守田です(20181028 23:00)
哲学に関する続きを書きます。前回、社会変革と哲学の考察において哲学者廣松渉さんが遺してくださった考察を道しるべとしたいと書きましたが、実は僕は当初、廣松渉さんの考察に批判的でした。
● 最初は廣松哲学は受け入れがたかった!
初期マルクスを愛読し「人間は美しい。それが資本主義社会によって疎外されている。だから資本主義という害悪を取り除いて美しい未来社会を創造するのだ」と僕は考えていたので、廣松さんの考察は当初、あまりに受け入れがたかったのです。
「絶対に廣松渉を論破する!」・・・そう考えて僕は次々と廣松さんの書物を読みだしました。難解な書も多いのですが必死にくらいついた。しかしくらいついて読み進めば進むほど批判できなくなっていきました。率直に言ってどんどん説得されてしまった。
そう。人間を美しいと言ったって、現に人殺しが続いており、収奪や搾取が続いている。それを「本当の姿ではない」と言っても実はただ認識を変えていることに過ぎないのです。
僕は悶絶しました。「人間は絶対に美しい存在なんだ」という思いを捨てたくなかった。
そんなとき、ちょうど電気製品の基盤を作る「超高速ドリル」を売る会社の営業マンになって幾つもの工場を周っているときでしたが、ある工場の正門のすぐそばのバスを待つ停留所で廣松さんの本を開いて、忘れられない一文に出あいました。
廣松さんはそこで「マルクスは美しい人間論を越えるまで2年間沈黙している。どんなに苦しい過程を経たのだろう」と書いていた。「ああ、この人はこの苦しみを感受してたんだ」と胸を打たれました。
それをきっかけに僕は廣松哲学を受け入れようと思い出し、僕の中の「美しい人間像」を越えていきました。
人間を信じたいという思いを持ち続けながらも、そのように信じることよりも人間の中のよきものを開花させることにこそフォーカスしよう。そのために現実に肉薄しようと考えを発展させたのでした。
僕はそれを「ヘーゲル左派」とくくられたマルクスの友でもあった哲学者たちが共有していた心情を、マルクスが自己批判的に越えていく階梯にダブらせました。
● 廣松さんに内的葛藤を伝えたけれども・・・
実は後年、このことを廣松さんに直接、お伝えする機会に恵まれました。ある企画で廣松さんに講演を依頼し、僕がドライバーとしてお迎えとお送りをしたのです。
東京の京王線の初台という駅のそばで企画を行って新宿駅までお送りしたのですが、その車中で僕は廣松さんにこの過程のことを話しました。最後に廣松さんが書かれていることに胸を打たれ、最終的に発想を転換させたことも。
ところが廣松さん、車が大変、嫌いな方で、ひょっとして自分が新宿駅ではなくてもっと遠くまで送られてしまうのかとそわそわどきどきしていたのでした。だから当然にも僕の言葉なんか耳に入っていかない。
僕が話していても「えっとここは新宿駅のそばの〇〇の辺ですね。もうすぐ南口ですね。そこまででいいですからね」と繰り返す。
僕は「ということで廣松さんの書を読んでとにかく論破したいと思ったのですが、その後に・・・」とか言うのだけれど、「あ、あれは小田急線ですね。あ、国鉄もみえますね。新宿駅までにしてくださいね」などと新宿の町のことしか目に入ってない。
かくして南口につくと廣松さんはとても安堵して車から去っていかれました。「あああ。思い切って告白したのになあ」とちょっと淋しく思ったことを思い出します。
● 疎外論から物象化論へ
それはともあれ廣松さんが提起されたのは「疎外論から物象化論へ」というスローガンでした。廣松さんはマルクス自身が26歳から28歳になる過程で「疎外革命論」を捨てて前に進んだ階梯にフォーカスしてこう言ったのでした。
かくしてマルクスが編み出したのが『ドイツ・イデオロギー』だとされるのですが、それまでフォイエルバッハの言葉を借りて「人間は類的存在である」と語っていたマルクスはこの書では「人間とは諸関係の総体である」と全く違うことを言い出すのです。
マルクスが言わんとしたのは「人間はその時々の社会がどんな生産構造をもち、どんな社会を形成しているかに大きく規定されている。つねにさまざまにとり結んでいる関係性の結節点としてある」ということでした。
マルクスはそこから「諸関係の総体」の変革を唱え始めます。そのことで人間そのものを変えようとするわけです。社会が変わり人間が変わる。しかしまた人間が変わることで社会も変わる。マルクスはそう思考を発展させていきます。
「疎外論から物象化論へ」と説いた廣松さんは、初期マルクスを越えたときにこそ、マルクスはマルクス主義を誕生させたのだと語りました。
そこに流れていた考察は「いくら人間が美しいと言っても現に醜いではないか。人間は社会のあり方によって美しくも醜くもなるのだ。まさに社会的諸関係の総体なのだ。だからその社会的諸関係を変えることこそ肝要なのだ」というものでした。
廣松さんはそれで、「では社会的諸関係」とはなんなのかの分析に進まれた。そこでの廣松さんのユニークさはマルクスがそうしたように経済社会の分析に向かうのではなく、あくまでも哲学フィールドでの考察を深めたことでした。
やがて近代社会の中での人々の思考の枠組みをなしているのは何かということを廣松さんは的確につかまえ、それを誰にもみえる形で提示しようとした。
そのとき廣松さんの思考はマルクス主義を大きく拡張していくことにもつながりました。かくしてかれは「廣松哲学」を編み上げたのですが、次回からはこれを手引きに近代社会が私たちの思考をどんな風に規定しているのかを見ていきたいと思います。
続く
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