明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1612)人間的な優しい感情を摩滅させないと兵士は人を殺せない!(10月30日火曜 同志社でお話します)

2018年10月29日 22時30分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20181029 22:30)


(画像は京都国際舞台芸術祭ホームページより 
https://kyoto-ex.jp/2018/features/other/falklands-glossary/

前回に続いて明日(30日)の同志社大学での講演で話そうと思っていることを記しておきたいと思います。
なお講演は午後1時から同志社新町キャンパス尋真館21で行います!

海兵隊兵士の作り方=優しい心を摩滅させる

憲法9条が長く悲しい戦争の果てに生み出されたことに対し、後半ではいまも戦争を行っているアメリカがどのようにして兵士を作っているのかにフォーカスしたいと思います。
この点で僕がいつも僕が学習会の場で使っているのは映画『フルメタル・ジャケット』の冒頭シーンです。明日もちょこっと観てもらうつもりです。
舞台は海兵隊の新兵訓練の場。教官のハートマン軍曹が兵士たちを「鍛える」のですが、その際、ものすごい罵倒を耳元で繰り返すのです。性的スラングや差別用語が乱発されます。

兵士たちはその理不尽な罵倒に「イエス・サー」と言わされ続けます。そのことで理不尽なことを受け入れられるように作り替えられるのです。
そしてこの「理不尽なこと」の最たるものは人を殺させられることなのです。
第二次世界大戦の時、敵と向かい合ったアメリカ兵のうち、まともに敵に向けて射撃ができたのは2割ぐらいしかいなかったのだそうです。海兵隊は残りの8割にいかに人を殺させるかを考え、この訓練を編み出したわけです。

● 兵士の心の中の両親=良心、とりわけお母さんを殺す!

中でも重要なのは兵士、というより戦争に駆り出された若者たちの心の中の良心を押しつぶすことで、実はその拠り所が両親、とくにお母さんなのだそうです。残酷なことをしようとしたとき「お母さんがどう思うだろう」ということがブレーキになる。
このため海兵隊の訓練では、父親と母親を罵倒する言葉がたくさん出てきます。映画の中ではミニタリー・ケイダンスにそれが現れている。みんなでジョギングしながら教官が口ずさむ歌を復唱するのですが、歌詞はこんな感じです。
Mama and Papa were laying in bed.(ママとパパはベッドでゴロゴロ)Mama rolled over and this is what she said;(ママが転がり、こう言った) oh,give me some...(お願い、欲しいの)...P.T.!(しごいて!)
最後の言葉には性的な「しごいて」という意味と自分たちを軍事訓練で「しごいて」という意味がかけあわされています。

映画には出てきませんが、ベトナム戦争時に実際に歌われていたミニタリー・ケイダンスには以下のようなものがありました。
I wanna Rape Kill Pillage’n’ Burn,annnn’ Eat dead Baaa-bies! (レイプするぞ ぶっ殺すぞ ぶんどって 焼き捨てて 死んだ赤ん坊を 食ってやる!)
なんと海兵隊の新兵たちはみんなで「レイプするぞ ぶっ殺すぞ」と唱和しながらジョギングをしていたのです。ちなみにこの歌を強制され続けたことがPTSDになった兵士経験者もいたそうです。


人殺しになるのは過酷なこと

人間はなかなか人を殺せない!・・・どうも私たちには同じ人間を殺すことをためらう心情がそなわっているみたいです。どこまでがインネイトなものなのか分かりませんが、兵士を作るにはこの人を傷つけたくない思いをすりつぶさないといけないのです。
そして一度、その点をすりつぶされると人はなかなかもとに戻れなくなってしまいます。兵士の場合はとくにその点がPTSDの源になるようです。自分が殺されかかった恐怖ももちろんですが、人を殺めてしまった心の傷がずっと続くのです。
実は第二次世界大戦の時の日本兵とてそうだったのです。多くの兵士が人を殺させられることで心がズタズタになっていった。『日本軍兵士』(中公新書)などにそんな実態が書かれています。

