21日(水)。わが家に来てから今日で2384日目を迎え、茨城県鹿嶋市内の小学校が、茨城県立鹿島サッカースタジアムで東京五輪の試合を観戦する児童の保護者に向けて、会場にペットボトルを持ち込む場合は出来るだけ大会公式スポンサーのコカ・コーラ社製とするように文書で求めていたことがわかった というニュースを見て感想を述べるモコタロです
これだから「金権まみれの五輪」って言われるんだよ 不買運動が起こらねば良いが
昨日、夕食に勝浦市在住のS君が送ってくれた秋刀魚を塩焼きにして、「真鯛の刺身」「冷奴」「生野菜とアボカドのサラダ」とともにいただきました。秋刀魚は脂がのっていてとても美味しかったです
昨日、新宿ピカデリーでMETライブビューイング、ヴェルディ「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」を観ました これは2018年12月15日にニューヨークのメトロポリタン歌劇場で上演された公演のライブ録画映像です
キャストはヴィオレッタ・ヴァレリー=ディアナ・ダムラウ、アルフレード・ジェルモン=フアン・ディエゴ・フローレス、ジョルジュ・ジェルモン=クイン・ケルシー。管弦楽・合唱=メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団、指揮=ヤニック・ネゼ=セガン、演出=マイケル・メイヤーです
冒頭、ソプラノのダムラウが画面に登場し、日本向けのメッセージを伝えてくれました 彼女は2011年3月11日の東日本大震災とその後の原発事故の影響で、METオペラ来日公演のスター歌手が相次いでキャンセルするなか6月に来日し、ドニゼッティ「ランメルモールのルチア」のタイトル・ロールを歌いましたが、その時の思い出を語ってくれました
私も東京文化会館で彼女の歌う「狂乱の場」に圧倒された一人です
10年経った彼女はちょっと丸みを帯びたようですが、相変わらず魅力的でした
このオペラはジュゼッペ・ヴェルディ(1813‐1901)がアレクサンドル・デュマ・フィスの小説「椿を持つ女」を原作に、フランチェスコ・マリア・ピア―ヴェの台本に基づき1853年に作曲、同年3月6日にヴェネツィアのフェニーチェ大劇場で初演された全3幕から成る歌劇です ところで、ヴェルディはタイトルを「トラヴィアータ」に変えました
意味は「道を踏み外した女」です。パリの高級娼婦という職業自体が道を踏み外した人生だからなのか、純愛を求めたのが娼婦としての道を外れたという意味なのか、ヴェルディのみぞ知る、です
いずれにしても、このオペラの根底にあるのは、ヴィオレッタに忍び寄る死を背景とした愛と苦悩です
物語の舞台は華やかなパリの社交界。高級娼婦ヴィオレッタは歓楽に憂き身をやつしているが、純粋なアルフレードに心を打たれ、真の恋を知って同棲する アルフレードの父ジョルジュは彼女に同情しながらも身を引くように頼み、アルフレードはその心変わりを責めるが、後でことに次第を知り、彼女の死の床に駆けつける
本公演は、2007年「春のめざめ」でトニー賞を受賞したマイケル・メイヤーによる演出ですが、最大の特徴は冒頭のシーンに集約されています 舞台中央のベッドにヴィオレッタが横たわり、その周囲をアルフレード、ジョルジュ・ジェルモン、アルフレードの妹、女中のアンニーナ、医師ブランヴィルが取り囲み、バックに悲しい「前奏曲」が流れているというシーンです
つまり、これから始まる物語は死の床にあるヴィオレッタの回想であることを表しているのです
悲しい前奏曲が終わると、一転、賑やかなパーティー・シーンになりますが、中央に置かれたベッドはそのまま残されています
そして第2幕、第3幕に移っても最後まで外されることがありません。これは、ヴィオレッタには常に死の影が付きまとっていることを暗示していると解釈できます
素晴らしい演出だと思います
ヴィオレッタを歌ったディアナ・ダムラウは1971年ドイツ生まれのソプラノです 演出のマイケル・メイヤーは彼女のことを「オペラ界のメリル・ストリープ」と評したそうですが、まさに「歌う女優」に相応しい歌唱力と演技力を備えています
