昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第三部~(四百四十四)

2024-10-08 08:00:56 | 物語り

「賛成!」。社員代表である4人が、同時に声をあげた。
「無茶だ! ど素人のおんなに、務まるはずがない!」
 当然のごとくに、佐多が猛反対した。しかし社内外でまことしやかに流れているうわさ話、陰謀説なるものがささやかれている。
「どうも三友銀行の乗っ取りのようだ」。
「それに加藤専務がのっかったということか」。
「とすれば、あの婚儀もなっとくがいく」。
 流布してしまった話を打ち消すのは至難の業にちかい。

弁解なりをくりかえしても、かえって信憑性を与えることにもなりかねない。
もっとも簡単に打ち消すには、流布された話とはちがう決定がなされることだ。
小夜子を社長におしたてて、社員全員でささえる。
幸いなことに、小夜子のお披露目はおわっている。
評判も上々だ。

 むろん社長となれば経営手腕ということになるが、そこはしっかりと裏方でささえていけばいい。
神輿といえば聞こえがわるいが、それでも乗っ取りのラベルよりはましだ。
武蔵イズムは、ほとんどの社員にすりこまれている。
踏襲すれば、とりあえずは問題なしとかんがえられた。

銀行側からすれば、佐多の目からみると、まだまだ伸びしろのある会社だ。
ワンマン経営からの脱却という、願ってもない機会なのだ。
アメリカ式の資本主義に席巻されるであろうこれから先をかんがえたとき、はやく近代経営に移行することが組織経営に切り替えることが重要なのだ。

もう2、3年もすれば、佐多も銀行を去ることになる。
役員として本店にうつることも考えられなくはないが、それよりもムクムクと事業欲のようなものが湧いてきている。
病床にあった武蔵から五平の嫁に万里江をと請われたとき、次期社長としての五平を値踏みした。

風采の上がらない風貌、これは大事な要素だと佐多はみていた。
押しの利く者と米つきバッタのように平身低頭する者、どう考えても、五平には風格がない。
それは武蔵にもわかっているように感じた。
単なる小売商店主ならば、100点まではいかずとも、80点は付けられる五平にみえている。

ならば己ではどうか? ついぞ考えたことのないことだった。
中小の企業あいてならば、佐多の方が優位だ。
それが証拠に、中小の企業に出向くことなど、ほぼない。
来店するか、どこぞの料亭での接待を受ける立場だ。
それが、病床にあるとはいえ、佐多自らが武蔵の元へと出向いた。

 そして武蔵と対面して、差しでのはなしにはいったとき、なぜか対抗心がわいてきた。
それまで一段低くみていた経営者たちだったが、弱っている武蔵なのだが旺盛な事業欲をもつ男に感じた。
〝まだ○ぬわけにはいかない〟。そんな決意があふれでているように感じたのだ。
〝もっと強靱な会社にしなければ〟。そんな武蔵の声が、佐多のあたまにひびいていた。



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