明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1589)原発問題というのは、男性にいろいろなことをお任せし過ぎて起こったー映画『小さき声のカノン』に込められた思い-3(再掲)

2018年10月08日 10時00分20秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20181006 10:00)

前回の続きで2014年11月に行った鎌仲さんとの対談の3回目、最終回をお届けします。

なおここで滋賀県知事に当選したばかりの三日月さんのことが出てきます。鎌仲さんとの対談の前に、しがのお母さんたちを中心にした市民の方たちが三日月さんを囲むトークショーを行い、僕もそこに参加して鎌仲さんも観ていたからです。
現在の三日月さん、残念ながらあのときの市民にまるっと囲まれて当選したよい感じが薄れて、「灰色の男たち」の方へと吸い込まれてしまっている感じがします。三日月さんにあの頃を思い起こして欲しいとの思いも込めてこの部分もそのままに掲載しました。

映画『小さき声のカノン』に込められた思い-3
2014年11月24日 アースディしがにおいて
鎌仲ひとみ&守田敏也

● 原発問題というのは、男性にいろいろなことをお任せし過ぎて起こった

鎌仲 私は原発問題というのは、男性にいろいろなことをお任せしすぎて起こったんじゃないかなあって思うのですね。
守田 そうです!
鎌仲 男性原理。つまり効率を追求するとか、経済性を追及するとか、その価値観の前には「命」という言葉を使うのも恥ずかしくなるような感じで、男たちがやってきたと思うのですよ。
 でも女は子どもを妊娠して生むわけではないですか。それなのに「そんな感情的になるなよ」とか「科学的な根拠もないのに放射能を怖がっているだけじゃないの?」とか冷たい理屈を言う男たちが未だに日本では多いのですよ。
 だから今、そういう男たちが政治とかいろいろなことを決める側にいて、女性たちが「お願いです。給食には安全な食材を使ってください」と嘆願、陳情にいくという構造そのものを変えて、女性も政治を引き受けるし、男性も子育てや地域の活動を引き受けることが必要なのです。だからこれは、単に原発のことだけではなく、男と女の非常に深い問題に関わっているなと映画を作って思いましたね。
 母なるもの、男性の中の女性性が、あまりにも日本の中では抑圧されすぎていると思います。
守田 本当にその通りだと思います。

鎌仲 あるいは夫婦の関係で、夫が妻のいうことに耳を傾けることがあまりにもないと、今回取材をして、凄く感じて、驚いたということもありますね。
 子どもを抱いて放射能のことを不安だと言う妻に「政府が安全だと言っているのにおまえは何をバカなことを言っているのだ」と。でもそんなことを言ってもらいたいのではないのですよね。子どもを抱えて凄い不安に包まれている自分をどうにかして欲しいとまずは言っているのに、すぐに数字の話とか原発の話を男はしちゃうわけでしょう。
 やはり子どもを本当に守りたいという夫婦の共同作業がなければ私は子どもは守れないと思うのです。その中で母なるもの、母的な力というものが今でてきているわけですが、こんなに混迷している安倍さんのアベコベ政治の日本の中で、そういうものと真っ向から対立したら潰されてしまう。
 そうではなくて、地を這うように、草の根が広がるように、女たちが今までとは違う意識を持って前に進んでいかなかったら子どもは守れない。原発も止められない。そう思います。

● 女性の声に耳を傾けた方が男性にも断然いい!

