明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(844)ベラルーシ・ドイツ・トルコを訪れて(4)・・・奈良測定所講演録から

2014年05月12日 21時00分00秒 | 明日に向けて(801)~(900)

守田です。(20140512 21:00)

奈良市民放射能測定所の開設1周年記念企画でお話した内容の起こしの11回目です。今回はベラルーシ訪問に関するまとめです。
ドイツの方たちが作りだしてくださった国境を越えた交流への情熱とその意義について論じました。今回は事前コメントをつけずに掲載します。

なおこの講演録は、奈良市民放射能測定所のブログにも掲載されています。前半後半10回ずつ分割し、読みやすく工夫して一括掲載してくださっています。
作業をしてくださった方の適切で温かいコメント載っています。ぜひこちらもご覧下さい。

守田敏也さん帰国後初講演録(奈良市民放射能測定所ブログより)
http://naracrms.wordpress.com/2014/04/08/%e3%81%8a%e5%be%85%e3%81%9f%e3%81%9b%e3%81%97%e3%81%be%e3%81%97%e3%81%9f%ef%bc%81%e5%ae%88%e7%94%b0%e6%95%8f%e4%b9%9f%e3%81%95%e3%82%93%e5%b8%b0%e5%9b%bd%e5%be%8c%e5%88%9d%e8%ac%9b%e6%bc%94%e3%81%ae/

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「原発事故から3年  広がる放射能被害と市民測定所の役割  チェルノブイリとフクシマをむすんで」
(奈良市民放射能測定所講演録 2014年3月30日―その11)


Ⅲ ベラルーシ・ドイツ・トルコを訪れて(4)

【国境を越えた交流への情熱】
今回、ドイツで行われたドイツとベラルーシと日本の医師を集めた「国際医師協議会」も、ドイツの方たちのチェルノブイリの被災者を支えたいという熱い思いに支えられた歴史的な経緯の中で立ち上げられたのだと思います。
僕はずっとなぜこのような企画が立ち上がったのか考えていたのですけれども、もともとドイツの医師たちがベラルーシの医師たちをどんどん他の国々に連れ出し、さまざまな医師や科学者、人士との交流を促すことを行ってきた蓄積があって、それを促進する位置があったのだと思います。
要するに、ベラルーシの医師たちも本当は事実を知っているのです。ベラルーシで起こっている多くの病が、チェルノブイリ原発事故の被害だということをです。しかしベラルーシの中では、そうしたことはなかなか言えないのですよ。言ったら国立機関の中では働いていくことは難しいのだと思うのですね。

だけれど、そのような医師たちがドイツに「国際医師協議会」ということでやってきて、いろいろな見解を語っている人士と交流できる。このことがとても大きいのだと思います。
なぜならベラルーシの医師たちは、現実にはもっともたくさんの被害者に接しているからです。また病の原因が何であれ、それを治すために尽力している。その医師たちを支えることは被災者を支えることであり、被害の根拠を探ることとは別に、やり続けなければならないこととしてあります。
そのために、シーデントップさんなど、もう20年以上も地道にベラルーシの医師たちと連帯をして、支援を続けてきた。人道援助としてしっかりやってきているので、ベラルーシ政府も拒否できないし、しないのです。そのつながりを通じて、ベラルーシの国立機関の医師たちをドイツに連れてくる。「低線量被曝は非常に危険だ」という見解が、わあわあと飛び交っている場にです。もちろん発表会も一緒に行う。

ベラルーシの医師たちは、ここでも内部被曝のことはほとんど言いません。危ないのは、あるいは影響があるのは外部被曝だと言います。発表内容は明らかに他の医師たちと意見が食い違ってはいるのだけれども、そういう形で、一緒になって放射線障害の問題を話し合って交流する中に、国境を超えた、放射線障害との闘いの共同戦線みたいなものが作られてきているのだと思うのです。
今回の企画はドイツの人たちが中心になって作り上げてくれたのですけれども、僕はそうしたことをとてもありがたいと思いましたね。しかもそこに日本の僕らを呼んでくれたのです。
世界から見ると、日本だってベラルーシとそれほど変わりがあるわけではない。放射能の危険性は低いなどと言っている「科学者」の方が圧倒的に多い。そういう国である私たち日本から、志のある医師や人士を招いて、いろいろな人々との交流の場を設けてくれたのでしょう。

【「チェルノブイリ、そしてフクシマ」というキイワード  ~痛みを吸収しようとすること~】
だからある意味、「チェルノブイリ」と「フクシマ」という言葉は、この混沌とした世界を変えていくための、ひとつのキイワードに転換しつつあるということを感じました。
僕もこの協議会で発言させてもらったのですが、どういうことが「受ける」かというと、福島の人々の生活が、今、どうなっているのかということでした。さらにもっと受けたのは、日本の民衆が、この理不尽な事態をただ黙って見ているだけではなくて、さまざまな抵抗運動を起こしつつあるということでした。そのことを発表すると、強い共感を持って迎えてくれました。
ヨーロッパからは日本の民衆の活動的な姿がなかなか見えないのですよ。民衆サイドにたったマスコミがないので、アクティブな姿はなかなか伝わらない。それは相互に言えることでもありますが、そのため、「日本人はおとなしくて、慎ましくて、理不尽なことがあっても押し黙って耐えているのではないか」と思われています。

