4日(金)。✕(ツイッター)上でコンサートにおける”フライング拍手” 論争が勃発しました 対象となったのは8月1日(火)19時からサントリーホールで開かれた「PMFオーケストラ東京公演」(指揮=トーマス・ダウスゴー)です 当日は①メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」(Vn:金川真弓)と②ブルックナー「交響曲第9番ニ短調(第4楽章補筆完成版)」が演奏されましたが、ブルックナーの第4楽章の終結部で”フライング拍手”が起こったようです
発端となったのはTさんの次のツイートです(以下「X」でなく「ツイート」と表記します)
「ブルックナー九番のフィナーレ。終了後、指揮者のバトンが下りている途中で一番最初に拍手した御仁。なぜあと5秒待てない。本当にあと『たったの5秒だ』」
これに対し当該者のMさんが次のように投稿します
「わざとしました。指揮者のGPには”ウンザリ”だったのと、補筆版第4楽章にも・・・。不快に思われた方々もいらしたとは思いますし、大人げなかったとも思います。ただ、フラ むべなるかな?とのツイートも少なからず🐜〼 勿論、若い方々の演奏には をおしみません」
これについては別のMさんから「わざとしたら、いかんでしょ。」という投稿があり、Mさんは次のように返答しています
「反省しております。”ブーイング”にすべきでした。私は聴いておりませんが(すぐに退出しましたので)。少なからずあったようですね?」
また、0さんからは次のようなコメントが寄せられました
「大人げないどころではない。マナー違反だと思います。プログラムに記載されていることも多々あります。こういう人たちのせいでお金を払ってせっかく聴きに来た多くの人の余韻を台無しにします。すみません。強く言いすぎたかもしれません」
これに対しMさんは次のようにツイートします
「いいえ。ただ、余韻に浸る時間は”十分に”あったと思います。いわゆる”フラ拍”ではありません。なかなか指揮棒を降ろさないのは、私的にはデュダメル/ロスフィル/GM9以来の”長さ”で、その時も思いましたが(3月でしたので、”追悼”の意味をこめた、とか)、言葉は悪いですが”あざとい”」
また、Lさんは次のようにツイートしています
「ていうか、なんで3楽章終了時に拍手をしなかったのですか?4楽章に対する抗議ならそうすべきかと」
これに対しMさんは次のように返しています
「少しは期待がありました。”予習”は全くせずに臨みました」
また、Gさんは次のようにコメントしています
「余韻、長かったですね。消え入る終わり方じゃないわりには、長めでした。気に入らない演奏を早めの拍手するのならば、拍手をせずに席を立ってしまうというのも1つの手で、空気を壊さずに済むからなと。それを拍手で表現してしまうと、『気に入らないのをわかって~!』的になってしまいます」
Kさんは次のようにコメントしています
「音楽の受け止め方は人それぞれなので、余韻を楽しみたかった人もいることを踏まえると、ちょっと大人げないかなと私も思います。演奏の方は、色々問題はあったと思いますが、個人的には結構楽しみました」
別のKさんは次のようにコメントしています
「非常に幼稚で低劣な自己顕示ですね。常識ある人間は、そんなことは思っても実行に移しません。2千人余りの不特定多数の暗黙の了解で成り立っている演奏会場の静粛な環境を故意に損じることは音楽文化への攻撃と侮辱であり、もし追従者があれば、あなたも被害者になるやもしれません。自省を願います」
以上のほかにも、複数のツイートが投稿されていますが、とても追いきれません 上にご紹介した通り、ほとんどのツイートが当該者のMさんの行動に対し批判的な意見を寄せています 私も基本的には「指揮者の手が降ろされるまでは拍手をしない」のが常識だと思います Mさんも「反省しております」と書いていますが、まさかこれほど大きな反響を呼ぶとは思ってもみなかたったのではないかと推測します
