いよいよ、九洲への「ルーツ探し」旅行記です。
もう何年前になるでしょうか、「帰ってみたいな……」と思い始めたのは。
きっかけは兄のひと言でした。
「まるで違う街みたいだったぞ」
仕事で九州に入った折の、ついでの立ち寄りだったようです。
どうせなら、住んだ町すべてを回ってみよう、そう思い立って、記憶の限りの場所を書き出しました。
戸籍謄本を調べれば住所が分かるんじゃないか? そう思い、支所に行ってみました。
「あなたの戸籍では、岐阜市がスタートになりますね。ご結婚時に、戸籍が新しく作られますから」
えっ! そ、そんな……。それじゃ、ぼくの一生はどうなる……。
「お父さんの生前時ならすべて記録として残っていたのですが、亡くなられてはねえ。今となっては、ちょっともう……」
悔やんでも悔やみきれません。
地図で当たりを付けて探したとしても、六十年以上も前のことです。
大きく街並みは変わっているでしょうし、断片的な地区の記憶しかありません。
例えば、銭湯からの帰り道にお寺の境内を横切ったという記憶があります。
お寺の塀を左手に見て、石畳の道を兄と二人で歩いた。
空には月が浮かんでいて、どこからか犬の遠吠えが聞こえてきた。
どうしてここまで詳しく覚えているかといいますと、このときの情景を詩として書き上げたのです。
小学五年か六年の折に「風呂の帰り道」というタイトルで、月刊の計画学習という教材的な雑誌が募集した文芸作品に応募して、佳作だったかをいただきました。シャープペンシルが副賞で届いた覚えがあります。
なので、はっきりと情景が浮かぶのです。
ですが、お寺の名前は覚えていませんし、その一角だけの記憶なのです。
ついでに自慢をさせてもらえれば、中学二年だったかな、同じくその雑誌にて、今度は作文で又賞をいただきました。
深く暗い井戸の底から、母親の声によって生還するといった内容です。
さあそれでは、わたしの「ルーツ探しの旅」へ出発です。
自宅アパート前の公園です。
公園です。
室内から、降雪状態を。
出発前の、ローンレンジャー号(懐かしい呼称ですね)です。
そして、わたしです。
もう何年前になるでしょうか、「帰ってみたいな……」と思い始めたのは。
きっかけは兄のひと言でした。
「まるで違う街みたいだったぞ」
仕事で九州に入った折の、ついでの立ち寄りだったようです。
どうせなら、住んだ町すべてを回ってみよう、そう思い立って、記憶の限りの場所を書き出しました。
戸籍謄本を調べれば住所が分かるんじゃないか? そう思い、支所に行ってみました。
「あなたの戸籍では、岐阜市がスタートになりますね。ご結婚時に、戸籍が新しく作られますから」
えっ! そ、そんな……。それじゃ、ぼくの一生はどうなる……。
「お父さんの生前時ならすべて記録として残っていたのですが、亡くなられてはねえ。今となっては、ちょっともう……」
悔やんでも悔やみきれません。
地図で当たりを付けて探したとしても、六十年以上も前のことです。
大きく街並みは変わっているでしょうし、断片的な地区の記憶しかありません。
例えば、銭湯からの帰り道にお寺の境内を横切ったという記憶があります。
お寺の塀を左手に見て、石畳の道を兄と二人で歩いた。
空には月が浮かんでいて、どこからか犬の遠吠えが聞こえてきた。
どうしてここまで詳しく覚えているかといいますと、このときの情景を詩として書き上げたのです。
小学五年か六年の折に「風呂の帰り道」というタイトルで、月刊の計画学習という教材的な雑誌が募集した文芸作品に応募して、佳作だったかをいただきました。シャープペンシルが副賞で届いた覚えがあります。
なので、はっきりと情景が浮かぶのです。
ですが、お寺の名前は覚えていませんし、その一角だけの記憶なのです。
ついでに自慢をさせてもらえれば、中学二年だったかな、同じくその雑誌にて、今度は作文で又賞をいただきました。
深く暗い井戸の底から、母親の声によって生還するといった内容です。
さあそれでは、わたしの「ルーツ探しの旅」へ出発です。
自宅アパート前の公園です。
公園です。
室内から、降雪状態を。
出発前の、ローンレンジャー号(懐かしい呼称ですね)です。
そして、わたしです。
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