昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第三部~ (四百四十二)

2024-09-24 08:00:14 | 物語り

 社葬が、年が明けた1月の中旬にとりおこなうことがきまった。
場所の選定については五平に一任され、まずは有名神社仏閣をかんがえた。
その旨を小夜子につげると、即座に「似合わないわよ、武蔵には」と異をとなえた。
〝たしかにそうだ。ご神仏とは縁のないわれわれだった〟。
ホテルのホールとも考えたが、それもまたおかしな話だと、自身が首をふった。
結局のところ、すこし離れた場所ではあったが、多目的ホールのある会館を利用することにした。

 中程度の規模で、百人程度の椅子が用意された。
多くが取引先関係であり、個人的つながりのある関係者は皆無といっていいほどだった。
小夜子の実家のある村からの出席者は村長だけに限定されて、出席を希望しつつもかなわなかった村人たちは近在の神社において手を合わせることになった。
武蔵発案の進学支援は、武蔵の○とともに終わりがつげられた。
一部の村人から不平のことばがもれたものの、村がその事業の規模を縮小してつづけることになりおさまった。

 正面の遺影は、はじめての慰安旅行に出かけたおりの写真が使われた。
背広姿ではなく、浴衣姿というなんとも奇妙な遺影ではあったが、「御手洗社長らしい」と、参列者には好意的に受け止められた。
世間一般の常識やら、業界での慣習などをまったく無視した武蔵の営業にはにがにがしく感じたものだが、正面きって啖呵をきれる者はひとりとしていなかった。
敵対関係にある業者も、この日ばかりは武蔵の偉業をたたえた。
なかでも百貨店相手の戦争が、華々しい武蔵の功績として弔辞が述べられた。
当の百貨店関係者も、いまでは懐かしいこととして会話に花が咲いた。

 いちばんの関心事である、後継社長人事についてはなんの情報ももたされなかった。
大方の予想では五平が次期社長となるだろうということだった。
そしてこの社葬の場において発表されるものと考えていた。
しかしそのことにはいっさい触れられることはなかった。
現実問題として専務である五平が取り仕切っており、そのバックには 三友銀行がいる。盤石な経営基盤となっている。

 しかし問題点がないわけではなかった。
五平の守りの姿勢というより、旧態依然としたやり方に、一部社員の間で不満がたまりつつあった。
独裁的経営をつづけてきた武蔵には、カリスマ性があった。
独特の感性でもって商品構成のいれかえがおこなわれ、予測はずれで不良在庫がでることがありはしたものの、とつぜんに爆発的に売れる商品の開拓もあった。
服部たちの記憶に鮮明に残っているのが、ダッコちゃん人形だった。
正月明けに「こいつは売れるぞ!」と大量に買いこんだもののまるで売れず、倉庫にあふれかえった。

 見切り商品として損切りを、とせまる五平やら竹田らにたいし、「もうすこし待て、きっと売れるから」と頑としてゆずらなかった。
それが梅雨あけと同時に、一気に売れ出した。
二の腕に絡ませることが大流行となった。
ぱちくりとした目に、まん丸お口。
それまでフランス人形に代表される西洋系人形とは真逆のくろい肌。
そしてビニール製で、持ちはこびのできる人形。
ペットさながらに腕にからませられることが人気のもとになったようだった。

「夏までの勝負だ」と、買いこんだ在庫品が売りさばけたと同時に、仕入れをストップした。
服部たち営業の「まだ行けますって、買ってください」との声にも、ダメだと一喝した。そして武蔵の予想通りの、秋風とともに流行が去った。
「冬には冷たくてダメだ」。その肌触りでもって終わりを告げると、断じた。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