15日(火)。一昨日は単身、埼玉県S市の菩提寺に墓参りに行ってきました 妹夫婦が車で最寄り駅まで迎えにきてくれたので助かりました
幸い台風の影響はほとんど受けず無事に墓参りを済ませ、帰りがけに妹夫婦の住む実家に寄って飼い猫ミラと再会してきました
人間で言えば80歳台の高齢猫ですが、顔を覚えていてくれて懐いてきました
昨日は、福島県白石市に単身赴任している息子が帰省しました お正月以来なので約7か月ぶりです
ということで、わが家に来てから今日で3136日目を迎え、朝鮮中央通信は14日、金正恩朝鮮労働党総書記が11,12日 両日、ミサイルや発射台付き車両などを生産する複数の軍事工場を現地指導したと報じた というニュースを見て感想を述べるモコタロです
軍事工場を現地指導したり 農業を現地指導したり 余程の天才らしいけど 本当は?
昨日、帰省したばかりの息子が夕食を作ってくれました 「スパゲティ・ミートソース」がメインですが、真鯛をメインにした料理とレタスとミニトマトのサラダも作ってくれました。どれもが美味しく、わが家で一番料理が上手いところを見せてくれました
「お茶をどうぞ 向田邦子対談集」(河出文庫)を読み終わりました 向田邦子は1929年生まれ。実践女子専門学校国語科卒。映画雑誌編集記者を経て放送作家となりラジオ・テレビで大活躍した
代表作に「だいこんの花」「七人の孫」「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」「隣の女」などがある
1980年に初めての短編小説「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で第83回直木賞を受賞し作家生活に入るが、81年8月飛行機事故で急逝した
著書に「父の詫び状」「無名仮名人名簿」「眠る杯」「思い出トランプ」などがある
本書は2016年8月に河出書房新社から刊行された単行本を2019年1月に文庫化したものです
私は書店に行って「向田邦子」という名前が書かれた本に出合うと、必ず手に取って 持っている本かどうか確かめ、まだ持っていないと分かると何の躊躇もなく購入しています 娘が実践女子高校を受験するのをきっかけに、彼女の作品を片っ端から読破していったのが始まりです
小説でもエッセイでもそうですが、彼女の文章の特徴は①「~である」調の男性的な文章、②ワン・センテンスが短く簡潔な文章、③意表を突く展開と余韻が残る終わり方、です
私が彼女の文章に憧れるのは、まったく逆のスタイルだからだと思います
エッセイに関する限り、向田邦子を超える人はいないと思います
そんな向田邦子が「対談」で相手からどういう言葉を引き出し、どういうことを話すのか、興味があります
なお、文春文庫から「向田邦子全対談」が出ていますが、対談の相手が本書とは異なっています
この本は、大きく「テレビと小説」「おしゃれと食いしん坊」「男の品定め」の3つのテーマにより章立てされています
1.テレビと小説
①「おっちょこちょいの生死の瀬戸際 ~ 黒柳徹子
②偉大なる雑種・強運 ~ 森繁久彌
③男運だけはいいのよ ~ 小林亜星
④ぜいたくって何だろう ~ 阿久悠
⑤小説とテレビの脚本では勝手が違う? ~ 池田理代子
⑥テレビの中のインテリア ~ 山本夏彦
⑦男の眼、女の眼 ~ ジェームス三木
⑧ブラウン管の裏側で ~ 和田勉、久世光彦
⑨いやな人の台本は書けない ~ 橋田寿賀子、山田太一、倉本聰
2.おしゃれと食いしん坊
①マリリン・モンローとローレン・バコール ~ 原由美子
②私のマドレーヌは薩摩揚 ~ 大河内昭爾
3.男の品定め
①結婚しない女の先駆者じゃない。嫁きおくれです ~ 青木雨彦
②男の美学について ~ 常盤新平
以上の対談の中で、改めて驚くのは黒柳徹子との対談で向田邦子が語った それまで手掛けたテレビとラジオの台本の数です テレビについては「一口に千本って言ってますけど・・・」と語り、ラジオについては「1万本以上?」という問いに「もっと書いていますね」と答えています
こうなると、食べて寝ている以外は「文章を書いている」、というより「文章を書き飛ばしている」としか考えられません
これに関連して、脚本家のジェームス三木との対談で、「向田さんは”速い”といわれる説と、”遅い”といわれる説がありますが・・・」と問われ、「それは両方当たっているんですね。書き始めると遅くはないと思うんですけど、とっかかりが非常に遅いもんですから、結果的には非常に遅くなるということなんですね」と答えています さらに「これはある人の名言なんですけども、学校に近い子供ほど遅刻するっていうんですね。わたくしの場合ピッタリです。それだけは直さなくちゃいけないと思っているんですけどね。”遅いんならば、字ぐらい綺麗に書け”って言われるんです、ところが遅かろう汚かろう、筋の先がわからないというんですから。よくこれで仕事してますね(笑)」と語っています
「書いた字が汚くて読めない」ということに関しては 自分のことのように共感を覚えますが、面白いエピソードに事欠きません 黒柳徹子との対談で、次のようなエピソードを披露しています
向田:池内淳子さんの台詞だったと思うんですが、その下にカッコして、(怒り)とか、(羞恥)とか、そういう表情をしていただきたいと書くじゃないですか。で、池内さんが台本を見て、ディレクターに「私はどういう顔をしたらいいんでしょうか」って尋ねたらしいの。カッコの中には「猿股」って書いてあったんですって
黒柳:池内さんの猿股?
