3日(日)その3.昨日とはうって変って寒い一日。せっかく咲き始めた染井霊園の桜の花も小休止といった感じだ。午後、東京文化会館小ホールに出かけた。東京春祭マラソン・コンサートVOL.1「ウィーン、わが夢の街~マーラーが生きた世紀末ウィーン」の第Ⅲ部「音楽家グスタフ・マーラー~私の時代が来るだろう」。
プログラムは①ピアノ四重奏曲(断片)イ短調。ピアノ:青柳晋、弦楽器:クァルテット・アルモニコのメンバー②交響曲第1番第1楽章(4手ピアノ版)。ピアノ:青柳晋、伊藤恵③亡き子を偲ぶ歌。バリトン:河野克典、ピアノ:伊藤恵。3曲でトータル1時間。
ピアノ四重奏曲を生で聴くのは10年ぶりくらいか。10年前の世紀の変わり目の年に新日本フィルがマーラー・チクルス(マーラーの曲だけでの連続演奏会)をやった時に、新日本フィルのメンバーの演奏で聴いたのが最初で最後だった。この曲はマーラーがウィーン音楽院在学中の16歳のときに、作曲科の試験のための提出作品として書かれたもので、第1楽章を想定したと思われる断片のみが完成している。前にもブログで書いたが、まるでブラームスかと思えるロマンティシズムに溢れた曲想の一方で、悲観的な曲想も現れたりする。デカプリオが主演した映画「シャッター・アイランド」でも極めて効果的に使われていた。
交響曲第1番第1楽章をピアノ連弾で聴いたのは初めて。出版元の依頼によって連弾用楽譜が作成されたという。順番は交響曲が先で、後から連弾用なのだが、そもそもマーラーは作曲する時にピアノを弾いて曲作りをしたのではないかな?ピアノ1台、たった2人で弾いているのにマーラーの交響曲の複雑な世界が見事に表現されていた。
「亡き子を偲ぶ歌」はマーラーが終生好んだ詩人リュッケルトの詩集に基づく歌曲集で、マーラー自身もこの曲を作曲した4年後に長女を亡くした。バリトンの河野克典は愛児を失った父親の心境を切々と静かに歌った。
全部でたったの1時間だったが、中身の濃いコンサートだった。この3曲を聴いただけで「マーラーって本当にいいな・・・」と再認識させられた。
プログラムは①ピアノ四重奏曲(断片)イ短調。ピアノ:青柳晋、弦楽器:クァルテット・アルモニコのメンバー②交響曲第1番第1楽章(4手ピアノ版)。ピアノ:青柳晋、伊藤恵③亡き子を偲ぶ歌。バリトン:河野克典、ピアノ:伊藤恵。3曲でトータル1時間。
ピアノ四重奏曲を生で聴くのは10年ぶりくらいか。10年前の世紀の変わり目の年に新日本フィルがマーラー・チクルス(マーラーの曲だけでの連続演奏会)をやった時に、新日本フィルのメンバーの演奏で聴いたのが最初で最後だった。この曲はマーラーがウィーン音楽院在学中の16歳のときに、作曲科の試験のための提出作品として書かれたもので、第1楽章を想定したと思われる断片のみが完成している。前にもブログで書いたが、まるでブラームスかと思えるロマンティシズムに溢れた曲想の一方で、悲観的な曲想も現れたりする。デカプリオが主演した映画「シャッター・アイランド」でも極めて効果的に使われていた。
交響曲第1番第1楽章をピアノ連弾で聴いたのは初めて。出版元の依頼によって連弾用楽譜が作成されたという。順番は交響曲が先で、後から連弾用なのだが、そもそもマーラーは作曲する時にピアノを弾いて曲作りをしたのではないかな?ピアノ1台、たった2人で弾いているのにマーラーの交響曲の複雑な世界が見事に表現されていた。
「亡き子を偲ぶ歌」はマーラーが終生好んだ詩人リュッケルトの詩集に基づく歌曲集で、マーラー自身もこの曲を作曲した4年後に長女を亡くした。バリトンの河野克典は愛児を失った父親の心境を切々と静かに歌った。
全部でたったの1時間だったが、中身の濃いコンサートだった。この3曲を聴いただけで「マーラーって本当にいいな・・・」と再認識させられた。
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