守田 僕は滋賀に来てもそう思うのですよね。滋賀というより信楽のお母さんたちに最初に呼んでもらって、その場の雰囲気がとても心地よいというか、「話して下さい」と言われて来ながらその場の雰囲気にすごく教えてもらうことがあったのですね。
 たぶんね、僕は三日月さん(注 滋賀県知事。鎌仲&守田トークの前に、お母さんたちを中心としたしがの方たちと対談した)もそうだと思う。あれは男としてすごく得だと思いますよ。
鎌仲 そうそう。あれは良かったね。ああいうのいいね!
守田 おそらく今の彼の日常は、灰色の背広を着た時間泥棒のような人たちに取り囲まれている毎日だと思うのだよね。(守田注、灰色の男たち=時間泥棒はミヒャエル・エンデの『モモ』に出てくる)だから今日は三日月さんはなんかホッとした顔をしていた。
鎌仲 そうよねー。ここにいる女の人たちにいじられるのがいいね。
守田 そうそう。
鎌仲 いじくられキャラ(笑)。

守田 そういうのがもっと広がっていくと僕は「男性解放」になると思います。男性自身がすごく自分も抑圧しているのです。男性の中にも鎌仲さんが言ってくれたように母性的なものもあれば、優しい気持ちもあるのに「そんな腰抜けでどうするんだ」と言われちゃってね。「理屈に強く数字に強くないとダメだ」と言われて、結構、それで男性は疲弊しているのですよね。
 それで家に帰って、人のことばかり言えないけれども、お連れ合いに愚痴を聞いてもらう。それではダメで、社会の中で自分が公的な活動をしている場で、そういう母性的なものが出せるようにならないと。
鎌仲 でも連れ合いに愚痴を聞いてもらえるのは良い方だよ。(笑)

● ぶっ倒れるほどにお金がない! 上映への協力を!

守田 さて鎌仲さん。そろそろ最後になるのですが、この映画を僕はとにかく観て欲しいし、広げたいと思うのですけれども何をしたら良いでしょうか。
鎌仲 そうですね。この映画の卵のように産み落とされたシーンを先行的に今日だけ上映するものがありますので観ていただいて、本編は来年の3月に東京の劇場で公開したあとに全国で一斉に上映して、どの劇場でも上映していただきたいと思っていますし自主上映もやります。そのどこでも使える前売り券を販売しています。
 私たちはこの映画を3年かけて作ってきました。こういうテーマの映画を誰も作ってくれないのですが、いいものを作らないと広がらないので時間がかかりました。映画を広げるためには、子どもたちを保養に出すとかあるいは定期検診を受けるとか、今はまだまだ足りない制度を作っていくための運動と連携していきたいなと思っていますが、私たち実はもうぶっ倒れるほどにお金がないのです。

守田 前売り券を買っていただくことが凄く重要なそうですね。
鎌仲 そうなんです。
守田 これから宣伝をしなければならなくて、もの凄くお金がかかると聞きました。ですからみなさんにぜひ前売り券を買っていただきたいです。
鎌仲 ほっておいたらマスコミは私がこの映画で描いたようなテーマを取り上げようとしないのです。でも映画になった、それが劇場公開になる、地域で上映になったとなったら取り上げるようになる。現場にはいい記者たちもいるわけですよ。
 このテーマを広げるチャンスなんです。私はそのチャンスを生かすために何人かのスタッフを雇わなくてはいけないし、その人たちだって人間的な生活をしなくてはいけない。その上で朝から晩まで働いてもらわなくてはいけない。
 映画を作ったのはいいのですが、実は今月の12日にこの映画の製作資金すべての責任を負ってくれていた私と30年一緒に映画を作り続けてきたプロデューサーが亡くなってしまいました。
守田 悲しいですね。
鎌仲 私たちは父親のようなプロデューサーを亡くしてしまって、路頭に迷っているような状態です。でも自分たちでこの映画をやっていこうということで、相変わらず頑張っているのですけれども、ただ、チケットを買っていただかないと、先が・・・という感じなのです。
 いやそれでもやっていくでしょうね。例えチケットが売れなくても借金をして頑張っていこうとは思っていますが、良かったら買ってやってください。
 はい。終わりました。
守田 今日はどうもありがとうございました!