幕間のインタビューでダムラウは「12歳の時に、フランコ・ゼフィレッリ演出、テレサ・ストラータスのヴィオレッタによる映画版『椿姫』を観てオペラ歌手になる決心をしました」と語っていました
幕間の「特典映像」で、ヤニック・ネゼ=セガンがダムラウに第1幕のアリア「花から花へ」の歌を指導をするシーンが映し出されます
ヤニック・ネゼ=セガンはトップ歌手のダムラウに、それぞれのフレーズに意味を持たせ、「そこは強く、そこは弱く」と表情付けをして歌うことを求めます
ダムラウはそれを納得した上で振付を加えながらアリアを完成させていきます
私はこのシーンを観て、METを代表するディーヴァ、ダムラウの柔軟性も凄いけれど、確信をもって彼女に歌い方の指導をするヤニック・ネゼ=セガンという指揮者も凄いと思いました
この映画を一緒に観た Kirioka さんは、音楽大学で声楽を専攻する傍ら指揮の指導も受けたので(現在はピアノを教えている)、この辺の2人のやり取りに強い関心を示していました
「オペラは歌手はもちろん大事ですが、最終的には全体を統括する指揮者の力ですよね」と語っていました
そのヤニック・ネゼ=セガンは1975年、カナダのモントリオール生まれ フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督を務め、40年間MET音楽監督を務めたジェイムズ・レヴァインの後任として2018年からメトロポリタン歌劇場の音楽監督も兼任しています
実は 本公演はMETの音楽監督としての指揮者デビュー公演でした
幕間にピーター・ゲルブ総裁のインタビューを受け、「20年前に噴水広場からメトロポリタン歌劇場の建物を見上げて『いつの日かMETの頂点を制する』と言ったのは本当です
今その願いが叶って最高に幸せです
」と語っていました。また、第2幕に入る時に、彼がタクトを振り上げると、その指揮棒がヴァイオリン奏者の方に飛んで行ってしまいました
これが本当の”飛んだハプニング”でしたが、本人が一番驚いたと思います
再びタクトを手に 笑顔で客席側に振り返ると聴衆からやんやの喝采が起こりました
ゲルブ総裁が この場面を振り返って「今度は飛ばないタクトをご用意します
」とジョークを飛ばすと、ヤニック・ネゼ=セガンは「演奏が始まってからタクトを飛ばすと大変なことになるので、演奏に入る前に飛ばしました
」とジョークで返していました。100人規模の強者を束ねる指揮者にはこういうユーモアのセンスも必要なのでしょう
アルフレードを歌ったフアン・ディエゴ・フローレスは1973年ぺルーのリマ生まれのテノールです ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」におけるアルマヴィーヴァ伯爵などを得意としており、近年のロッシーニ・オペラ復活の立役者の一人です
同じテノールでも高音域が軽やかな「レッジェーロ」の魅力が健在でした
幕間のインタビューで彼は「高音を競うよりも、いかに美しく歌うかが大事です
」と語っていましたが、十分に美しく輝くような高音でした
ジョルジュ・ジェルモンを歌ったクイン・ケルシーはハワイ出身のバリトンです 第2幕でアルフレードを慰め、美しい故郷に戻ろうと朗々と歌うアリア「プロヴァンスの海と土地」は聴きごたえがありました
カーテンコールにはビックリしました 歌手陣、合唱陣、バレエ団(素晴らしかった
)が次々とカーテンコールに応えた後、なんとオーケストラ・ピットで演奏していた楽団員が全員ステージに上がったのです
これはおそらく、「私(ヤニック・ネゼ=セガン)が これから、ここにいるオーケストラの仲間たちと共にMETの新しい時代を築いていきますので よろしくお願いします
」という、音楽監督就任にあたっての決意表明だと思います
コロナ禍のもと、現在METは閉鎖されているとのことですが、一日も早くヤニック・ネゼ=セガンのもとオペラ公演が再開され、それに基づくライブビューイングも復活することを祈るばかりです