「二人目をな、産めなくなったらしい。そのおかげで命びろいよ。
けども乳が出ないってのは、赤子してみりゃ死活問題だ。
おまんまなんだから、赤子の唯一のな。で仕方なく、もらい乳だ。
ところが間が悪く、ご近所に誰も居ないときてる。
で止むなく、米のとぎ汁ということだ。とぎ汁が乳代わりだったんだぜ」
「それは難儀なことだ。おふくろさん、さぞ辛かったでしょう」
「だろうな。鳥越八幡宮って知ってるか? 山形の新庄市なんだが。
武運長久のご利益があるらしい。お袋がな、お百度参りしたらしい。
兵隊になるんじゃないぞ、何とか育ちますようにってだ」
「しかし今じゃ、この頑丈さだ。どういうことで?」
「盗みに走っちまったよ。とに角腹ぺこだ、手当たり次第だったよ。
近所じゃ顔を知られててまずいってんで、となり町に遠征さ。
んでもって、走った。店先から盗んでは、一目散に走った。
とっ捕まったら、こっぴどく叩かれるからな。
足の遅い奴はいっつもだ。あんまり可哀相なんで、そいつに少し分けてやったよ」
「社長の親分肌は、その頃からですか。しかも、あのご時世なのにだ。
子どもの食い物まで取り上げた親がいた、なんて話がめずらしくもなかったのに」
「いやいや、ガキのやることだ、お目こぼしだったんじゃねえのか。
すぐに追いかけるのをあきらめちまうのは」
「そりゃ、あれですって。店を空っぽになんか出来ませんて。
それこそ、根こそぎ盗まれちまいますよ。
子どもだけじゃなく、大人だって腹を空かせてたんですから」
縁側に座り込んで半欠けの月を眺めながらの、二人だけの酒盛りがつづいた。
「久しぶりのことだな、五平。こうやって二人でカストリを飲んだよな」
「うーん、何年になりますかね。十、年は経たないか。
店を立ち上げた、あの夜以来じゃないですか。
確か、いつもの十五度じゃなくて、いきなり四十度なんて代物に手を出して。
喉はひりつくし、胃はひっくり返るし。
それから頭がガンガン鳴って、死ぬかと思いましたよ。
まったく武さんの冒険心にゃ、付いていけません。あ、武さんなんて呼んじまった」
「いいよ、いいじゃないか、武さんで。
会社ではまずいが、外に出たら、武さんでいいよ。
俺たちの間にゃ、上下なんてねえんだから。俺もな、ちょっと反省してるんだ。
会社では、五平じゃなくて専務とよばなくちゃならんとな」
「へへ。こそばゆいですよ、専務なんて。
やめてくださいって。といっても、はいて捨てるほどいますがね、日本中に」
「なに、言ってる。そこらの専務とは大違いだだ。
なんてったって、富士商事株式会社の専務さんだ、大企業とは言わんが、優良企業だぞ」
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