終わり

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明日に向けて(1588)微妙なところにいるお母さんたちの試行錯誤を追いかけたー映画『小さき声のカノン』に込められた思い-2(再掲)

2018年10月08日 10時00分10秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20181006 10:00)

前回の続きで2014年11月に行った鎌仲さんとの対談の2回目をお届けします。

映画『小さき声のカノン』に込められた思い-2
2014年11月24日 アースディしがにおいて
鎌仲ひとみ&守田敏也

● 微妙なところにいるお母さんたちの試行錯誤を追いかけた

守田 昨日も京都で一緒にトークさせていただいて、いろいろと聞かせていただいたのですけれども、印象的だったのは、鎌仲さんはこれまで月に一回『カマレポ』というのを配信して来られました。長く撮りためたものをみんなにずっと観てもらえないのは残念だということで、毎回10分から長くて15分のものでした。
 僕は楽しみに観ていたのですけれども、その中に僕が東北に行って知り合った方たちがたくさん出てくるのですよね。その方たちは頑張ってあちこちで先頭に立って、素晴らしい訴えをしてくれている人たちなのですよね。
 僕は最初はそういう人たちのシーンが集まって映画ができるのかと思っていたのですが、昨日聞いたらほとんどそのシーンは落としたというのですよね。それはどうしてなのでしょうか。

鎌仲 もう分かっている人は良いかなと思ったのです。うーん。なぜって誰も原発のことを、その恐ろしさを知らなかったわけでしょう?日本中のほとんどの人が。それを知っている人が「ああだこうだ」って言ったって、それを素直に聞けないということもあると思うのです。
 分かっている人に言われるというのは上から目線的でもあるし、そうではなくて私は本当に地に這いつくばって、日々、ご飯を作ったり、子どものいろんな細かいことを気にしながら子育てをしているお母さんたちの目線はそういうところにはないということに気が付いたのですよ。お母さんたちはもっと違うところを見ているのではないかなって。
 その目線を合わせるのに、原発のことをただ知らせるのではなく、お母さんがどういう風に子どもを愛しその子供を守っていくということを、これまでのご飯を作る、洗濯をする、掃除をする、子どもの宿題を見る、子どもを幼稚園に、学校に送りだす。その延長上にあるべきだという風に思ったんですよ。
 それはグレイな、グラデュエーションでいうと曖昧なところですよ。はっきりと腹をくくった人たちではないのですよね。途上にある人たちなので。だからカメラに映ることも非常に難しい。カメラに映ること事態が福島では恐ろしい。
 なのでそういう非常に微妙なところを撮影するのに凄く時間がかかりました。微妙なところにいるお母さんたちが試行錯誤をし、泣きながら、励まし合いながら、でも孤独にもなりながら、それでもやっぱり前に進んでいく姿を3年間、追っかけたので大変だったのですね。
 そこが「今までにない映画」ということだと思います。映画には「素晴らしい人を撮る、素晴らしい覚醒した人たちを撮って、その教えを請う」というものもありますが、今必要なのはそういうものではないと私は思うのですよ。
 やはり今を生きている葛藤とか格闘の中に何か見えてくるものを追うのがこのテーマではいいかなと実感したのです。そのため編集はものすごく苦しかったのですけれども、最終的にはその目線と合うことができたと思っています。

● 初めは泣きながらたたずんだ、でも子どもたちを守る新しい取り組みに入っていくときが来た!