向田:私は「狼狽」って書いたのよ。
黒柳:ハッハッハッ・・・
向田:全然違うでしょう。
黒柳:でも、その時の池内さんの表情は狼狽そのものだったわ、きっと
黒柳さんの切り返しも見事ですね
ところで、対談の中には ブログを書く時のヒントが登場します 例えば、黒柳徹子との対談では次のようなやり取りがあります
黒柳:最近、書きたい人がすごく増えているんですってね シナリオ講座とかいろいろ。そういう方たちに向田さんがおっしゃってあげられることがあったら、どういうこと?
向田:私はね、書く技術は氷山の一角だと思うの 氷山の下のほう、海面下の部分は考えたり、感じたりすることなんです。その上のちっちゃな部分が書くことだと思うんです。感じたり、思ったりすることがたくさんあれば、自然に書けるんじゃないかと思うのね
黒柳:もちろん慣れとか技術ということもあるんでしょうけれど・・・
向田:そうね。だから感じたり思ったりがなければ何も書けないとは言えますね 名文集なんて読んでも無駄な気がします
これはよく分かります いつか このブログに書きましたが、これを拡大解釈すれば「インプットがなければ、アウトプットがない」ということです
「インプット」とは知識を吸収することであり、モノを見たり聞いたり感じたりすることです
私の場合「インプット」とはコンサートを聴いたり、映画を観たり、本を読んだりすることで、それらを通して思ったことや感じたことをブログに書くのが「アウトプット」です
12年前の2011年2月15日にこの このブログを始めたきっかけは、ある知人から言われた「それだけ頻繁にコンサートに行っているのに、後に何にも残さないなんてもったいないですね」という ひと言でした
つまり、それまでは「インプット」だけやっていて、「アウトプット」がなかったのです
だから、コンサートの翌日にはすっかり内容を忘れている・・・なんてことは日常茶飯事でした
「ブログを書く」ということは、観たこと・聴いたこと・読んだことを、一度 頭の中で整理して、思ったことや感じたことを第三者に分かってもらえるように文章として表現することです
したがって、他人がコンサートの休憩時間や終了後にビールやワインを飲んでいるからといって、自分もリラックスして酒を飲んでいるわけにはいかないのです
そんなことをしていたら、今聴いた演奏を忘れてしまい、いざブログを書く段になって言葉が出てこなくなります
これは「アウトプット」が前提となっている私の宿命だと思っています
話を戻します 言葉を扱う同業者としての和田勉(NHKディレクター)と久世光彦(TBSプロデューサー)との鼎談では、言葉をめぐる面白いエピソードが語られています
久世:「青春の蹉跌」という映画に出た役者が、今でもその映画を「青春の挫折」と言ってる
(tora注:この「役者」とは”ショーケン”こと萩原健一のことではないかと思われます)
向田:「故郷に綿(ワタ)を飾る」と言った人もいたようですね
和田:銭湯を「ゼニユ」と読んだりね 台本に「今夜はむしむしと蒸すなあ」と書いてあるのを、「今夜はむしむしとフカすなあ」と読んでしまったり
向田:和田さんだって大きなことは言えないわよ。ワカサギをずっと鳥だと思ってたんでしょう
和田:ワカサギは「足が早い」なんて向田さんが言うからさ
向田:「足が早い」ってのは、浜辺をチョコチョコ走ることじゃないのよ(笑)。「くさるのが早い」ってことなの
また、スタイリストの原由美子との対談では次のような会話が交わされます
向田:コーディネーターとスタイリストの区別、よく分からないのね
原 :区別ないみたいですね
向田:ああ、そうなの。じゃ鮫(サメ)と鱶(フカ)みたいなものね(笑)。私、友だちとよく笑うんですけれど、鮫と鱶とどう違うんだ、って 鮫の大きいのを鱶と思っている人もいるの。ガブッと噛む「ジョーズ」はどっちだ、っていうと もうわからなくなっちゃう
みんな そこのところでイメージがごちゃごちゃになるわけね。鮫と鱶とは同じものなのよ
対談を読んで「意外だなあ」と思ったのは、作家・常盤新平との対談で語った「女が信用できない」という発言です
向田:男の人はみんな面白いですよ(笑)。女よか ぜんぜん面白い わたしはネコもオス猫、お医者さまも男のお医者さんというふうにね(笑)。恥ずかしいんですけどね。わたし、お店屋さんに行くでしょ、女の店員から絶対に買わないですよ。嫌いですよ、わたし、女の店員から物を買うの
こんなこと言うと、自立するなんとかの雑誌から叱られますけど、信用しないですね、女を
たとえばお薬ならお薬買いますね。その時、たとえば3千円ぐらいかけて買うわけですよ。女の人から買うとーその人が作った薬じゃないですよー単なる売ってる人ですけども、薬が効かないような気がする(笑)。女を信じないとこありますね
」
「いかにも旧世代の女性の発言だな」と思うと同時に、これを今の若い女性が読んだらどう思うだろうか?という疑問も湧いてきます
本書を読み終わって思うのは、「エッセイの名手は対談の名手でもあった」ということです 飛行機事故とはいえ、52年の生涯はあまりにも短すぎたと思います
向田邦子が現代に生きていたら、今の世相をどのように切り取り どのように文章表現していただろうか、と思わずにいられません
1週間後の8月22日は彼女の42回目の命日です
本棚の「向田邦子コーナー」。ダブっている本もあるし、妹の和子さんの本もある。