人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

なぜ年末に「第九」を演奏するの?~日経記事から / 昭和音大でリムスキ=コルサコフ「シェエラザード」、国立音大でチャイコフスキー「第5交響曲」を聴く / 新日フィル会員特典公演に申し込む

2018年12月02日 07時26分16秒 | 日記

2日(日)。昨日の日経別刷り「NIKKEIプラス1」の「くらし物語」で「なぜ年末に『第九』を演奏するの?」という記事を載せていました 記事を超訳すると

「第九が年末に演奏されるようになったのは、帝政ドイツ末期1918年、革命で皇帝の退位を受け、ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団が大みそか深夜に労働者に向けて第九を演奏したことがキッカケである。これが大好評だったので、同様の催しが活発に開かれるようになった  日本における第九の初演は同じ1918年(今から100年前)、第一次世界大戦時、徳島県坂東町(現鳴門市)のドイツ人捕虜によるもので、アジア初だった 現在、師走に第九を演奏する習慣は欧米諸国にはない 日本でこの習慣が広まったのはNHK交響楽団が暮れに演奏したのが出発点だった(音楽ジャーナリスト・岩野祐一氏)。指揮をした一人が後にN響の常任指揮者を務めたドイツのヨーゼフ・ローゼンシュトックだった。1938年12月、歌舞伎座でN響を指揮して第九を演奏し、40年の大みそかには彼の指揮による第九がNHKラジオを通じて放送され、太平洋戦争開戦後も年末年始の放送は続けられた 戦後はラジオ放送だけでなく、N響の第九演奏会も年末恒例になった 一方、実利に根差した説(餅代稼ぎ説)もある。戦後各地で増えたオーケストラは運営に困窮していたが、年越しの資金を獲得しようと人気の高い第九に着目したというものだ。合唱団も出演するので、その家族や知人らもチケットを購入すれば収益につながると考えられた

12月における在京オーケストラの第九公演の回数を見る限り、「餅代稼ぎ説」が説得力を持っているように思われます

さて ローゼンシュトックの名前で思い出すことがあります 新聞関係団体に勤務していた時、K通信社出身のNさんがマスコミ倫理関係組織の事務局長を務めておられました。Nさんは学生時代に友人から、ローゼンシュトック指揮N響の第九公演に出演する男声コーラス要員が足りないので、助っ人で出てくれと言われ、ドイツ語も知らず歌を歌ったこともないにも関わらず「口パクでいいから」と説得されてリハーサルに臨んだそうです 第4楽章の合唱で、言われた通り「口パク」で他のメンバーに合わせていたら、ローゼンシュトックが、いきなり指揮棒で自分を指して「そこのお前、ちゃんと歌え」と(多分ドイツ語で)怒鳴りつけたそうです。Nさんは震え上がるほど恐怖を感じたと語っていました それと同時に、100人規模の合唱団の一人一人の動きを把握していることに心底驚いたそうです ローゼンシュトックは超一流の指揮者だったのでしょうが、現在は合唱には合唱指揮者がいて、ちゃんと歌を仕込んでからコンサート指揮者にバトンタッチする形を採っているので、まさか「口パク」はないでしょう

ということで、わが家に来てから今日で1521日目を迎え、超高精細な映像が特徴の「4K8K衛星放送」が1日、BSとCSの計17チャンネルで始まった というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

       お笑い番組とお散歩番組ばかり観るんだったら必要ないと思うよ 4苦8苦放送は

     

         

 

新日本フィルから会員向けの特典コンサートの案内が届いたので、さっそく電話で申し込みました 3月18日(月)19時開演で、会場はすみだトリフォニーホールです プログラムは①ブラームス「クラリネット・ソナタ  ヘ短調」、②同「クラリネット・ソナタ  変ホ長調」、③グリエール「2つの小品、間奏曲とタランテラ」、④ダドウル「スノーラインド」です 演奏は①のクラリネット独奏=中館壮志、②のクラリネット独奏=マルコス・ぺレス・ミランダ、③のコントラバス独奏=藤井将矢、④のパーカッション独奏=腰野真那、①~④のピアノ伴奏は新日フィル音楽監督・上岡敏之です

 

         

 

昨日、ミューザ川崎コンサートホールで「第9回音楽大学オーケストラ・フェスティバル」の第2日目公演を聴きました

自席は2階2CA2列49番、センター右ブロック右から2つ目です。会場は8割方埋まっているでしょうか

 

     

 

1曲目は 齋藤一郎指揮 昭和音楽大学管弦楽団によるリムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード 作品35」です

