「それではみなさま。わたくしの話を聞いていただきましょうか。
もちろん、うそいつわりなど申しません。
すべてとは申しませんが、正夫の作り話を訂正させていただきます」
ピンと背筋をのばしたその様は、まことに凛とした風情です。
おとしは……、さきほどのご老人の話からしますと五十歳をすぎたあたりでしょうに。
「それにいたしましても、なぜ三十五歳という、いまなのでしょう。
閻魔さまには『お前の好きな年齢を選んでいいのだぞ。
ピカピカに光っていた己をえらぶがよい』と、おっしゃっていただきましたのに。
よりにもよっていちばん苦しかったころのおのれに戻ってしまうとは。
正夫はどうでしょう?
やはり、『妙子が笑ってくれた』、『妙子が手をにぎってくれた』、『ハイハイしている』、『立ち上がった』、『歩いた』と大騒ぎをしたころでしょうか。
それとも正夫自身がもうす、妙子の女学校時代でしょうか。
ですが、あのときもとんでもないことをしでかしました。
包丁ですよ、お台所での。
なにが哀しくてのことなのかとんと分かりませぬが、ひとり大騒ぎでございました。
『切れない、切れない』と大声を上げまして。
包丁の背では、切れるものもきれませんわ。
そもそも、あの男が自○などと。そのようなことを考えるはずもありません」
「あの世では、おのれの光りかがやく年ごろに戻れるとかいうじゃないか」
友人のざれ言でしたが、いまこの場で小夜子さんを見ましては、さもありなんと思えてしまうのでございます。
えもいわれぬ艶香をただよわせての立ち居ふるまいは、善三さんをして惑わせているのですから。
「いかがです? あなた、そこのあなた。
いくつに戻られたいですか?
こころの中でけっこうですよ、みなさんも思いうかべてくださいな」
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そう言われて、わたしも考えてみました。
いま三十五歳という若輩者ですが、それなりに辛酸をなめてまいりました。
つらつらと思い浮かべますに、やはりいちばん輝いていたのは大学一、二年のころでしょうか。
受験という自縛からのがれ、就職などはさきの話で、自分中心によのなかがまわっているなどと錯誤していたころでした。
もっともあの頃にいまほどの分別がありましたら、この家族をもうすこし幸せにしてやることもできましたでしょうに。
善三さんは、どうなのでしょう。
数々のかがやかしい功をあげられたと聞く、特高警察時代でしょうか。
酒のせきをご一緒したときなど、いつもそのときの自慢ばなしでしたから。
で、水をむけてみました。ところが案にそういして、イヤな顔をされるのです。
あたりをキョロキョロと見まわして、とくに小夜子さんを気にされているようでしたが。
まゆは八の字となり代名詞である眼力もありません。
オドオドとまではいきませんが、いままでの勢いがまるでありません。
よく口ぐせに「お国のために」、「社会のために」と仰いますが、虚勢をはってらっしゃったのでしょうか
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