最近、食玩のエフトイズに大戦物が出ていなかったですけど、二式単戦(鍾馗)とP-40の組合せで発売されました。いつもの手の勘による重さ計量法では殆ど差がないので、P-40より胴体が太いから重い方かな?と思いましたが、翼の大きさはP40の方が大きいしなぁ? ええいヤマ勘で選んだら鍾馗が出ました。無塗装が欲しかったのですが、迷彩塗装の明野飛行学校の機体です。製作は中島飛行機でキ43一式戦闘機「隼」と同じ小山技師長のもとに設計されたキ44は軽戦の「隼」とはうって変わって高翼面荷重のインターセプター(迎撃戦闘機)であった。胴体に翼を合わせてみると如何に翼が小さいか分かりますね。重量増加もあって離着陸が難しく、九七戦(キ27)の軽快な運動性に慣れた当時の陸軍パイロットには不評でした。この辺りは海軍の「雷電」の事情と似ています。二式戦闘機としては双発の「屠龍」も存在したので、単座の鍾馗は二式単戦と区別して呼ばれます。
P-40とのセットの意味は不明ですが、鍾馗の初撃墜は正式採用前の増加試作機9機で編成された独立飛行第四七中隊の黒江保彦大尉がバッファローを撃墜して初陣を飾った。マレー半島スマトラ島での相手はハリケーンかスピットファイヤーかな? 明野飛行学校は陸軍戦闘機のメッカで、大戦末期、米軍機の本土襲来に備えて教官や助教などの練度の高いパイロットにより教導飛行隊を編成した。当時、B29の梯団は相模湾から侵入して富士山を右に変針、中央線の線路に沿って帝都に侵入したが、松戸、成増にあった鍾馗装備の部隊が迎撃した。厳冬期の大月付近上空の高高度で待ち伏せ攻撃を試みたが、排気タービン未装備のため高速のB29を捕捉することは困難で、東京湾へ抜けるまでに一撃か二撃の攻撃が精一杯であった。
では、本題です。別の中古カメラ店様からのご依頼。PEN-FT #1712XXと中前期頃の個体ですが、あまり使われていないようで外観はきれいです。ユニットとしては変更前が使われていて、少し信頼性が落ち気味かも知れません。一番の問題は露出計が動かないことです。
ロータリーシャッター幕の左上に円周方向でキズか入っていますね。何が接触したのでしょう?
露出計不動の原因は基板のパターン腐食が原因でしたので電池室は使うとしてリード線は作り替えておきます。しかし、cdsの感度がどの程度あるか・・
シャッター幕の傷ですが、ダイカスト内面には特に問題はありません。幕が多少歪んでいますので接触をしているのです。
17万台ですと初期の個体と殆ど同じ仕様なんですね。初期が露出計の基板の抵抗が可変式だったぐらいの差。スローガバナーも旧タイプですので、低速側への変速はダイヤルをゆっくり回すこと。
巻き戻し軸の先端のクロムメッキが腐食しています。長期に使われなかった証拠。
ハーフミラーも腐食しやすいタイプです。ご指示で交換します。20万台を超える付近から怒涛のような各部ユニットの改良が施されていきます。
基板のパターンの修復とリード線の交換で露出計は作動を始めました。感度はまぁまぁ有るかなぁ? という感じ。
セルフタイマーユニットも改良前の「ジッジッジッ」ってやつ。ただし、駒数カウンター板を留める方式がナットからネジ(凹➡T)に変わっています。
リターンミラーニットも変更前。電池蓋もピッチの細かな変更前のタイプなので正確に締め込まないと斜めに入ってねじ山を壊します。
付属の25mmは多少の曇りがあるので清掃をします。
巻き戻しノブもPEN-Fと同じローレットタイプです。製造は1967年9月と古いですが、稀にこの個体のように仕舞い込まれていたような美品が出て来るものです。