昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

[宮本武蔵異聞] 我が名は、ムサシなり!(三十五)

2023-12-15 08:00:33 | 物語り

(佐々木小次郎 二)

 小次郎元服の前年、道場内における門弟どうしの試合がおこなわれた。
一度たりと負けたことのない相手と対した小次郎だったが、思いもよらぬ不覚をとってしまった。
「まだまだ!まだまだ!」
 声を張り上げて臨む小次郎に対し、
「それまで!」
 と師の声がかかった。
「慢心じゃ、小次郎! 毎日の鍛錬をおこたったが故のこと。
いくど手合わせをしても、もう勝てぬ。未熟者めが!」

 師よりのきびしい叱責をききおよんだ父親によって、ひと月のあいだ、道場内に軟禁された。
朝昼の鍛錬のあとも、ひとり小次郎だけが厳しい修練を課せられた。
太平の世にうつりつつある昨今において、「勝てば良し!」とする剣技ではなく、美しく流れるような剣さばきが求められた。
剣術にも、美しさと物語り性が求められていた。

 いちばん鶏が鳴くやいなや飛び起きる小次郎を、道場のの下女たちは哀れみの目でみていた。
通ってくる門人たちに下女たちが挨拶のことばをかけても「ふんっ」とばかりに無視をするなか、小次郎だけがことばは発せずともかるく頭をさげてくれていた。
 井戸から桶に水をためるついでにと、下女たちの持つ桶に水を移しかえてくれることが日課にもなった。
「お手伝いします」。床掃除にいそしむ小次郎に声をかける下女がいても、それでは修行にならぬからと辞退した。
なにごとにも謙虚な姿勢をとるようになり、師からの叱責もおさまった。

 小次郎の必死の修練は五年のあいだ続き、ついには小次郎の剣さばきの速さについてこれる者は誰ひとり居なくなった。
守破離(*)を見事に体現して、師のもとから去った。
その時、師をも凌駕する天才剣士佐々木小次郎が誕生した。
そして「小倉一」から「西海道一」へ、果ては「日の本一」と称されはじめた。
このころから傲慢さがあらわれはじめ、苦言をていする者たちがいなくなった。

*守破離 (物事を学ぶ時の状態を三段階で表したもの)
 「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。
 「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。
 「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。
(AI Bingにて検索)



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