またつい先日、ちょっと奇跡のような演劇を見てきました。いま行われている京都国際舞台芸術祭で行われたロラ・アリアスの「MINEFIELD-記憶の地雷原」という作品です。
登場するのは6人の男性ですが、1982年にフォークランド・マルビナス諸島の領有をめぐってイギリスとアルゼンチンの間で行われた戦争の双方の兵士たちなのです。イギリス側が3人、アルゼンチン側が3人。しかもどうも本物の人たちが自分の実際の体験を語っていました。
そのうちの一人、アルゼンチンの元兵士、今はトライアスロンのチャンピオンが一時期はコカ中毒にはまっていたことを告白しました。彼は言いました。「憎しみがないと引き金は引けなかった、そしてそれはその後もなかなか解除できなかった」と。

若者を人殺しにしたくない!

それぞれに思いの違い、立場の違いはあれ、それは6人が共有している感情でした。そして舞台の終幕で彼らはロックを演奏しながらシャウトしました。「戦場に行ったことがあるか!人が燃えるのを見たことがあるか!バラバラの死体を見たことがあるか!」



観ていてただただ涙が流れました。彼らがとても可哀想でした。国家による命令、人々の熱狂の中で送り込まれた戦場で、彼らは心の中に深い傷を負い、苦しみ、もがきつづけてきたのです。

僕が戦争に反対する原点はここにあります。憲法9条を強く支持するものこの点からです。憲法9条はどう読んだって自衛隊など認めていませんが、それよりも僕は「人殺しを作りたくない」からこそ、自衛隊に反対だし、戦争放棄を支持するのです。

僕は若者たちに、僕を守るために人間の良心を摩耗させる訓練なんか受けて欲しくない。戦場に行って人を殺し、えんえんと苦しみ続ける人生など送って欲しくない。
明日の講演は大学の1年生もたくさん来るとのことで、このことを若者たちに訴えたいと思います。
「君たちは何があっても戦場に行ってはいけない!人殺しになってはいけない!なぜなら一番傷つくのは君たちだからだ!」・・・大人としての責任も込めて明日はそう語りかけようと思います。

終わり

*****

連載1600回越えに際してカンパを求めています。振込先を提示しておきます。よろしくお願いします!

振込先 ゆうちょ銀行 なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151
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店名 四四八(ヨンヨンハチ) 店番448 預金種目 普通預金 口座番号 2266615

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#戦争反対 #憲法9条 #フルメタルジャケット #アメリカ海兵隊 #記憶の地雷原 #京都国際舞台芸術祭

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明日に向けて(1611)長く悲しい戦争のつらなりの末に憲法9条は生まれ育まれてきた!(10月30日火曜に同志社大学でお話します)

2018年10月29日 09時00分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20181029 09:00)

● 同志社で憲法9条についてお話します

10月30日(火)の午後1時10分から2時40分まで、同志社大学の授業をベースとした公開講座でお話することになりました。
同志社大学社会福祉学会「ピース・プロジェクト」が主催です。タイトルは「~明日に向けて~ いまそこにある危険とどう向き合うか 憲法9条を考える」です。

● 江戸時代、日本は穏やかで豊かな文化を形成していた

まずお話したいのは江戸時代の日本は内戦にあけくれたヨーロッパ諸国に比してずっと穏やかな発展を続け、充実した文化を実現していたことです。
例えばスウェーデン人医学者・植物学者で1776年に1年ほど日本に滞在したツンベリーはその日記に以下のように当時の日本のことを書いています。
「注目すべきことに、この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった。
まったく嘆かわしいことに、もっと教養があって洗練されているはずの民族に、そうした行為がよく見られる。学校では子供たち全員が、非常に高い声で一緒に本を読む。・・・」

識字率も大変高く、庶民が書物を楽しんでいる当時の世界では稀有な国であったし、さまざまな工芸も発達していました。
すべて他の諸国が戦争にまわしていたエネルギーが、それ以外のこと、諸芸能などに向かい、開花していたためです。
ところが日本は幕末のアメリカとの出会いから一気に変貌していきました。一番大きかったのは西洋の暴力に触れて加速度的にそれを取り込んでいってしまったことにあると思います。

