(五)
“おいおい。
どんなおばさんかと思っていたら、中々のものじゃないか。
俺の直感が当たったな。
こんな美人を帰すなんて、とんでもない。”
武蔵の悪い癖が出た。
通された二階の社長室。
グルリと壁をみまわすが、実に殺風景だ。
部屋の広さに似合わぬ、小ぶりの机が正面にある。
そして書類棚が一つに、帽子掛けがあるだけだ。
壁にしても、絵画の一つも掛かっていない。
銀行名の入った日めくりの暦があるだけだ。
「味気ない部屋ねえ。」
千夜子がポツリと洩らした言葉。
「何もない部屋でしょう?
言われるんですよ、絵ぐらいかざったらどうだ、と。
ま、好みから言うと、裸婦あたりですかな。
ドガの踊り子も、良いかとは…」
「らふですか? ドガの踊り子と言いますと……。
あぁ、ベッドに横たわっている……?
まあ、ご趣味がご高尚ですこと。」
突然に声をかけられても動ずることなく、千夜子は受け答えする。
「いゃあ、まったくもって、面目ないです。
こちらがお伺いしなくちゃいかんのに、ご足労いただきまして。
どうですか、このあと何かご予定はおありですか?
よろしかったら、うまい鮨でもつまみせんか?」
“俺としちゃ、あんたをつまみたい心境だがね。
小夜子には若い者を担当させるなんて言ったけれども、とんでもない、俺が担当だ。
さあ、食い付いてくれよ。
ここは変に勿体ぶらずに、素直にだ。”
(六)
「まぁ、お鮨ですか?
嬉しいですわ、大好物なんです。
もう、予定がありましてもお受けしますわ。
でも、お宜しいんですか?
奥さま、お一人じゃございませんか?」
「いや、大丈夫です。
付き添いを頼んでおります。
小夜子が信頼を寄せてる女が居ましてね。
小夜子を見初めた所の、梅子という女なんですが。」
“いかん、いかん。
どうして梅子のことまで言うんだ、俺は。
どうもこの女には、隠し事をしたくないと思ってしまう。
素の俺を見せたくなってしまう。”
「それでは、お供させていただきます。」
“甘ちゃんなのかしら?
聞きもしないことまで、ベラベラと。
お坊ちゃん? 二代目なのかしらねえ。”
組み易しとほくそ笑む千夜子だ。
柔らかい物腰の中にも、凛とした風情がある。
銀座のクラブママに通じるものを漂わせている。
「それでは、出かけましょうか。
お帰りが遅くなると、ご主人に叱られそうだ。」
「あたくし、戦争未亡人ですの。
母一人娘一人ですから、お気遣いなく。」
「ご主人は、どちらで?」
「はい、ニューギニアだと聞いております。」
「そうですか、南方は大変でしたなぁ。」
「社長さまも、南方の方でいらっしゃいますか?」
「いや、内地で終戦を迎えました。」
“やっぱり、お坊ちゃんね。
父親の伝で、内地だったのね。”
抑えがたい憤怒の思いに囚われたが、ぐっと押さえ込んだ。
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