反対デモは、全部で約1万人になりました。
参加者たちは「太陽力を利用しよう!原発は危ない!原発より生活だ!原発に反対!」と繰り返し叫びました。「トルコは資源が豊かで自然も美しい。なぜ事故になったときの危険性がとても高い原発を使わなければならないのか」と叫びました。
デモをアレンジした反原発団体は、話し合いの場も作って、反原発というテーマでのディスカッションを作り出しました。反原発団体のスポークスパーソンは「原発事故があると、人間だけではなくてすべての生き物がリスクを受ける。人間はこの世の中の責任者です」と述べました。
「チェルノブイリ事故によって飛散した放射能でたくさんの人間や生き物が影響を受けた。事故後、トルコの黒海沿岸地域の葬式の数が増えて、平均死亡年齢は74歳から58歳にまで下がった」とも言いました。
(注:チェルノブイリ原発事故後、10年以内にガンがどのぐらい増えたかという調査が行われていません。実態は当局に隠されてきました。アメリカ軍が広島に原爆を落とした後、人間の健康への影響について調査したものの、本当の結果を隠したのと同じように、トルコ政府の記録は市民の手には入りません。1996年以降は、そうした情報のシェアが禁止されています。)
シノップの市長は、与党AKPの党員ではなくて、野党CHPに属していますが、こう語りました。
「シノップ市は自然が美しいところだ。エネルギーになる風も太陽も豊かにあるのに政府がなぜ原発を建てたいか分からない。世界中の国々がもう原発をやめたり、2020年ごろにはやめると約束をしているのに、なぜトルコが今から作ろうとするのか、まったく分からない」。
これまでも毎年、このチェルノブイリの記念日には行動がありました。幾つかの大きい町で毎年同時に反原発行動が行われています。
その中でもシノップ市では、2006年以来、「原発の建てられる町」として予定されているために2006年に大規模なデモがありましたが、今年はそれと同じぐらいの大きなデモになりました。
チェルノブイリ原発事故の後に繰り返し行われたこの運動の結果、一時期、トルコ政府は原発作る予定を放棄しました。しかし2006年にエルドガン政権が、再度、復活させたのです。
シノップ市は黒海地方の町であるため、今のウクライナ(黒海の北側)にあるチェルノブイリ原発の事故によって、大きな影響を受けてしまいました。
その後の10年から20年の間に、ガンで亡くなった人がたくさんいました。その中には有名な歌手、カジム・コユンジュという男性もいました。彼は、チェルノブイリ事故後に降った雨で、自分がガンになったと、死ぬ前に何回も訴えました。
さらにトルコの他の町でも原発に反対するデモが行なわれました。それは下記のごとしです。
現在、シノップ市が一番状態がデリケートなので、参加者は1万人と、この町の運動で一番多かったけれども、この日のイスタンブール市とアンカラ市での参加者も少なくなかったそうです。(正確な人数は分かりません。)
地中海のキプロス島でもデモがありました。地中海沿岸のメリシン市にロシアによって原発が建てられようとしていることに対して、地中海を守りたい人々が集まりました。
(メリシン市は地中海地方の一番東にある町です、その南にキプルス島があります。万が一メリシン市で原発事故が起こると、影響を一番受けてしまうところなのです。)
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なおこの日のデモのことを、ベルギー在住の友人のジャーナリスト、川崎陽子さんが、さきにプナールさんにインタビューをして素敵な記事を書いてくださっています。
ぜひこちらもご覧下さい。シノップでのデモの写真も掲載されています。
日本の原発輸出に反対するトルコの市民たち 「日本の原発が私たちの未来を盗む」―トルコ市民へのインタヴュー
2014年5月9日 川崎陽子:ジャーナリスト
http://financegreenwatch.org/jp/?p=43573
このデモのあと、プナールさんは5月13日にトルコのソマであった悲惨な炭鉱事故のことを取材して、涙を流しながら記事を綴り、送ってきてくれました。以下に掲載しています。
明日に向けて(848)トルコの炭鉱事故は人災!責任は人命軽視のトルコ政府にある!
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/33815c30e09ecd3cc79c304ddc68cc11
タイトルは英語ですがトルコ語記事が以下から見れます。
なおこのトルコ語記事は、あるところでのトルコ語学習会でテキストに使ってくださったそうです。
For tomorrow(849) Why such a crucial coal mine accident happened in Turkey?
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/0a4426fbcd53c5cdc49c610acf677221
炭坑事故についての記事を読めばわかることですが、この事故は、効率重視に走るトルコ政府が、働く人々の安全確保を大変軽視してきたことによって引き起こされたことがよく分かります。エルドガン首相は炭坑オーナーと癒着すらしています。
それどころかエルドガン首相は、なんと「炭坑ではこういう事故は起こるものだ」とまで言い放ち、その場で抗議する人々を逮捕させようとすらしました。エルドガン首相の若い側近など、警察に抑え込まれたデモ参加者に足蹴りを加えるありさまでした。
政府の何ら責任を顧みないこの横暴な態度に対して、トルコのほとんどの主要都市で、怒りのデモンストレーションが起こりましたが、またも横暴を極めるトルコ警察が出動し、デモ参加者にガス弾を浴びせかけました。あまりにもひどい!
プナールさんは叫んでいます。
「このようなひどい政治的な考え方を持つトルコ政府と日本が、原発のビジネスを始めるなら、結果は安倍さんが想像できないひどいものになると思います。炭鉱もコントロールできないトルコで、原発は爆弾と変わらないです。」
その通り!安全思想が大きく欠落していて、それへの抗議を警察の暴力で押さえつけているトルコでの原発は爆弾と変わらない。・・・想像するだに恐ろしいことです。
こんなひどい状況のトルコに原発を送りこんではいけない。トルコ政府のこれほどひどい状況を知りながら、原発を売りつけるのはそれ自身が巨大な暴力です。
すでにチェルノブイリ原発事故でも深い傷と、苦しみと、悲しみを背負ってきたトルコへの原発輸出を、なんとしても食い止めましょう!