時計の針は、二時半をさしている。
貴子の希望で、南麓の岩戸公園口におりることになった。
こちらの道は彼にもはじめてだった。
こちら側の眼下にはビル群はすくなく、二階建ての個人宅がおおく見うけられた。
国道ぞいに車のディーラーやら銀行、そして飲食店がチラホラとあるだけだった。
すこし行くと、小ぢんまりとした台地があった。
貴子の提案で、時間も早いし腹ごなしもかねて散歩でもということになった。
彼に異はなく、真理子もまたすぐに賛成した。
外にでた貴子が大きく深呼吸すると、真理子もならんで、大きく空気を吸いこんだ。
とその時、強い風がふき、ふたりの体が大きく揺らいだ。
とっさに真理子の背を抱くようにし、片方の手で貴子の腕をしっかりとつかんだ。
悲鳴にもちかい声を出した真理子だったが、強風に驚いた声だったのか、彼の対応におどろいての声だったのか、彼に分かるはずもなく真理子にもどちらだったのか判然としなかった。
帰りの車中では、ラジオから流れるメロディーに合わせて、ふたり人がハモっている。
貴子のひとり舞台だった当初とは打ってかわって、なごやかな雰囲気がただよっている。
緊張感をもって運転していた彼のこころも、なぎ状態の海のようにおだやかだった。
ここちよい疲れを感じつつ、彼は車のスピードを上げることなく走った。
河渡橋が見えてきた。あの橋を渡ればお別れだ。
このまま時間が止まってくれれば、と思わずにはいられない。
ふと気付いた。
いつも車の出足の遅さにいらだち、となりの車と競争していた彼が、いまはまったくと言っていいほど気にならない。
ゆったりとした気分で走っている。
もちろん別れの時間をすこしでも遅くしたいという気持ちはある。
が、それだけではない。
信じていた者が離れていく、いや信じていた者に、ある日を境に嫌悪感を抱いてしまった。
(どうしてぼくを信じてくれないんだ)。そんな思いが頭から離れない。
虚無感ということばが、とつじょ浮かんだ。孤独感といいかえてもいい。
そして、スピードという危険ととなりあわせの中に自分を置いていたことに気づいた。
一瞬の気のゆるみも許されない環境に、自分を追い込む。
そうすることで、充実感を得ていたのかもしれない。
しかしいまは、充分に充足感に浸っている。
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