沙織とは、あの旅行を境として疎遠になっていた。
いまはただ、自宅とバイト先を往復するだけの正男だった。
夕方に出かけて深夜の二時ごろに帰り着くという日々をつづけている。
母親の「身体をこわさないでね」という心配顔も、いまはうっとおしく思えたりする。
襲いかかる淋しさが、母親に対する暴言となったりした。
「お父さんがね、就職先を見つけてくれたんだけど、面接に行って…」
「誰がそんなこと、頼んだ! 親のコネなんてみっともない。
そのうち、ぼくの実力を認めてくれる会社が見つかるさ。ほっといてくれ!」
しかし翌日には「母さん。ぼくって、チャラ男なの? バイト先で店長に言われたんだけど…」と泣きつく。
そして決まって「いまはチャラ男でも良いのよ。
後のちそれがきっと財産になるから」と慰められた。
正男のざらついた気持ちも、そんなひと言で落ち着いてくる。
そして自信が湧いてくるのだ。
突然に、栄子のおどる姿が目に浮かんだ。
五人のダンサーの一人に過ぎなかった栄子の存在が、右端に立って踊る栄子の存在が、日増しに大きくなっていった。
憂いを含んだ瞳が、深いブルーに打ち沈んだ瞳が正男を捉えたとき、正男を鷲づかみにした。
陶酔感にひたった表情のなか、切なげな瞳が、正男をまさしく虜にした。
その日は週に一度の早出の日だった。
午後三時から九時までのタイムスケジュールになっている。
以前ならば沙織とのデートとなる。
しかしいまは、誘う相手は誰もいない。
慣れてきたはずの正男だったが、今夜に限っては人恋しさに囚われていた。
このまま自宅に帰る気にもならず、さりとて人混みのなかを歩く気にもならない。
通りかかったタクシーに乗り込んでは見たものの、行く宛はない。
「とりあえず出して」言った矢先に、急ブレーキがかかった。
ヘッドレストに頭をぶつけた正男、そのまま車を降りた。
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