演奏に先立って、国立音楽大学のブラス・メンバーにより同大学の城谷伶君作曲「祝典ファンファーレ」が明るく華やかに演奏されました

「シェエラザード」はロシアの作曲家ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844‐1908)が1888年に作曲しました この作品は、一夜を共にした女性を翌朝には殺害するという極悪非道を繰り返すシャリアール王のもとに、賢いシェエラザード姫が訪れ、「続きは明日」と毎晩面白い話を聞かせるうちに、暴君の心が穏やかに変化していくという「千一夜物語(アラビアンナイト)」を題材にしています 第1楽章「海とシンドバッドの船」、第2楽章「カランダール王子の物語」、第3楽章「若い王子と王女」、第4楽章「バクダッドの祭、海、船の難破」の4楽章から成ります

昭和音大オケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという並び。コンミスは淵野日奈子さんです

背の高い齊藤一郎氏が指揮台に上がり第1楽章が開始されます 冒頭、コンミス淵野さんによりシェエラザードのテーマが奏でられますが、これが素晴らしい演奏でした 彼女は第4楽章のフィナーレでも同じテーマを感動的に演奏しました 第1楽章ではオーボエとクラリネットが素晴らしい演奏を繰り広げ、第3楽章では弦楽器が美しく響きました 第4楽章では弦も管も打も躍動的でダイナミックな演奏を展開し聴衆を魅了しました

大きな拍手を受け、指揮者の齊藤氏がコンミスの淵野さんに跪いて 手にいきなりキスをしたので、淵野さんは驚いて手を引っ込めていました   齋藤さんったら、それセクハラだよって チコちゃんに叱られるぞ   越後屋、おぬしも悪よのう

 

     

 

休憩時間にホワイエの窓側でプログラムを読んでいたら、隣のおじさんが何やら飲みながらチラシを眺めています   よく見ると、おじさんが手にしているのは缶チューハイでした。缶にはしっかり「お酒」の表示がありました    ほとんどのコンサート・チケットの裏側には、注意事項の一つとして「会場内への酒類・危険物等のお持ち込みはかたくお断りいたします」と書かれています   この公演のチケットにもその通り書かれていました。多くの人はチケットの裏側までは見ないと思いますが、何か事件や事故があると困るので こういう注意事項が書かれているのです 例えば、酔っ払ったおじさんが演奏中に突然立ち上がって「いよっ、オトワヤ 」とか「待ってました 大統領」とか叫んだら、コンサートは台無しです。缶酎ハイ持ち込みおじさんが絶滅することを、わたし祈ってます

 

     

 

2曲目は 現田茂夫指揮 国立音楽大学オーケストラによるチャイコフスキー「交響曲第5番ホ短調 作品64」です

演奏に先立って、洗足学園音楽大学のブラス・メンバーにより同大学武田龍君作曲による「ミタリ二ティ・ファンファーレ」が華々しく演奏されました

国立音大のオケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという並び。コンミスは田村亞子さんです

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)が1888年に作曲し 同年初演された「交響曲第5番ホ短調 作品64」は、第1楽章「アンダンテ―アレグロ・コン・アニマ」、第2楽章「アンダンテ・カンタービレ、コン・アルク―ナ・リチェンツァ」、第3楽章「ワルツ:アレグロ・モデラート」、第4楽章「フィナーレ:アンダンテ・マエストーソーアレグロ・ヴィヴァーチェ」の4楽章から成ります

指揮者の現田茂夫氏が指揮台に上がり、第1楽章に入ります 第1楽章冒頭は2本のクラリネットにより「運命のテーマ」が重々しく奏でられますが、この演奏が素晴らしかった このテーマは、姿形を変えて全楽章を通じて現れるのが大きな特徴です 現田氏は間を置かずに第2楽章に移ります。冒頭は独奏ホルンが歌うような旋律を奏でますが、このホルンが素晴らしい 学生でここまで吹けるのは驚きです 木管楽器ではオーボエが印象的な演奏を展開しました。間を置いて第3楽章に入ります。チャイコフスキー得意のワルツです 弦楽器の流麗な演奏を中心に、チャイコフスキーのメロディーメーカーとしての特徴が表出されます 弦・管・打楽器が渾身の演奏を展開する第4楽章へは間を置かずに移ります

このことから分かるのは、指揮者の現田氏は、この曲を大きく前半と後半の2つに分けて、暗(第1,2楽章)から明(第3,4楽章)への移り変わりを明白に提示したということです

国立音楽大学オーケストラのメンバーは現田氏の指揮のもと、集中力に満ちた迫力のある演奏を展開しました。学生オーケストラ恐るべし、と書いておきます

なお、この後 秋山和慶指揮 洗足学園音楽大学管弦楽団によるバルトーク「管弦楽のための協奏曲」の演奏が控えていたのですが、同曲は11月24日に東京藝大オケで聴いたということもあり、また、帰りが遅くなるということもあったので、聴かずに帰ってきました 1回のコンサートで大曲を3曲聴くのは辛いものがあります しかし、1時間早い午後2時開演だったら3曲とも聴いたかも知れません こういう優柔不断な態度を一昔前は「日和見主義者」と呼んでいましたが、今では死語のようです

 

     

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