守田 その話を聞くと思い出すことがあります。僕もあちこちで講演させていただいているのですけれども、岡山で話をしたときに、関東の方から逃げてきたばかりのお母さんが参加されていました。
 僕の講演が終わった後に、幾つかグループを作って、それぞれでお互いの話を聞ける場を作ってくれたのですが、その時にその逃げてきたお母さんが、とつとつと、さきほど鎌仲さんが言った通りに話をしてくれたのですね。
 地震があった時に何も知らなくて、小学校6年生の息子さんがいて、お母さんたちみんなで卒業式だけはやってくれという運動をやったのですね。
 体育館も崩れている状態の中でしたが、学校側も「それでは校庭を使ってだったら認めましょう」ということになって、3月15日に校庭で子どもたちが並んで卒業式をやってしまったわけなのです。(守田注 3月15日、その小学校がある地域を大量の放射能を含んだ雲が通過していった)
 ずっと子どもたちがそこに立っていて、しかも卒業式が終わってからもみんなこれでバラバラになるからお母さんたちも名残惜しくて、ずっと一日そこに立っていたということをそのお母さんが泣きながら話すのです。「私は子どもたちを被曝させてしまった」と言いながら。
 それ以上、そのお母さんはどう捉えるべきなのかはなかなか言えないのだけれども、それを聞いていた周りのお母さんたちが彼女の手をとって、その方たちも言葉ではどう表現していいのか分からないのだけれど顔を見合わせて「うん、うん」と言っていたシーンを思い出しました。
鎌仲 本当に人類史上、まれにみる大惨事が起きたわけですが、しかし「人類史上、まれにみる大惨事」とメディアは伝えてないのですよね。

守田 そうですよね。
鎌仲 だからもちろん、どうしたら良いか分からなくて、言葉も出なくて、泣きながらたたずむのはしょうがない。誰だってそうだ。だけれどそれから3年経つ中で、子どもたちを守る新しい取り組みに入っていくときが来たのです。その瞬間を私はこの映画の中で描きたかったのですよね。
 それまで待たなくてはいけないというか。見守って、「うーん」という感じで。やはり人間の中にある強さ、母なるもの、男性の中にもありもちろん女性の中にもあるそういう力が、小さき存在の命をどう守っていくと考えたときに出てくる。今、その段階に来たと思います。その力の出すべき方向を私はこの映画の中で示していると思います。

● 今回の撮影では少し前からひっぱったかも

守田 その取材の場に行って、どうお母さんたちが力を出せるように関わりながら鎌仲さんは取材するのですか。というか、その場合の取材って僕も良く分かるけれど、すごくセンシティブで難しいですよね。
鎌仲 だいたいね、普段はこうやって取材しているんです。三歩下がって。(鎌仲さんは僕の席の三歩後ろに移動)だから前には出ない。でも今回はここら辺からひっぱったかも。(鎌仲さんは僕の横よりほんの少し前に立った)。
 普段は後ろにいて追い抜かないようにしているんですよ。その人がどうあるのかを尊重したいから。この取材の仕方は今回も貫いています。でも時々、関わるよね。関わらざるを得ないのですけれど、基本のスタンスはちょっと後ろから見守る感じです。
守田 やっぱり鎌仲さんが来たら、答えを欲しがるのではないですか?
鎌仲 みんな逃げるんだよね。答えを欲しがるというより、私がすごく答えにくいことを聞くので。私はストレートにいろいろな聞きにくいことを聞くわけですよね。向こうも答えにくくて、ちょっと「うん・・」となる時期ももちろんありました。
 でもだんだん、そういうことを乗り越えて、関係ができていったと思うのですね。

● 今回の映画は自分で観ても泣ける、泣ける

守田 やっぱりそういうシーンが詰まっているというか。
鎌仲 そうですねー。なんだろう。私は出来るだけ私の映画の中では人を泣かさない、感情的なもので絡めとらないということを心がけてきたのです。「泣いたって何も解決しないよ」という考えがあったのですけれども、今回は自分で観ても泣ける、泣ける(笑)。
守田 うーん。それはすごい。
鎌仲 そういう感情のカタルシスがあっても、やはり問題は大きく複雑に私たちの前に立ちはだかっていることには変わりがないので、そこに向かって泣いたり笑ったりしながら、長くやっていく問題だと思っているのですね。

