明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1869)「黒い雨 活かされなかった被爆者調査」(NHKスペシャル)から考える‐3 被ばく被害隠しに対してたくさんの人が起ちあがっている!

2020年08月19日 08時30分00秒 | 明日に向けて(1701~1900)

守田です(20200819 08:30)

「黒い雨 活かされなかった被爆者調査」についての3回目の記事です。

被ばく被害の過小評価をひっくり返す努力が重ねられている

黒い雨に関する調査を握りつぶしたアメリカ。それに追従してきた日本。米日両政府はつねに放射線被曝の影響を小さく見積もり続けてきました。
しかし被爆者や支援者たちは、決して手をこまねいていたわけではありません。放射線被曝によって病になったことを認めさせる「原爆症認定訴訟」が2003年から始められたのでした。
各地でたくさんの方が名乗りを上げ、集団で裁判を起こしましたが、国を相手取った難しい裁判でありながら、連戦連勝を続けました。

2015年に提訴された黒い雨訴訟第一審の画期的な判決も、この原爆症認定訴訟からの流れの中で、実現されたことを私たちは見ておく必要があります。
この一連の動きを取材しつつ、2012年に放映されたこのNHKドキュメントも、黒い雨訴訟原告勝訴に大きく寄与したでしょう。
被ばく被害の実相を明らかにしようとする人々の努力の連なりの中で、黒い雨の問題も含めて、幾つも大きな前進が刻印されてきているのです。


原爆症認定訴訟勝訴。この後、原告側勝訴が20回以上続いた!2006年5月13日 朝日新聞

その点で私たちは、今回の訴訟で控訴がなされたからといって、けして無力感に陥ってはなりません。勝訴の連続が物語っているように、日本政府とアメリカを追い詰めているのは被爆者の側、民衆の側、だから私たちの側なのです。
大事なことは、こんにちこのモメントが、福島原発事故による「新ヒバクシャ」と結びつきだしていることです。この番組の最後にも、そのシーンが盛り込まれています。
米日両政府がもっとも恐れているのがこの点。だから裁判の控訴も行ったわけですが、だとしたら私たちの行く道もはっきりしています。より強く被ばく被害を明らかにし、これまでの過小評価の流れをひっくり返すことです。

これらの点を踏まえて、ぜひ番組を最後までご覧下さい。
文字起こし最終回をお届けします!

*****

「黒い雨 活かされなかった被爆者調査」
2012.8.6NHKスペシャル
http://www.at-douga.com/?p=5774
37分00秒から終わりまで

被爆者が「原爆症認定」を求めて起ちあがった

被爆者は自分たちの調査をもとに作られた、国の認定制度との闘いを強いられることになりました。
2003年から全国にひろがった原爆症の認定を求める裁判。その中で被爆者は、半世紀以上も前の被曝の影響を、自ら証明することを求められたのです。


原爆症認定訴訟を提訴

原告の一人、萬膳ハル子さん(享年68)です。爆心地から2.6キロで被ばく、黒い雨に合いました。訴訟が続いていた2005年、原爆症と認められないまま肝臓がんで亡くなりました。
遺族のもとには戦後の貧しさの中で学校に行けなかった萬膳さんが、国に訴える紙を書くために練習していた文字が残されています。


萬膳さんの遺影を抱いて

「一生懸命に頼みたいからね、こういう字とか、「切実」とか」
自らの苦しみを必死に伝えようとしていた萬膳さん。それに対し、国は、裁判で被曝の確たる証拠を示すよう、迫ったのです。
「黒い雨を浴びたなどと供述しているが、それに放射性物質が含まれていた証拠はなく、肝臓がんの発症に影響を与えるとの知見も存在しない。」
「脱毛などの症状も、客観的証拠は存在しない上、考えられる被曝線量からすれば、放射線による急性症状とは考えがたい」(国が提出した裁判資料より)

萬膳さんが亡くなった翌年、黒い雨の影響を認める判決が出されました。
しかしそれから6年が経った今も、国は認定制度を抜本的に見直そうとはせず、黒い雨の影響についても、認めようとしていません。

30年以上、被爆者の医療にかかわり、医師として原告団を率いてきた齋藤紀さん(医師)。
詳細な調査もせず、黒い雨の影響をないものとしてきた国こそ、責任を問われるべきだと考えています。

齋藤医師
「初期放射線で説明がつかないから被曝がなかったんだと国は言っているのですけれども、説明のつかない放射線にもとづくと思われる症状が、多数被爆者の中に認められていたわけですね。
その被害がなかったのかどうかは、その調査を突き詰めていくことによって結果として出てくることであって、その調査をつきつめないで被害がなかったというのは科学の常道ではないわけなんですね」


被爆地広島の科学者たちが解明のために起ちあがった

解明されてこなかった、黒い雨が人体におよぼす影響。放影研のデータが公開されないなか、被爆地広島の科学者たちが、独自の研究で明らかにしようと動きはじめています。

原爆放射線医科学研究所の映像

広島大学の大瀧慈教授です。被爆者ががんで死亡するリスクについて研究してきました。
大瀧教授らは、被ばくした場所によって、がんによる死亡のリスクがどのように変わるか調べてきました。すると意外な結果が得られたのです。
初期放射線の量は、距離と共に少なくなるため、死亡のリスクは同心円状に減っていくはずです。しかし結果は、爆心地の西から北西方向でリスクが下がらないいびつな形を示しました。
初期放射線だけでは説明のできないリスクが浮かび上がってきたのです。


