己が張り子の虎だとは分かっていた。
けれどもきのうまでの卑屈な毎日から、きょうは解放されたのだ。
白と黒というモノトーンの世界の住人が、極色彩のカラフルな世界に一瞬にして飛び込んだのだ。
せまい路地を竹馬にのってよろよろと歩いていたものが、いきなり遊園地のメリーゴーランドに乗ったのだ。
頭がクラクラしてくるのを感じても、体中の水分が沸騰しているような感覚におそわれても、このままこの場にたおれこんだとしても、勝子はこの世界から離れられない。
地面に爪をくいこませてでもとどまろうとするに違いなかった。
“ふふ、驚いてことばもないようね。当たり前よね、それは。
あたしだって、初めてここに足を踏み入れたときは、ほんとに胸がおしつぶされそうになったもの。
まるで別天地ですものね。わかるわよ、勝子さん”
「あの、あの、小夜子さん。
あたし、あたし、どうすればいいの? なんだか、熱が出てきたみたい。
足元が、なんだかぐらついて。立ってられないわ」
へなへなとその場にへたり込んだ勝子。しかし、目だけは強い光を放ちつづけている。
そこかしこにあるマネキン人形に注がれている。
大きなフリルが胸元についた白のブラウスに、黄色が柔らかい色合いのスカート。
それを着ている自分を思い浮かべる勝子は、そのとなりににこやかに送り出してくれた医師を並べていた。
「いかがなさいました? あら、小夜子奥さま。気づきませんで、大変失礼いたしました。
ご連絡いただければ、お迎えにあがりましたのに。それにしても本日は、お早いですね」
勝子に駆けよった森田が、手で勝子にふれながらも顔は小夜子に向いている。
出会った当初の慇懃さは消え、いまではフレンドリーに接してくる森田だった。
普段ならばそれがうれしい小夜子なのだが、きょうは今は“連れがいるのよ、感じとりなさいよ”と不満に感じた。
「えゝ、ちょっとね。きょうは、この方、勝子さんをご案内してきたの。
わたしのお姉さんにね、なっていただいたのよ。森田さん、よろしくね」。冷たく言い放った。
「まあ、まあ、左様でございますか。あたくし、森田と申します。で、大丈夫でございますか? 勝子さま」
さまなどと称されたことのない勝子、どう応じればいいのか。ただただ戸惑うだけだ。
「え、ええ。大したことでは……、ちょっと目まいが……」
「左様でございますか。何でしたら、しばらくの間、あちらの椅子でお休みください」
「いえ、もう大丈夫です」。小夜子の笑いをかみころす表情に気づいた勝子、うらめしげに軽くにらんだ。
「勝子さん、もう大丈夫よね。ありがとう、森田さん。もういいわ、ひと通り見てまわるから。
あとで、色々とお願いするわ」と、森田を引き下がらせた。
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