昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第二部~ (二百四十五)

2022-06-14 08:00:51 | 物語り

「二人目をな、産めなくなったらしい。そのおかげで命びろいよ。
けども乳が出ないってのは、赤子してみりゃ死活問題だ。
おまんまなんだから、赤子の唯一のな。で仕方なく、もらい乳だ。
ところが間が悪く、ご近所に誰も居ないときてる。
で止むなく、米のとぎ汁ということだ。とぎ汁が乳代わりだったんだぜ」
「それは難儀なことだ。おふくろさん、さぞ辛かったでしょう」
「だろうな。鳥越八幡宮って知ってるか? 山形の新庄市なんだが。
武運長久のご利益があるらしい。お袋がな、お百度参りしたらしい。
兵隊になるんじゃないぞ、何とか育ちますようにってだ」

「しかし今じゃ、この頑丈さだ。どういうことで?」
「盗みに走っちまったよ。とに角腹ぺこだ、手当たり次第だったよ。
近所じゃ顔を知られててまずいってんで、となり町に遠征さ。
んでもって、走った。店先から盗んでは、一目散に走った。
とっ捕まったら、こっぴどく叩かれるからな。
足の遅い奴はいっつもだ。あんまり可哀相なんで、そいつに少し分けてやったよ」

「社長の親分肌は、その頃からですか。しかも、あのご時世なのにだ。
子どもの食い物まで取り上げた親がいた、なんて話がめずらしくもなかったのに」
「いやいや、ガキのやることだ、お目こぼしだったんじゃねえのか。
すぐに追いかけるのをあきらめちまうのは」
「そりゃ、あれですって。店を空っぽになんか出来ませんて。
それこそ、根こそぎ盗まれちまいますよ。
子どもだけじゃなく、大人だって腹を空かせてたんですから」

 縁側に座り込んで半欠けの月を眺めながらの、二人だけの酒盛りがつづいた。
「久しぶりのことだな、五平。こうやって二人でカストリを飲んだよな」
「うーん、何年になりますかね。十、年は経たないか。
店を立ち上げた、あの夜以来じゃないですか。
確か、いつもの十五度じゃなくて、いきなり四十度なんて代物に手を出して。
喉はひりつくし、胃はひっくり返るし。
それから頭がガンガン鳴って、死ぬかと思いましたよ。
まったく武さんの冒険心にゃ、付いていけません。あ、武さんなんて呼んじまった」

「いいよ、いいじゃないか、武さんで。
会社ではまずいが、外に出たら、武さんでいいよ。
俺たちの間にゃ、上下なんてねえんだから。俺もな、ちょっと反省してるんだ。
会社では、五平じゃなくて専務とよばなくちゃならんとな」
「へへ。こそばゆいですよ、専務なんて。
やめてくださいって。といっても、はいて捨てるほどいますがね、日本中に」
「なに、言ってる。そこらの専務とは大違いだだ。
なんてったって、富士商事株式会社の専務さんだ、大企業とは言わんが、優良企業だぞ」

 



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