守田 すごく共感します。僕も講演をしたり、いろいろとものを書くときに人の話や書いているものも見ますよね。そうするとすごく上から目線で断定調に「こうしなければダメ」とか、「こういうことをどうして知らないんだ」という話し方、書き方をする人がいるのだけれども、今までの世の中そのものがそのような感じで来たのではないか。
 少数の官僚であったり政治家であったり、偉そうな人の言うことに振り回される。そうではなくて自分自身が、難しいかもしれないけれども情報をつかんで自分で考えて判断できるようになっていくことが大切なのであって、僕はそのためには何が必要なのか、何が提供できるのかということを考えてきました。そう思うだけに映画が楽しみです。

続く

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明日に向けて(1587)映画『小さき声のカノン』に込められた思い-1(再掲)

2018年10月08日 10時00分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20181006 10:00)

● 本日正午から『小さき声のカノン』上映と鎌仲&守田のトーク企画が行われます!

本日(10月8日)の正午から、映画『小さき声のカノン』上映会が開かれます。京都市のひとまち交流館大会議室にてです。上映後に鎌仲ひとみ監督に僕がお話をうかがう場も設けていただいています。鎌仲さんと僕のトークは14時15分からです。
イベントページをご紹介しておきます。
映画上映会「小さき声のカノン」と監督鎌仲ひとみさん、フリーライター・ジャーナリスト守田敏也さんトークイベント
https://www.facebook.com/events/462017670957346/?active_tab=about

この映画がリリースされたのは2015年3月7日ですが、その少し前、2014年11月24日の「アースディしが」において僕は鎌仲さんとのトーク企画に参加し、『小さき声のカノン』に込められた思いをお聞きしました。
実は今日の鎌仲さんとのトークではその「続編」をやりたいなと思っています。封切り後、3年半。どんな風に上映が進んできたのか。その中で鎌仲さんは何を見て、何を考えてきたのか。そしてそれを踏まえて、いま、この映画にどんな思いを込めているかなどです。このため2014年に行ったインタビューを再掲しておきたいと思います。長いので3回に分けます。

小さき声のカノンに込められた思い-1
2014年11月24日アースディしがにて
鎌仲ひとみ&守田敏也

● 『小さき声のカノン』の見どころは?

守田 鎌仲さん。そろそろ映画の話をしましょうよ。
鎌仲 したいしたい。

守田 映画がとうとう完成したということですけれども、まずは「見どころ」を教えて下さい。
鎌仲 え? ここで言うの?(笑)それがねえ、難しいのですよ。難しいと言うか、「見どころ」とってもエンターテイメントではないじゃないですか。
 「観たことのない映画」と言われています。まだそんなに多くの人に観ていただいてなくて、試写会を3回ほどしただけなのですけれども。観た人たちはそう言っている。

● 問題の核心は被曝にある

守田 観たことがないというところが「見どころ」というわけですね(笑)
鎌仲 つまり震災について起きた事象、問題についての映画は、この大震災と原発事故以降、たくさん作られてきたのです。初めて映像作家たち、メディアの人たちが原発問題を捉えるようになった。
 私はそれをできるだけ見るようにしているのですけれども、私自身は問題の核心は被曝にあると思っていて、その被曝に真正面からどう取り組むのかがこの映画の難しいところだったのです。
 一番、人々が混乱させられているところでもあったので、そこに一本の光が薄暗い中にサーっと射し込むようなビジョンを示せる映画にしたいと、作り始めたころから思っていたのです。
 なぜなら例えば福島の人たちは、原発が爆発してその瞬間を報道する福島中央テレビに「原発から水蒸気のようなものが上がっています。水素爆発だ」と言われたのです。放射能が出たとは言われなかった。
 「放射能が出ました。原発が爆発しました。みなさん。この放射能から逃れるためにこうしてください。ああしてください」ということは一切なかったのです。それでみんなボーっとしていた。何も知らされなかったのです。
 翌日、本当に線量の高い土壌の上で子どもたちが遊んだり、そこに座ったり、ご飯食べたり、一緒に水を汲みにいったりしていたのですよ。危ないことを知らなくて。
 それでその後にだんだん事実が明らかになっていったときに、人々の心の中に複雑な感情が芽生えてきたと思うのですよ。お母さんたちがどう思ったのかと言うと「ああ、自分たちが子どもを被曝させてしまった」って。

