昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

ボク、みつけたよ! (五十三)

2022-04-02 08:00:39 | 物語り

 あまりこういうことばは使いたくないのですが、正真正銘の「九死に一生を得た」という事例です。
幼稚園の年中だったか年長だったかの、大事故です。
真っ青な空にぷかりぷかりと浮かぶ白い雲が、二つ三つほどありましたかね。
孫悟空みたいに、きん斗雲に乗ってみたくて、精いっぱいの力をつかって舞い上がったんです。
別府温泉の地獄めぐりでのことは、おぼえていてくださいますか? 
血の池地獄へと向かうおりにお話しした、あの浮遊術は、じつはこのときが始まりなんです。
その途中でした。電線にひっかかっちゃって、下を見たんです。

 そこには、十円玉をにぎりしめて向かい側にある洋菓子店にかけ出しているわたしがいました。
その洋菓子店は、カステラの切れ端ばかりが入った袋を、なん十円かで分けてくれるお店なんです。
すぐに売り切れちゃいます。
お店に「切れ端袋できました」という看板を見たわたしは、それこそ脱兎のごとくに飛び出したんです。
駅につながるメインロードとはいえ、アスファルトによる舗装などなかった時代です。
焦っていたこともあり、小さな穴ポコにつまづいてしまいました。
わたしが下のわたしに入っていれば、なんてことはなかったのに。
まるで身体に力が入らずにころんじゃったんです。
そこに運わるくオート三輪車が走ってきまして、ドン! でした。

 あっという間のことでした。
 洋菓子店の売り子さんが「おくさん、おくさーん!」と叫びます。
大きなブレーキ音と衝突音に気づいた母が、店から飛び出してきました。
そして血まみれになっているわたしを抱きかかえて、あの病院に向かって走り出したんです。
「きゅーきゅーしゃ、キューキューシャ!」。そんな叫び声を上げながら走ります。
駅前の大通りを右にまわると、商店街にはいります。
買い物客が行きかうなかを「どいて、どいて!」と、いえ、ことばにならない擬音のような声をあげて走りぬけます。

血だらけの幼児をかかえてのその様は、異様なものでした。
キャーキャーという悲鳴が発せられています。
母を知る人からは「どうしたの?」「としちゃんなの?」と声がかけられますが、もちろん母はなにも答えません。
ただただ「がんばって、がんばって」と、わたしになのかそれとも母自身になのか、何度も何度もつぶやくだけです。
大粒のなみだがあふれています。ひょっとしたら、そのなみだのせいで前が見えていないかもしれません。
あやうく人にぶつかりそうなることも度々でした。

 どのくらいの間入院していたのかはわかりません。
一度、通っていた幼稚園の先生がお見舞いにきてくれたらしいです。
包帯でグルグル巻きにされているわたしを見て、おいおいと泣いてくださったとのことです。
ですがわたしは眠っていましたので、ことばを交わすことはありませんでした。
もっとも起きていたとしても、満足な会話はできなかったとおもいますよ。
というのも、頭蓋骨が真っ二つに割れていたとのことで、前歯の二つをはりがねで固定されていたとききましたから。



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