リスクは同心円状ではなかった

「まさか、同心円状でないようなリスクの分布があるということは、まさしく想定外だったと思いますけど。はい。」
このリスクは黒い雨によるものではないか。しか大瀧教授らが使ってきた独自の被爆者データだけでは、確認できませんでした。37000人について、どこで被爆したか調べていますが、黒い雨にあったかどうかまでは尋ねていなかったからです。
去年、放影研が黒い雨の分布図を公開してから、大瀧教授らは新たな分析を試みました。被爆者ががんで死亡するリスク全体から、初期放射線の影響を取り除きます。
すると問題のリスクが姿を現しました。それは西から北西にかけて、爆心地よりも高くなっていたのです。これを今回、放影研が公開した黒い雨の分布図とあわせると、雨にあったと答えた人と、重なったのです。


放影研公開の黒い雨分布図とガンのリスク図を重ねると・・・

(大瀧教授)
「やはりその、リスクが高くなっている地域というのは、黒い雨の影響を受けたのであろうということが、強く示唆されているものと考えております。
直接被ばく以外の放射線の影響が、あまりにも軽視されてきたのではないかなということが、今回のわれわれの研究を通じてですね、明らかになってきたのではないかと思っております」。

今年6月、大瀧教授らのグループは、研究成果を学会で発表しました。

研究員の学会における説明
「黒い雨などの放射性降下物が影響しているのではないかと想像されます。」
黒い雨によるリスクをさらに明確にしたい。大瀧教授は放影研が持つ黒い雨のデータを共同で分析したいと考えています。


放射線影響研究所の開き直りを許すな!

放影研はABCCが作成した93,000人の調査記録をもとに、すべての被爆者を追跡し、どのような病気で亡くなったか調べています。
国から特別な許可を得て、毎年全国各地の保健所に、新たに亡くなった方の調査票を送り、死因の情報を入手しているのです。
黒い雨にあったと答えた13,000人について死因の情報を分析すれば、黒い雨の人体への影響を解き明かせるのではないか。大瀧教授は考えています。

大瀧教授
「黒い雨の影響を研究する上で、世界に類をみない貴重なデータだと思います。可能な限り、広い観方ができるような状況で解析をするということが、データから真実をひきだす必要条件だと思います。
そうするとデータはおのずから語ってくれるようになると思います。真実をですね」。

こうした指摘を放影研はどう受け止めるのか。共同研究については、提案の内容を見て判断したいとしています。
しかし黒い雨による被曝線量が分からない限り、リスクを解明することはできず、データの活用も難しいとしています。

放射線影響研究所 大久保理事長
「可能性があるというところまでは、ああ、そうですかということで、もちろんそうかもしれない。そうかもしれないだけで、それ以上のことはいえませんのでね。
ゆがむにはゆがむだけの死亡率の、リスクの違いがあるわけですから、その違いを証明できるだけの被曝線量を請求書でもなんでもだしていただかないとですね、放影研として一緒に、同じ土俵で議論することはできないということです。」


放影研が認める放射線被曝被害の範囲=2キロ以内


黒い雨は2キロを大きく越えて激しく降り被害をもたらした


福島原発事故による新ヒバクシャとともに

今、私たちは新たな被曝の不安に直面しています。去年おきた原発事故です。
子どものころ、母親の背中で黒い雨を浴びた佐久間邦彦さん。福島などから広島に避難している母親たちに、自らの体験を語り始めています。
「母が私を連れて裏山に逃げたのですが、そのときに黒い雨にあったのですね。」(母親たちへの講演で)
佐久間さんが繰り返し訴えているのは、事故のときにどこにいて、どう避難したのか、自分と子どもの記録を残すことです。
被曝の確かなデータがなければ、子どもを守ることはできない。母親が答えてくれた自らの黒い雨の記録を見せながら、語り続けます。


佐久間さんのお母さんが記入した調査票

佐久間邦彦さん
「調査したけれども、その後、何もやっていない。やはり広島の経験を、本当に調査をやってなかったことは残念なことなのですが、怠慢だと思いますが、だけどやはり福島で生かすためには、どんどん進めていかなければいけないと思いますね。
過去を振り返りながらね。そうすることが子どもたちを守ることにつながると思います。」


福島原発事故避難者に語りかける佐久間さん

広島・長崎で被ばくし、ガンなどの病気で苦しんできた被爆者たち。長年にわたって集められてきた膨大なデータは、放射線によって傷ついた一人ひとりの体を調べることによって得られたものです。
半世紀の時を経て明らかになった命の記録。見えない放射線の脅威に正面から向き合えるかが、今、問われています。

終わり

語り 伊東敏恵

声の出演 坂口芳貞 関輝雄

取材協力 高橋博子 冨田哲治
広島原爆被害者団体協議会
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

資料提供 アメリカ国立公文書館
全米科学アカデミー 広島平和記念資料館
気象庁 広島大学原爆放射線医科学研究所
林重男 林恒子

取材 田尻大湖 山田裕規 松本成至
撮影 佐々倉大
音声 土肥直隆
映像技術 猪股義行
照明 西野誠史
CG製作 妻鳥奨
音響効果 小野さおり
編集 川神侑二
リサーチャー ウインチ啓子
コーディネーター 柳原緑
ディレクター 松木秀文 石濱陵
製作統括 井上恭介 藤原和昭

#黒い雨 #内部被曝 #原爆症認定訴訟 #放射線影響研究所 #新ヒバクシャ

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