昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第二部~ (百八十八)

2022-01-25 08:00:59 | 物語り

「その先物取引の借金をチャラにしたのは、御手洗なんだよ」
「な、な、な、、、」
 言葉が出ない、思いも寄らぬことを告げられた。
「督促が来なくなったろうが。まだあるぜ、竹田さんよ。毎月の仕送り、あれも御手洗だ。
小夜子お嬢さまはご存知ないことだがね。
御手洗のおかげで、三度三度のおまんまやら晩酌が出来てるんだ」
 へなへなと座り込んでしまった。
「あれは、小夜子が、小夜子が……」と、呪文のように呟き続ける。
「いや、大丈夫じゃ。佐伯の本家に嫁げば、そんなもん返せる」

「空手形は切るものじゃない、竹田さん。正三とか言う若造のことかね。
さあてね、どういうことになっているのか」
「そ、そうじゃ。まだおる。ロシア娘がおる、ロシア娘が」
 勝ち誇ったように言う茂作に、五平は薄ら笑いを浮かべた。
「やれやれ、アナスターシアのことかね?」
「そ、そうじゃ。わしの娘になりたいと言うロシア娘が、そんなことぐらいなんとでもしてくれる」

「ま、生きてればね。何とかしてくれたかもしれないねえ。
しかしあの世に行っちまった今となってはねえ。
悪いことは言わない、御手洗の世話になりなさい」
 座り込んでいる茂作の肩に手を置き、優しく声をかけた。
「御手洗はねえ、とに角ベタ惚れなのよ。
小夜子お嬢さまにしても、御手洗との生活に満足されているんだから」

 五平の声が耳に入っているのか、いないのか。
茂作は頭をうな垂れたまま、身じろぎひとつしない。
「それじゃ。近いうちに、御手洗本人があいさつに来ますので」と、ぶ厚い封筒を茂作の前に置いた。
「タキよお。わしゃ、どうしたらいい? 小夜子を取られちまう。
どこの馬の骨とも分からん奴に、取られちまうぞ。
わしの、わしの小夜子を、取られるよお……」

 茂作の妻であり、小夜子の祖母にあたるタキに話しかける。
小夜子がいなくなってから、とみに増えた茂作の合掌すがただ。
産後の肥立ちが悪かったタキは、澄江が二歳のおりにかえらぬ人になってしまった。
タキを嫁にもらって分家した茂作は、一心に働いた。
一番鶏のなくころには畑を耕し、家路に着くのはてどっぷりと暮れてからのことだった。

そして夜は夜とて、土間にゴザを敷いてのわらぞうり作りにはげんだ。
次男に生まれたが為に味わった苦汁。
次男に生まれたが為に味わった苦悩。
次男に生まれたが為に味わった悲哀。
相思相愛の初江を、次男に生まれたが為に諦めさせられた。

“見返してやる。本家より金持ちになってやる”
 取り憑かれたように、働きつづけた。タキもまた、茂作同様にいやそれ以上に働いた。
澄江を身ごもった折も、周囲の懸念をよそに働きに働いた。
澄江を産み落としてのち、少しの産後の休養をとることもなく畑に出た。
そしてそれらの無理がたたり、茂作の畑からの帰りを待たずに、他界してしまった。



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