医師を長らく見てきた看護婦も、石部金吉のごとくに勤勉実直さを体現してきた医師の、あり得ないことばに信じられないといった表情をみせた。
「いや、こりゃどうも。ぼくには似合わぬことばでしたね。いや、失敬失敬」
当の本人にしても、どうしてこんなことばを口にしたのか、いやそもそもこんなことばが浮かんだのか判然としない。
若い女性患者を受け持ったのは勝子がはじめてであり、上司である内科部長に、担当を変えてほしいと先日に申し入れをしたほどだった。
どうにも勝子相手ではドギマギとしてしまい、聴診器を胸にあてるおりには横を向いてしまう。
透きとおるほどに白い勝子の肌がまぶしく、いっそのこと色メガネをかけての診察をと考える自分が滑稽に感じられる医師でもあった。
「女の柔肌にふれたこともないんだろう」。「年増ばかりを相手にしてちゃ男がみがけんぞ」。「そろそろ君も身をかためなくちゃな」。
先輩医師たちにからかわれながらも、「やるときにはやりますよ、ぼくだって男ですから」と虚勢をはりつつも、情けなさを感じないわけでもなかった。
とつぜんに、小夜子が声をかけた。
「せんせ。先生にも、投げキッスを上げる。ほんとに、ありがとう。
勝子さん。あなたは、先生のほっぺにキスしてあげて」
「え、ええ。そ、そんなこと……」
ほほを赤らめる勝子を、小夜子が医師のかたわらに押しやった。
「ほら、チュッてしてあげて。先生は恩人なんだから」
「でも……」と、さすがにちゅうちょする勝子なのだが、おずおずと医師に顔を近づけはじめた。
「い、いいですよ、そんなこと。その気持ちだけで、十分だ」
思わぬ勝子の動きに、医師が後ずさりをする。
そして両手を前に出して、「御手洗さん、冗談がすぎますよ」と、両手をふった。
夢から覚めたように、己の動きを止める勝子に対し
「だめ! 感謝の気持ちをキチンと伝えなきゃ。
勝子さん、新しい女になりたいんでしょ? 幸せな人生を送りたいんでしょ?
だったら自分の気持ちを素直に表現しなくちゃ」と、容赦なく小夜子がはやした。
顔を真っ赤にした、勝子と医師がいた。そして小夜子と看護婦が祝福の拍手をしている。
「お似合いの二人よね、そう思うでしょ」
小夜子の言葉に、ますます顔を赤くする勝子だ。
異性としてなどまるで意識していなかったが、いま小夜子にはやされて、実直さのにじみでているのりがしっかりときいた真っ白い白衣が勝子の気持ちを持ちあげてくる。
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