● 子どもたちのためにできることがあることを示したかった

守田 そうです。そうです。
鎌仲 「そうじゃない。あんたたちがやったんじゃないよ」って言っても、日本人は律義で責任感が強くてすぐに自分を責めちゃうので「自分たちに知らせなかったやつが悪い」とは思わないんですよ。
 すごく加害者側にとって便利なサイコロジーをもっている民族なんですよ、私たちは。自分たちの責任を感じてしまう。そのように躾けられているのですね。なのでお母さんたちは罪悪感を持ってしまう。
 でもその放射線値が高くなったところから逃げればいいのかと言ったら「大丈夫、大丈夫」って言われたのですよ。「放射能が来たけど大丈夫だから。そこにいていいから。何も問題がありません」と、事故の収束よりも素早く言われました。私はものすごくす早く情報操作がされたと思っています。
 その情報操作を乗り越えて、子どもたちの健康へのリスク、自分たちのもそうですけれども、それに気が付くことができるかどうかが最初の大きな課題だったのですね。
 それでその後に「ホラ、こんなに放射線値が高くなっている。それは危ないんだ」と言われた福島の人たちは「自分たちはバカにされている。自分たちの大事な故郷が汚染された、穢れたと言われた」と被害者として感じるようになってしまっていて、複雑な感情がぐるぐる渦巻くようになってしまった。
 その中で一番、問題だったのは「これはもうどうしようもない。こんなに大きな政府や東京電力が助けてくれないのだったら、自分たちは黙ってここで生きていくしかない」と思ったのではないかと言うことです。そう思った人は多かったと思うのです。
 「何もできない。だからもう考えない」という選択が蔓延しました。私はそれが最悪だと思っていて「そうではなくて出来ることがある。子どもたちを守りたい」という気持ちにどんぴしゃっとはまること、できることがあるということを示したかった。
 しかしそれは現実の中にないと示すことができないので、凄く長い時間がかかっちゃったのですね。

● チェルノブイリの先輩お母さんたちに学ぶ

守田 どういう形で示したのですか?
鎌仲 チェルノブイリ原発事故は福島原発事故の25年前に起きている。25年間、ベラルーシやウクライナのお母さんたちは経験を積んだわけですよ。その経験の中で分かってきたことはたくさんある。
 それで守ることができる。子どもたちの身体の中にいったん入った放射能も出すことができる。今、そういうさまざまな実践をしてきた28年目になろうとしていて、福島は今、4年目なのですよね。
 だからその先輩お母さんたちに、ビギナーのお母さんたちはものすごくたくさんのことが学べると思うのですよ。その学べるところをこの映画の中に入れました。
 それを今までの「原発反対」という対立的な運動の形ではなく、私たちが暮らしの中でご飯を食べるように、息をするように、朝、「おはよう」って言うようにできる運動、そういう取り組みをこの映画の中で具体的に示したのです。あ、それが見どころだな。そういうわけなんですよ(笑)。
 今日はその本編をお見せするわけにはいかないのですけれども、400時間このテープを回して、結局、2時間をちょっと切ったのです。縮めていくプロセスの中で泣く泣くお気に入りのシーンを落としていったのですよね。
 そのシーンが良くないから落としたのではなく、やはり物語を編んでいかなければならないので、その中にどうしても入りにくかったものを素晴らしいシーンだとしても落とさざるをえなくて、それは映画を作っていく中ではどうしても起きることなのですけれども。
 今日はその最後の最後の方で落ちていったシーンをみなさんに観てもらって、本編は来年の3月に東京で劇場公開をしたあとに一斉に全国で上映していただこうと思っています。

続く

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