昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

[ライフ!] ボク、みつけたよ!(六)どうせ生まれ故郷の九州に

2024-10-10 08:00:51 | 物語り

 どうせ生まれ故郷の九州にかえるのなら住んだ町すべてをまわってみよう、そう思いたって記憶のかぎりの小学校を書きだしました。
生まれ故郷である佐賀県伊万里市立伊万里小、福岡県柳川市立昭代第一小、福岡県久留米市立篠山小、そして福岡県中間市立中間小学校です。
卒業したのは岐阜市立木之本小学校です。

 ただ残念なことに、最初に入学したはずの大分市の小学校時代がおもいだせないのです。
もうひとつ言えば、大分市には幼稚園児のおりに引っ越したはずです。
そして幼稚園にかようことになったはずなのですが、慣れずにかよわなかったと記憶しています。
小学校入学前の年次だったと思います。
ですが、まるで記憶がないのです。すっぽりと抜け落ちています。
ただ覚えていることが、ひとつだけあります。

 大分駅に降りたったのは夜でした。
見あげればたくさんの星がまばたいていたことを、おぼろげながらに覚えています。
そして駅舎をでてから、すぐかたわらの屋台でラーメンをすすった記憶が、鮮明におもいだされます。
ひらたい中華の模様が入った丼の中で、白くにごったスープのなかに麺があり、その上にメンマがすこしと薄っぺらいかまぼこが1枚と、そして黒々とひかる味付けのりが2枚乗っかっています。
……。なぜなんでしょうかねえ、このことだけはしっかりと鮮明に記憶されているのですが。
まだ5歳児だったのに、食い意地がはっているせいでしょうか。

 ということで小学校については、廃校になっていない限り、簡単に調べられるでしょう。
問題は住み処ですね。
戸籍謄本をしらべれば住所がわかるんじゃないか? 
そう思い、支所に行ってみました。
畑がまだ残っている郊外にあります。国道から2、30mほど入ったところです。
車の駐車スペースは10台以上はあり、十分な感じですよ。

 建物は、そうですねえ狭くもなく広くもなく、ごめんなさい、はっきりとは分かりませんわ。
建物は横長平屋造り(わかりにくいですか?)で、カウンターで6席ぐらいでしたか。
L字型になっていて、奥に1席もうけてありました。
窓際に5人掛けぐらいの長椅子がありましたが、待っている人は居ませんでした。
たぶん、ほとんど使われていないと思います。
取り扱う事務数は限られていますしね。

「あなたの戸籍では、岐阜市がスタートになりますね。ご結婚時に、戸籍が新しく作られますから」
 えっ! そ、そんな。それじゃ、ぼくの一生はどうなる。
「お父さんの生前時ならすべて記録として残っていたのですが、亡くなられてはねえ。
もう二十年も以上前のことですか。いまとなっては、ちょっともう……」

 ということで、住所がわかりません。
生家のあった伊万里市はおぼえています。
駅に向かう大通りがあり、駅まで100mだったか、200mだったかの位置に紅屋というお店をかまえていました。
そして店のとなりに食堂だったかがあり、真向かいには洋菓子屋さんがありました。
なんとか分からないかと、インターネットの地図サイトでさがしてみたのですが、六十年以上も前のことです。
大きく街並みは変わっていました。
他の場所についても、断片的な地区の記憶しかありません。

 残念です、ほんとに。
「死亡届を出したときに、戸籍謄本を取っておけば……」と、後悔しています。
悔やんでもくやみきれません。
 ということで、終活の意味もこめて、わたしという人間のルーツをさがす旅への出発です。



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