昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第二部~ (三百七十九)

2023-07-19 08:00:47 | 物語り

「ああいたい! でもがまんする。あたしのあかちゃん、だもの。
ああ、でもいたい! あかちゃん、あかちゃん、もうすこしおとなしくして。
あ、あ、いたい! もういらない。このこでいい、このこだけでいい。
あ、あ、いたい、いたい、いたい、いたーい!」
「ほら、呪文をとなえてるから。すこしでも和らぐようにって、となえてるからね。
がまんするんだよ。$->+?<]:^{<%*&;”}#?{*+=~)>(;」
 産婆のとなえる呪文は千勢の耳にもとどいているが、やはり意味不明だった。
いや、そもそも日本語なのかすら疑わしい。
“きっとありがたいものなんだわ。小夜子奥さま、がんばってください”。
千勢もまた、小夜子のいたみが和らぐようにと、一心にいのりつづけた。

 じつのところ呪文とは名ばかりで、ただただ唸っているだけにすぎない。
気持ちのよりどころを小夜子にもたせることで、いたみから気をそらせようとしているだけだった。
しかしそれでも、小夜子にはありがたいお経のように聞こえている。
神仏を信じる小夜子ではないけれども、この痛みを抑えてくれるならば、悪魔ですら信仰しかねない。
もっとも、出産をおえて陣痛がおわりをつげれば、信仰心などケロリと忘れてしまうであろう小夜子なのだが。

「小夜子ー、帰ったぞー! 今夜はな、お寿司を買ってきた。
あわびの良いものが入ったらしくてな、電話をくれたんだよ。
なんでも、目に良いらしいじゃないか。……。
どうしたんだ! そうか、生まれそうなんだな? よし、病院だ。病院に行くぞ。
産婆さん、あんたを疑うわけじゃないが、先生にお願いしてあるんだよ。
千勢、ハイヤーーを呼べ。急げ、急げ! 俺は先生に電話するから。
えっと、えっと、番号はっ、と。そうだ! 札入れの中に入れてあるんだった。
待ってろよ、小夜子。すぐだ、すぐたからな。
産婆さん、あんたも同行してくれ。車の中でなにかあったら困るからな。
あ、もしもし。御手洗です。妻が、小夜子が産気づきました。
えっ? そうです、陣痛でうなっています。
間隔ですか? そんなもの、知りませんって! とに角、これから連れていきますから。
病院に走りますから先生もお願いしますよ。
産婆? ええ、ここにいます。代わるんですか?
分かりました、お待ちください」

 産婆に電話を代わると、すぐに小夜子の枕元にすわりこんだ。
「痛いか? いたいよな? 待ってろよ、病院に行くからな。
さするのか? お腹をさするんだな? よしわかった。俺の力を、小夜子にやろうな。
ちょっとお酒がはいっているけれどもな。なあに、男の子だ。
酔っ払って生まれてくるのも、案外だぞ。
そうだ、名前を決めたぞ。タケシだ、武士と書いてタケシと読むんだ。御手洗武士。
どうだ? 良い名前だろうが。侍のように凛々しい男にそだてという願いをこめてだ」
「たけし? うん、いいなまえね。どう? あなたみたいなびだんしでうまれてくるわよね」
「ああ、大丈夫だ。小夜子とおれの子だ。美男子にきまってるさ」



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