昭和の恋物語り

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長編恋愛小説 ~水たまりの中の青空・第二部~ (七十三) 血相変えて包丁を持ったまま

2013-12-07 11:42:37 | 小説
(七)

「小夜子さまと同じでございました。
実家ではうまくやれていたことが、どうにもちぐはぐになってしまいます。
緊張していたのだと思います」

「そう。やっぱり千勢でも、緊張したの? 初めは。
あたしもね、くくく、包丁を持った時なんか。

武蔵がね、あたしを呼んだの。
武蔵はね、大丈夫か? って声をかけたらしいんだけど、あたしったら、血相変えて包丁を持ったまま。

くく…分かる? 武蔵にね…」

「ひょっとして、そのまま旦那さまの所にですか?」

「そうなの、行っちゃった。びっくりするわよね、そりゃ。
真っ青な顔してたんですって。心中でもするつもりかって、ね」

「旦那さま、驚かれたでしょ。でも、分かる気がします。
包丁を持って、いざ! という時に声を掛けられたのでは」

「『なに考えてるんだ、お前は!』って、怒られちゃった。千勢は、怒鳴られたことはある?」
間髪いれずに、千勢が答えた。

「とんでもございません。声を荒げられることなど、一度も。
黙ってあたしの前に差し出して、『食べてごらん』とひと言です。

辛かったり甘すぎたり、ありました。
でも、『お前の一生懸命さは知っている。次は、もう少し美味しくしてくれ』と。

『手際の悪さでお待たせしちゃだめだ、なんて考えるな。
なんでもそうだが、手間暇をかけてこそ、実がなるというものだ』とも言われました」

「そう、千勢には優しいのね」
「いえいえ、千勢は鈍くさいので」

「武蔵は、千勢が可愛くてしかたないのね」
「こんな、おか目のあたしがですか? キャハハハ、そんな」

底なしに明るい千勢が、時として荒みがちだった武蔵の心を和ませていた。
そして今は、小夜子の奔放さが武蔵には嬉しい。


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