ぶらり町めぐり&御朱印

町を歩くのが好きだ。特に御朱印集めに熱中した。年齢を重ね、段々と体力が落ちてきたが、もう少し頑張りたい。

御朱印巡り 丹生川上神社(中社)

2019年06月26日 11時17分37秒 | 旅行

丹生川上(にうかわかみ)神社三社巡り、まず中社を参拝する。中社は東吉野に鎮座する。

中社というが位置関係を示すものではない。中社が一番東側にある。

もともと所在が不明だった丹生川上神社を明治期に確定するとき、まず現在の上社を丹生川上神社とした。ところが、現在の下社から抗議があって、現在の下社を本社、上社と奥宮とした。”本社ー奥宮”の二社だった。

大正期に入り、精密な研究の結果、従来、蟻通(ありとおし)神社と呼ばれた現在の中社が丹生川上神社ということになった。

その結果、従来の本社は下社、奥宮は上社となった。

普通、丹生川上神社中社と呼ばれる神社は、自分の神社を中社とは呼ばない。単に丹生川上神社と呼んでいる。宗教法人の登録名も「丹生川上神社」である。

茅の輪の準備ができていたが、まだ通れないようになっていた。

拝殿。

本殿は丘の中腹にあるが、樹木に遮られて、よく見えなかった。

 境内の状景。

見た目、とりたててここが水利の神様を祀るにふさわしいとは思えなかった。

摂社の丹生神社。丹生とは水銀関連の用語で、弘法大師と深い縁がある。高野山の登り口に丹生神社がある。

神社の手前を流れているのは高見川で、昔は丹生川と呼ばれたという。

神社の先で四郷川が合流している。

そして、日裏川が東の瀧として流れ落ちている。

あえて言えば、この瀧が瀧神のように思えたのだろう。今はパワースポットとなった。

<御朱印> 先に記したように普通「中社」と呼ばれて上社・下社と区別しているが、神社自身は単に「丹生川上神社」としている。

 

朱印帖に御朱印をもらったが、旅行会社の案内では、個人で朱印帖に朱印をもらうのはやめてもらいたいと注意書きがあった。

それがたまたま添乗員が寺社参りツアーのベテランだったので、ツアー客の要望に応えた。

奉職する人が少ない神社だと、団体ツアーの御朱印は対応できない。

次に丹生川上神社へ行くツアーで、朱印帖に御朱印をもらえるかどうかは添乗員次第である。


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御朱印巡り 丹生川上神社三社

2019年06月26日 08時46分58秒 | 旅行

丹生川上(にうかわかみ)神社、上社、中社、下社の三社をまわった。三社巡りの専用の御朱印紙がある。

丹生川上神社は、奈良県は吉野山の奥に鎮座する水の神様である。奈良時代から、干魃の時、長雨の時と、その都度朝廷から勅使が派遣された由緒ある神社である。明神大社に名を連ねる。

有名な神社であるが、ともかく鎮座地が不便で、個人では行きにくい神社である。

個人旅行の時は、行きやすい神社を選ぶ。有名だが、行きにくい神社は避ける。

神社は山岳信仰と関連しているので、山の頂上や深山幽谷に鎮座するものも多い。行くのを諦めてしまう神社も多い。

丹生川上神社もその一つだったが、旅行会社がツアーを企画した。多分、アンケートで要望が多かったのだろう。

ツアーの企画が発表されて、翌日に申し込んだが、その時にはすでに催行が決定していた。で、今回のツアーは総勢40名という、この種の企画には珍しい大所帯の旅となった。普通は、20名に届かない。

行くのが難しくて諦めていた人が多かったのだろう。その後のパンフレットを見ると、追加設定もされて、8月にまた催行される。

丹生川上神社は上社・中社・下社と三社あるが、もともとは一つの神社だった。応仁の乱、及び戦国時代になると、水の神様どころの話でなくなり、いつしか忘れられてしまった。

明治時代に入り、明神大社ということで、丹生川上神社を確定しなければならなくなり、調査があった。

最初に、丹生川上神社とされたのは、現在の丹生川上神社上社である。しかし、丹生川上神社下社から抗議があった。下社は丹生川に川べりにあったからである。

そこで丹生川上神社下社を本社、上社を奥宮とした。

ところが、大正時代に入り、当時、蟻通神社と呼ばれた神社の宮司が詳細な研究を重ね、蟻通神社が古代の丹生川上神社であると主張した。

しかし、結論は出ず、上社、中社、下社の三社が丹生川上神社ということになり、現在に至っている。

 


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