19日(月)。一昨日の日経夕刊第1面のコラム「あすへの話題」に音楽家・小西康陽氏が「神保町駅A7出口」というテーマでエッセイを書いています 内容は、健康診断を受けた時に担当医から「心臓の弁に異常があり血液の逆流がみられる。息切れなどの自覚症状がないか」と訊かれ、「地下鉄の神保町駅からすずらん通りに近いA7番の出口というのがあって、いつもあそこの階段を上るときだけは息が切れる」と答えた。すると驚いたことに担当医が「あの階段は誰だってこたえる」と言ったーというものです
地下鉄神保町駅A7番出口には苦い思い出があります まだ20代の頃のことです。当時、パンタロン風のズボンに踵の高い靴を履くのが流行っていて、私もそういう いで立ちで、書店帰りに地下鉄神保町駅A7番出口に立ったのです。ところが、ちょっとよそ見をしていて、足を踏み外して階段下の踊り場まで前向きに転げ落ちてしまったのです
ズボンはカギ裂きになり、手足に傷を負い、息も出来ないほど苦しい目に遇いました
その時、女性が「大丈夫ですか?」と声をかけてくれましたが、こちらは苦しくて声が出ないので、何とか起き上がって大丈夫という姿勢を取りました
まさに「若気の至り」ならぬ「若気の痛み」でした
それ以来、踵の高い靴を履くのは控えるようになりました
ということで、わが家に来てから今日で2382日目を迎え、米軍制服組トップのミリー統合参謀本部議長をはじめとする軍幹部らが昨年11月の大統領選後、トランプ大統領(当時)によるクーデターに巻き込まれることを警戒し、辞任の準備をしていたことが、トランプ政権末期の内幕を暴露した本「 I Alone Can Fix It 」で明らかになったが、それによると、ミリー氏はトランプ氏を「失うもののない伝統的独裁者」と評し、その姿をナチス・ドイツの独裁者ヒトラーと重ねていた というニュースを見て感想を述べるモコタロです
次々と権力の座に固執するトランプの異常性が暴露されていく 返り咲きはごめんだ
新日本フィルの「室内楽シリーズ~楽団員プロデューサー編」の9月、10月、11月の公演チケットを会員先行発売で取りました
9月(第143回)はヴィオラの濱本実加プロデュースによる公演で、シューマン「ピアノ五重奏曲」他が演奏されます
10月(第144回)はバストロンボーンの鈴木崇弘プロデュースによる公演で、ベン・ヴァン・ダイク「ワーグナーの『ニーベルングの指輪』の音楽」他が演奏されます
11月(第145回)は第1ヴァイオリンの岸田晶子プロデュースによる公演で、モーツアルト「クラリネット五重奏曲」他が演奏されます
このシリーズは、普段客席とかなり離れた位置で演奏している楽団員が、身近で演奏するので顔と名前を覚えるのに最適です
新日本フィルのホームページによると、「すみだクラシックへの扉」9月度定期演奏会の出演者とプログラムの一部に変更が出ています
当初出演が予定されていた指揮者・オーボエのハインツ・ホリガ-氏はコロナ禍に係る入国制限により来日できなくなり、代わって指揮に大植英次氏、オーボエに吉井瑞穂氏が出演する これに伴いプログラムが一部変更となる。変更前は①シューベルト「アルフォンソとエストレッラ」序曲、②チマローザ「オーボエ協奏曲」、③ケルターボーン「オーボエと弦楽のための変奏曲」、④メンデルスゾーン「交響曲第4番”イタリア”」だったが、変更後は①モーツアルト「フィガロの結婚」序曲、③マルチェッロ「オーボエ協奏曲」に変更となる(②と④は変更なし)
個人的には、ホリガ―が出演できないのは痛恨の極みですが、プログラム変更は大歓迎です
小野寺史宣著「ひと」(祥伝社文庫)を読み終わりました 小野寺史宣(おのでら・ふみのり)は千葉県生まれ。2006年「裏へ走り蹴りこめ」でオール読物新人賞、2008年「ROCKER」でポプラ社小説大賞優秀賞を受賞
本作「ひと」が2019年本屋大賞第2位に輝きベストセラーとなる
柏木聖輔は料理人だった父亡き後、女手ひとつで東京の私大に進ませてくれた母親を20歳の秋に亡くす 天涯孤独の身となった彼は全財産が150万円しかないことから大学を中退し、就職先を探すが あてもない日々が続いていた
そんなある日、砂町銀座商店街を歩いている時、空腹から一軒の総菜屋「おかずの田野倉」に吸い寄せられるように赴いた
最後に残った50円のコロッケを見知らぬお婆さんに譲ったことから、店主・田野倉督次に気に入られ アルバイトで働くことになる
田野倉夫妻や店員たち、顧客との関りの中で聖輔は人間として成長し1年後には店を辞め、父親がやっていた料理人を目指して新しい一歩を踏み出す
聖輔のような「自分のことより、まず相手のことを考える」人ばかりだったら世の中、喧嘩もなく平穏に過ごせるだろうに、と思います 彼が素直な性格だからこそ、周囲の人たちも彼に優しく接するようになり、聖輔も孤独ではないと考えるようになるのだと思います
本書を読んでいて気が付いたのは、登場人物一人一人の名前にこだわっているということです 例えば、主人公の柏木聖輔が自己紹介するときは「柏餅の柏に 聖徳太子の聖に 車へんの輔」と説明するといった具合です
これは著者が登場人物の一人一人に存在感を与え、ないがしろにしない姿勢を表しているということだと思います
江東区の砂町銀座商店街には一度も行ったことはありませんが、いつかどこかの店で聖輔のような物語が進行しているかもしれませんね