● テロリズムの応酬と内戦の中で明治政府は生まれた

幕末の動乱はアメリカの蒸気船が訪れ、開国を迫られたショックからはじまり、京都などを舞台に討幕派と佐幕派が互いにテロを応酬させました。
討幕派の中心である薩摩も長州も「人斬り〇〇」と呼ばれた暗殺者を抱えていたし、対する幕府も新選組などのテロリスト集団を使い、互いを殺し合いました。
維新の過程では薩長と旧幕府側との間に戊辰戦争が闘われ、さらに新政府軍となった薩長は会津が恭順の意志を示したのに攻め込み、会津に同情した東北諸藩を相手取った戦闘を行いました。東北ではこのときの戦争を「南北戦争」と呼んでいます。
その後西郷隆盛率いる旧薩摩藩士など「士族」が反乱をおこしたことに討伐軍が差し向けられ西南戦争が闘われました。明治10年のことでした。

● 植民地を拡大し西欧列強に伍していった

日本は1889年に大日本国憲法を定めるとさらに軍事大国化の道を歩んで1894年に清国との戦争を開始しました(日清戦争)
この結果として台湾島の領有権を主張するようになり1895年に同島に成立していた台湾民主国を制圧して植民地化してしまいました。
日本はイギリスと日英同盟を結びつつ1904年にロシアと開戦。203高地を2万4千人の死者を出して奪うなど壮絶な戦闘を行いました。

その後、ポーツマス条約でロシアと講和して朝鮮・満州への進出をロシアに認めさせ1905年に韓国を保護国化、さらに1910年に「日韓併合」によって植民地化してしまいました。
一方で1906年に南満州鉄道会社を設立するなど満州への支配を強めていきました。
そして1914年からはじまった第一次世界大戦にも参戦し、その末に起こったロシア革命への干渉戦争であるシベリア出兵を1918年に行いました。

● 血塗られた歴史へとのめり込んだ日本

以降、日本は坂道を転がり落ちるように戦争を続けました。とくに中国大陸に深く深く進攻し、1931年から各地で中国の人々と激突。やがて1937年の盧溝橋事件から日中間の全面戦争にのめり込みました。
その年の11月には国民党政府の首都であった南京に殺到し、30万人を虐殺する南京事件を起こしました。
このとき隊内で虐待につぐ虐待を受けていた多くの日本軍兵士が暴徒化し、略奪やレイプを繰り返しました。このため南京進攻は「レイプ オブ ナンジン」とも呼ばれます。

さらに重慶に逃げ延びた国民党政府に圧力をかけるため、世界で初めての爆撃機を使った都市空襲を始めました。
他方で南京事件で多くの兵士がレイプを行った際に性病にかかってしまったことから、兵士の「性の管理」をはじめ、「慰安所」という性奴隷施設を立ち上げました。集められたのは処女の女性たち・・・女の子たちでした。

一方、これに先立って国内では1923年の東京大震災の際に、朝鮮人の大虐殺事件を引き起こし、かつ1930年には台湾で日本支配の苦しみに対して起ちあがったセーダッカの人々による霧社蜂起に対して大規模な鎮圧戦を行いました。
このように日本はどんどん手を血で汚しながらさらに戦争へ戦争へと突き進み、やがて1941年末からの太平洋戦争に突入しました。
その果てにあったことはみなさん、よくご存じだと思います。主要都市を空襲され、沖縄に地上戦をしかけられ、さらに広島・長崎に原爆を落とされました。

● 憲法9条につまっているのは悲しみを通した平和を守る決意だ

日本国憲法はそれらの末に成立したものです。憲法9条もここから生まれ、長い戦争のあと、苦しみと悲しみを経てきた当時の日本の多くの人々の心の中に浸透し、定着していったのでした。
今回はこの過程を再現しつつ、憲法が公布されたときの時代的雰囲気にも触れたいと思います。

続く

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