昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第二部~(二百七十三)

2022-10-19 08:00:47 | 物語り

 怪しかったくもり空からぽつりぽつりと雨粒が落ちはじめたのは、小夜子が駅の改札を出たころだった。
着物類の大荷物は武蔵が持ち帰ってくれたものの、小夜子の母親澄江の思い出の品で、また膨らんでしまった。
粗末なものではあったが、澄江の衣類を見ている内に、どうしても持ち帰りたくなってしまった。
中でもどうしてもと思ったのは、安物の手鏡だった。
 他人から見ればガラクタであるが、小夜子と澄江の会話時にはどうしても欠かせないものだった。
面と向かって話すことを禁じられた小夜子、床に伏せったままの澄江、手鏡を上にかざしての会話だった。
痩せほそった腕で差し上げられた手鏡。すぐにぶるぶると震えて、澄江のかおが歪んでしまう。
まるで波紋が広がる水鏡だ。そしてすぐに、ぱたりと落ちてしまうのが常だった。

 小物入れ一つで帰るはずだった小夜子。およそ似つかわしくない大型のリュックサックが、加わった。
汽車に乗るまでは、荷物棚に乗せるまでは、茂作の手助けがあった。
小夜子の心に、満足感が広がっていた。しかし汽車を降りる段になって、後悔の念におそわれた。
“今度にすれば良かったかしら。武蔵に持たせれば良かったのよ。でも今さらどうしようもないし”
 途方にくれた小夜子、立ちすくんでしまった小夜子。見知らぬ人ばかりで、声を掛けることができない。
否、これまでの小夜子では、誰かしらが進んで助けてくれていた。
しかしいま乗客全員が降りきっても、ひとりボー然と座っている。
車内見回りに来た車掌に見つけられるまで、放心状態でいた。
棚から下ろされたリュック、結局のところ車掌が改札まで運ぶはめとなった。

「もしもし、富士商会ですか? あたし、小夜……」
「うわあ! みんな、お姫さまからお電話よ! 早く、早く!」
 小夜子の声をさえぎって、電話の向こうで大騒ぎしている。
嬉しさを感じはするが、当惑の気持ちの方が勝ってしまう。
「もしもし、もしもし。あのね、あなた。聞いてくださる?」
「はい、お電話変わりました。徳子でございます、小夜子奥さま。お帰りなさい」

「徳子さんですか? ああ良かった。武蔵、居ますか? いま駅に着いたので、迎えにきて欲しいのですけど」
「申し訳ありません、社長は出張中でございます。あ、ご心配なく。
社長よりお早くお帰りになられたら、社員の竹田を回すように仰せつかっております。
すぐにお迎えに走らせますので、少しお待ちくださいませ」
「そうですか、出張ですか・・」
迎えを出すということに安心を覚えた小夜子だが、すぐに出張に出てしまった武蔵が恨めしくも思えた。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