ただ、Mさんの「余韻に浸る時間は”十分に”あったと思います。いわゆる”フラ拍”ではありません。なかなか指揮棒を降ろさないのは、私的にはデュダメル/ロスフィル/GM9以来の”長さ”で、その時も思いましたが(3月でしたので、”追悼”の意味をこめた、とか)、言葉は悪いですが”あざとい”」というコメントには一部、共感を覚えます 私も、いくつかのコンサートで、演奏が終わってもなかなか指揮者のタクトが降りず、「そこまで引っ張る必然性はどこにあるのか? あざとくないか!」と思いイライラしたことがあります 作曲家は最後の一音が鳴り終わった後のことについては楽譜上に何の指示も書いていませんから、タクトをいつ降ろすかは指揮者次第になります。これは宿命です 聴衆としては、指揮者のタクトが降ろされて初めて演奏が完結したと理解するしかないのではないか、と思います
ということでわが家に来てから今日で3125日目を迎え、ウクライナ南部オデーサ州へのロシア軍による攻撃をめぐり、ウクライナのクブラコウ副首相は2日、アフリカや中国、イスラエル向けの約4万トンの穀物が被害を受けたと明らかにした というニュースを見て感想を述べるモコタロです
ロシア軍は 攻撃が世界中の食料事情に影響を与えることなど 微塵も考えていない
昨日、夕食に「茄子とピーマンの煮浸し」「生野菜とアボカドのサラダ」「冷奴」「豆腐とオクラの味噌汁」を作りました 「煮浸し」は麺つゆを使ったので簡単で美味しく出来ました
浅倉秋成著「六人の嘘つきな大学生」(角川文庫)を読み終わりました 浅倉秋成は1989年生まれ。2012年に「ノワールレヴナント」で第13回講談社BOX新人賞Powersを受賞しデビュー 19年に発表した「教室が、ひとりになるまで」が第20回本格ミステリ大賞(小説部門)と第73回日本推理作家協会賞(長編および連作短編編集部門)にWノミネートされる 21年刊行の本書は2022年本屋大賞にノミネートされた
2011年。成長株のIT企業スピラリンクスの新卒採用の最終選考に残ったのは男4人、女2人の計6人の大学生だった 当初はグループディスカッションを実施し、内容次第で全員の内定もあると伝えられたため、6人は定期的に集まって対策を練っていた しかし東日本大震災の影響で、直前になって採用枠が「一つ」だけとなり、ディスカッションでは「6人の中で誰が最も内定に相応しいかを議論してほしい」という通達が出る 選考当日、主人公・波多野の提案で30分ごとに投票を行うことに決め2時間半のディスカッションが始まる すると開始早々に部屋の隅で不審な6通の封筒が見つかる そこには各自の「罪」が綴られた告発文が入っていた 内容や状況をみると会社側が用意したとは思えない ということは、部屋にいる6人の中にこれらの封筒を用意した”犯人”がいる いったい誰がやったのか? 最後に選ばれたのは誰か? そして、選ばれた者が真犯人なのか
本作では、選考過程の間に、後に行われた当時の人事部長や学生たちへのインタビューが挿入されています インタビュアーは最終的に内定を勝ち取り社員となっている人物ですが、名前は明かされていません
物語の後半は、その8年後の6人の様子が描かれています スピラリンクスに入社した人物が当時の人事部長や学生たちにインタビューすることになった経緯や、最終選考の真相が明かされていきます その過程で、最終選考の当日、誰知れず6通の封筒を部屋の隅に置いた人物が特定されますが、実は本人は封筒の中身が何なのかを知らず、ある人物から脅迫されて置いたことが明かされます それでは誰がなぜ封筒の中の告発文を書いたのか・・・最後にその真相が明らかになります
最初の段階では、6人はそれぞれ優秀な人物だと思いながら読み進めていきますが、封筒が発見され、告発文により次々と各自の過去の「罪」が明らかになると、6人に対する印象がガラッと変わります
物語の後半では、内定後に社員として働く人物が、社内で新卒採用試験の面接官を打診され、悩みながらも引き受ける様子も描かれています 著者が真犯人を通じて主張したかったのは、「採用する側は、きちんと本当に優秀な人物を選んでいるのか」ということです
私も採用試験の面接官を2度ほど務めたことがあるので、応募書類や限られた面接時間の中で、複数の候補者の中から採用者を選ぶのがいかに難しいかは理解できます はっきり言うと、「誰が最も採用するに相応しいかなど、誰にも判断できない」のです 実際に採用して、ある程度の期間 一緒に働いてみて初めて分かるものです
最近読んだミステリー小説の中で最も面白かった作品です いずれ映画化されるようなので、公開されたら是非観たいと思います