ドイツのヘアフォートというところに行ったとき、ドイツの女性が怒りながら「日本人はなぜあんなにひどい放射能のあるところで文句も言わずに黙って働いてるんだ」と言うのですね。直接には福島原発サイトのことをさしていたのですが、そういう時は「いや、理不尽な現状に対して、あちこちで文句を言っている。押し黙っているだけではない。たくさんの抗議行動を行っている」とお答えします。
また「あんな秘密保護法みたいなひどい法律を通されて、なんでデモの一つも起こさないんだ」ということに対して、「いやいや、たくさんのデモを起こしている」と語って、そういう写真を見せると「あっ、そうなのか、日本の民衆は黙っていたのではないのか。これほど抗議を行って、アクティブに活動しているんだ。ああ良かった」となるのです。シンプルです。そういう点での感じ方は、どこの国の人でも大して変わらないというか。

今、僕はずっとベラルーシのことを話しました。そのことの中からみなさんと共有したいことがあります。
ドイツの人々が素晴らしいと思ったのは、ベラルーシの人々が被ったきた痛みを自らのものとして考える中から、世界を捉えようとしていることです。痛みを通して、自分たちも担わなければいけない共通課題を見出している。
そういう観点から「チェルノブイリ、そしてフクシマ」というキーワードを自分の課題としてとらえ、私たち日本人、あるいは日本に住まう人々の痛みを吸収しようとしてくれているのです。

その中で紡ぎ出されてきた国際的なつながりの中に僕は参加させていただくことができた。後から考えてみたら、あのような、ベラルーシという難しい国の国立機関の中を案内してもらうことなど、なかなか簡単に得られる経験ではないですよね。あれはドイツの人たちが20年間かかってコツコツと作りあげてきた信頼関係の上に成り立った、貴重な機会だったのです。
僕はゴメリでの晩餐会の時に調子に乗って、英語で「みなさん、平和のために断固として一緒に闘いましょう!」みたいなことを言ったのです。そうしたら後からドイツの方に「守田さんはすごく活動的で素敵だと思うのだけれど、ちょっと言い過ぎのところもあるわよね」と言われました。つまり「彼ら彼女らは国家機関の中枢に抑えられてる医師たちなので、その立場をもっと分かってあげてね」というのです。恥ずかしかったです。
ドイツの方たちはさまざまな矛盾も踏まえてベラルーシに通いながら、国の体制がどうであろうとも、チェルノブイリの事故で苦しんでいる人々を救おうとしています。救うのは侵略を行ったドイツ人の責務なのだ。自分たちはそれをやらずにはおかないのだというような思いを強く感じました。僕が見た限りでは、ヨーロッパの中でドイツが一番、チェルノブイリの問題で動いているのではないかと思うのですが、その根拠がここにあることを感じました。

それで僕はドイツの方と、次のような話をしました。
「あなたたちがゴメリに行って、顔が硬直して、心に痛みを感じている姿を見たときに、僕は深く感動しました。僕はそのことで、日本軍の中国やアジア各地への侵略のことを思い出しました。日本人とドイツ人は同じ痛みを持ってると僕は思います。同時に、ドイツも日本もものすごく酷い空襲をされたわけですよね。だから戦争の酷さを両面から知っている点でも共通しています」と。
実は、僕の母は東京大空襲のサバイバーなのです。父は広島原爆のサバイバーです。このことはベラルーシでもドイツでも何度も話したのですが、その意味で僕は、東京大空襲と、広島原爆の狭間から生まれてきた子どもであるわけです。
僕は「そういうドイツ人と 日本人こそが、正義の戦争なんかないということを一番知っています。だから一緒になってこの世から戦争をなくすために一緒に努力していきたいです」と語りましたが、向こうの方たちもとても深く共感してくれて、気持ちを分かってくれました。深いところでつながることができたと思うのですが、みなさんにもぜひこういう点を共有していただけたらと思うのです。

「チェルノブイリとフクシマ」は、世界の人々の間に共通に記憶された非常に大きな事故であり事件です。この悲劇を通じて、世界の方向を変えようという共通の意志が生まれてきている。核のない世の中はもちろんですが、ごく一部の金持ちが私有財産をどんどんかすめ取っていく世の中ではなくて、もっと良い方向に変えていこうという思いもそこには懐胎しています。
ただし、具体的にどういう方向に進めばいいかグランドプランはなかなか見えてこない。だとしたら今、自分ができることをしよう。そのためには、チェルノブイリの子どもを一人でも救おうと、そのような切々たる思いで行っていることが、今回の企画の底流にあったことで、そこに触れることができたことが、僕にはとても大きなことでした。

続く

コメント (1)
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